びゅう

 びゅうはびゅうとなくからびゅうと呼ばれている。こうとないたらこうと呼ばれていたかもしれない。
 西の山が赤く染まるときびゅうは姿を現す。びゅうを見たものは滅多にいないが。びゅうを見たものにはしあわせな未来が訪れるという。
 赤い空が割れ光のような黄色い空間が生まれ細かな雪のような粒が地面に降り注ぎびゅうがびゅうとなく。びゅうのなきの音量は実はそれ程大きくなく、超音波よろしく聞こえる者にしか聞こえないという。びゅうを見、びゅうのなきを聞いた者が、びゅうをびゅうと呼ぶようになった。びゅうはよろこんだ。
 初めてびゅうをびゅうと呼んだのは猫平さんである。猫平さんはびゅう協会会長でもある。びゅうを守りびゅうを広めてゆく活動をしている。びゅうはひっそりと暮らしたいと思っている。
 猫平さんはびゅうを初めの一回しか見たことがなく、なきも一回しか聞いたことがない。びゅうは何回も見聞きできる存在ではないようだ。一回の幸福。びゅうは本当に存在しているのか疑わしく、幻だったのかも知れなく、出現したとしてもみなが気づく訳でもなかった。見える人にしか見えない。
 猫平さんがびゅうを初めて見たとき、猫平さんは人生のどん底だった。職も金もなく、とりわけ女にモテなかった、百人に告白し百人にフラれた、死のうと思っていた。
 百人目にフラれた帰り道をとぼとぼと歩いていると、ふと西の山が赤く色づいてるのを見つけ、夕日が物凄いなと思っていたら、見上げた赤い空がゴゴゴゴと割れ始めピカッときらめくと黄色い空間が生まれ、細かい雪のような粒が降り注ぐのを見た。
 沢山の粒が地面に着地し、溶け、地面に吸収されるかと思ったとき、沢山の粒はひとつに集まり誰も見たことのない狐のような形状になった。狐と形容していいのか分からなかったが、狐が一番近いような気がした、もしかしたらあんまり簡単になんでも神様とかいいたくないんだけど、あれは神様が狐のような姿として現れたのかもしれない。狐と神様は近いから。
「びゅう」と聞こえた。
「びゅう、びゅう、びゅう」
 物凄く強い風のような聞いたことのない獣のようななきが確かに聞こえてくる。
 猫平さんはフラれ過ぎてついに頭がおかしくなって、幻覚でも見聞きしているのかと訝ったが、もうリアルか幻覚かなんてどうでもよく、今、目の前で起こっていることを信じた。猫平さんは嗚咽混じりに号泣していた。
「神様、神様だ、あれは神様、いよいよ神様が私の前に現れ、私を救済してくれるに違いない」
 猫平さんはあまりにもフラれ過ぎてメンタルやられていたので、今、目の前で起きている超現実的なことが、なにかしらの奇跡だと捉え、いよいよ神様が現れたのだと、藁にもすがる思いで信じた。なんというかいわゆる感動というやつだ。心がなき叫んでいた。
「びゅう」
 びゅう? なんというなきなんだ。全くもって聞いたことのない初めてきく音。びゅうで合っているかも分からないが、どの音といわれたらびゅうが一番近いと思われる。神様はびゅうとなくのか? 神様ではないのかもしれない。神様にもっとも近い存在。神様だとしても神様と呼ぶのはおこがましい。そうだ。びゅうと呼ぼう。
 これが猫平さんとびゅうの最初で最後の邂逅であった。
 なんかエナジーが湧いてきたよ。
 猫平さんはこの奇跡をきっかけに、まだ諦めてなるものかとなり、一丁やったろかいとなり、マッチングアプリを始めた。
 自己紹介には、職なし金なし百人にフラれたことを正直に書いた。プロフィール写真はこんなん絶対モテへんやろという感じの適当な自撮り写真。コミュニティは、びゅうのコミュニティはさすがになかったので、自分が管理人となりびゅうのコミュニティを作った。びゅうなんて誰も知らないのでびゅうのコミュニティに入る人なんていないだろうと思ったが、しかし、むしろ、それがチャンスだと考えた、なぜならびゅうを知る者同士奇跡を体験した者同士絶対に分かり合うことができるからである。
 自己紹介、プロフィール写真、コミュニティなどを登録し、開始一分でなんといいねが届いた。同じコミュニティに入っているみぃさんからいいねが届いてます、と通知がきた。みぃさんのコミュニティをタップすると、なんとびゅうのコミュニティに入っているではないか。
「はじめまして。みぃといいます。びゅうのコミュニティに入ってるのがいいなと思い、いいねさせていただきました。よろしくお願いします」とメッセージがきた。
「はじめまして。猫平といいます。よろしくお願いします。びゅうを知っているのですか?」
「はい。私がどん底のとき、赤い山を見、赤い空が割れ黄色い空間から細かい雪のような粒が降り、地面に落ちると狐のような姿になり、神様かと思って見ていると『びゅう』とないたのです」
「みぃさんも見聞きされたのですね。私も見聞きしたのですが、幻覚ではないかと思っていたのですが、同じ人がおられたのですね。びゅうのコミュニティを作ってよかったです。確かに『びゅう』となきましたよね? 『こう』とはなきませんでしたよね?」
「確かに『びゅう』でした。『こう』ではありませんでした」
「ではやはりびゅうはびゅうでありこうではなくびゅうなのですね」
 猫平さんはしあわせになりましたとさ。

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