ドイツ神話

 煌めきがカンっと鳴った。わちゃわちゃと虫達が這いずり出てきて、星々が祝福していた。
 見上げると濃紺の夜空で黄色の点々が数多広がりこの世でないような気がした。
 ジーギーは一際大きくカンっと鳴り響いた一つの星に耳を澄ませ星の方を見丁寧に丁寧に深くお辞儀をした。小さくありがとうと呟いた。星はニコっと微笑んだ。
 頭を上げると綺麗な夜空は一変しており、どんよりとした灰色の星など跡形もなくのっぺりとしたコンクリートが広がっていた。ジーギーは困惑し、なんの反応よりも早く眼から涙が一筋ツーっと茶色い大地へと流れ落ち即吸収された。なんの涙かは分からなかった。
 左膝がズキと痛んだ。どうやら膝をやってしまったようだ。しかし心当たりはなく、日々左膝を酷使していたからそのツケが廻ってきたのだろう。左膝を庇いながら生活をしなければならないが、普段は特に気にならず、偶にズキとくることがあるので、その途端に左膝の悪さを意識させられる。
 隣を流れている緑色の川の流れが速く、水が岩に当たり飛び散り、一瞬魚になった。魚はすぐに水へ戻りなんの気配もなくなった。怖くなったジーギーは川から離れようとしたが、離れてはいけない気がして、負けた気がして、川に飛び込んだ。ジーギーは父に泳ぎを教えて貰ったことがあり得意であったために川の流れに負けず、対岸へ泳ぎ切った。体は緑色の水に絡みつかれたが色はつかずに水分もすぐに乾いた。本当に川の中に入ったのかと訝しむ程に濡れていず、川の存在を忘れた。
 空が明るさを取り戻し、朝だと思った。辺りはまだ静かで、虫の鳴き声も聞こえないと思ったら、にゃあと白い猫が一鳴きした。白い猫は田んぼ一つ分程の距離からゆっくりゆっくり鷹揚に鳴きながらジーギーの方へ人懐こく近づいてきた。神々しい雰囲気を纏った少し大きな白猫は耳に切れ込みが入っていた。この辺りを縄張りとし人を見つけては愛嬌を振りまき食料を調達しているのだろう。ジーギーも余りのかわいさに見とれてしまい放心状態で、かわいいなあと呟くと、白猫はことばが分かるかのようににゃあと反応した。体を擦りつけてきて愛くるしい。ジーギーはポケットを弄るとちゅーるが出てきたのであげた。ペロペロと旨そうに舐めている。猫を撫でたいが撫でたことがなく、なんとなくの恐怖心が、一歩踏み出すのを躊躇させた。最初の行動を起こせばなんてことはないのだけれど、触ることができなかった。白猫はスタスタと遠ざかっていってしまった。
 速度を増した朝が光を響かせ周りを明るくし、涼やかな空気を澄み渡らせ、お日様の匂いを漂わせた。お日様の匂いだと思っていた香りが芳ばしくなってきたと思ったら、パンの焼ける匂いですぐ近くにある一見民家な佇まいのお婆さんが趣味でやっているようなパン屋さんからのものであった。
 吸い込まれるようにパン屋へゆき、ドイツの国旗がはためいていて、看板におそらくドイツ語だろうと思われる文字が書かれている。入口を入るとアンティークな棚がお迎えし、シンプルで無骨なパン達が並んでいる。お婆さんと眼が合うと、挨拶を交わした。ドイツ語ではなく日本語で日本人のお婆さんだった。
 アンティークな棚を見るとパンは四種類程しかなく、知らないパンだった。あんパンやクリームパンではなかった。
「これはなにパンですか?」
「ドイツのパンですよ。硬くて素朴なパンです」
「旨いですか?」
「どうでしょうねぇ」
「おすすめは?」
「初めてならこのパンが食べやすいと思いますよ」
 奥のテーブルを見ると『指輪物語』が開いた頁をうつむせにする形で半分程のところで突っ伏し置かれていた。
 物価が上昇しており、様々なものが値上げしている中、ここのパン屋さんのパンは安く良心的な値段だった。
 ジーギーは無骨なパンを四つ程購め、お婆さんにありがとうといった。
「なぜこんなにも安いのですか?」
「私は趣味でパンを作っていて、材料費もかかるけれど、利益は気にしてないの。ただ、ここを知ってくれた人に私の作ったパンを食べて貰えればいいの。作る個数も少ないし、余ったら自分で食べるし、それでいいの」

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