西陽

 西陽の中僕は歩き続けていた。目的はさらばというためだった。光の中という程明るくなく闇に覆われているともいいがたかった。ただいえるのはうっすらと空の輝きを感じていただけだった。橙色の輝きを眩しく感じ、また暖かいとも感じていたが、少し肌寒い風も感じていた。生暖かい光とでもいう感覚か。
 老人は海を見ていた。海はまっすぐ平らだった。コンクリートと錯覚する程硬そうな灰色の海が広がっていた。老人は海へ一歩踏み出すと足がじゃぶと入ってゆかず踏みしめるように硬い地面の感触があった。入水自殺することもできないのかと思った。
 上空を鳥が旋回していて、黄色が青に映えた。空から小粒の涙が降ってきた。悲しいのかなと思ったが悲しさばかりが涙を流させる訳ではないと思い至り考えを改めた。決めつけはよくない。悲しくない涙もある。ではこの涙はどんな理由であるのか。理由がある訳でもなかった。なんでも理由があると思うな。訳もなく涙は流れることもある。
 いっそ死なしてくれ。老人は呟くこともできない。無言でいった。誰にも何もいわずに首を吊った。死ねなかった。朝起きると老人は赤ん坊になっていた。おぎゃとなくと母親らしき人物が撫でてくれた。泣き止んだ。理由もなく泣き止んだ。いや、安心したのだろう。
 少し肌寒かった。季節は冬ではなく夏だ。エアコンが効き過ぎていた訳でもなさそうである。メンタルの問題だった。人間は余りにもの理不尽なことが起こるとメンタルに不調をきたし、二度体温が下がるらしい、と勝手に思っている。本当か嘘かは知らない。でも確実に二度寒い。
 遠くに大きな山が見え山が叫んでいる。僕は燃えやがれと叫び返した。山は赤く染まり血を流した。すぐ瘡蓋となり痒みを伴う痛みが襲う。不思議と山の赤は緑に変わり緑が萌え出した。僕は違うぞーといった。山は間違っちゃったといった。そっちか、ともいった。
 山の輝きが増し空の青が際立った。緑と青が鮮やかに光を集め景色に反映した。見て眼に焼きつけ涙をこぼした。余りにも鮮烈過ぎて眼が痛んだ。我慢していると痛みを通り越して笑けてきた。あははあはは。
 どうしようもない天からの授かり物として一冊の本がテーブルに置いてあり、頁を繰ると文字が浮き出て青く光り出した。意味は分からなかった。かつてないことばの羅列が広がっており、読めるのだが内容が分からないのである。いや、分かるのだが分からない。今ひとつ分からないのであるが、もしかしたら分かったのかもしれなく、既に分かっていたからこそ分からなかったのであった。
 僕は途方に暮れて、一呼吸置いて老人に電話した。開口一番殺してくれといわれた。僕は駄目ですといった。老人はなんで?いいじゃんといった。僕は駄目ですといった。老人はどうしても?といった。はい。しかし天命に従うのはよかった。天命なら仕方がなかった。別に自殺はしないけれど、死んでもいいとは思っていて、投げやりな生活をしている。わざと死を遅らせようとはしていない。早まるのは仕方がない。
 老人は今すぐ死にたかった。しかし老人は死ねなかった。死ぬこと程難しいと思った。死ねば楽になるのに。なにかが止めてきていた。お前はまだ死ぬなと。たかが命。くれてやる。死ぬ気で生きてきてこの歳まで生きてしまった。死にたい奴程死ななくて生きたい奴程死んでいった。どちらがよいのか分からなかった。死とは何か?死んだらどうなる?死んだって生きたって何が違う?
 西陽が弱くなり空は仄暗く紺色に移行しはじめていた。肌は西陽を忘れることができずひりついていた。ひりつきは橙色の輝きを閃かせ空間を覆った。夢をみていたみたい。しかしすべては現実。西陽に焼かれた左腕のひりつきが生きているといっている。

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