私、鎖国。携帯を持ち歩くのをやめてみた。

昨日から携帯を持ち歩くのをやめてみた。

実は携帯は2つ持っている。
本当に「かぞく」と言える人にだけに教えている
プライベート携帯と、
その他の人と繋がっている
公的携帯。
そのうち、
公的携帯を持ち歩かなくなったのだ。

こんなことをいったら
お仕事で繋がってる人から
信頼を欠いてしまうそうな気もするが、
実は半年前くらいから
基本的に公的携帯は
「機内モード」にしている。

一年半前に流産してから
不正出血が時々あって、
電磁波が良くないような
気もしたこともあり、
常に電波が
「繋がり続けている」
状態を避けているのだ。

そうはいっても
仕事上のやりとりは
チェックしなくては
いけない。
そして個人的に
レスポンスはとても
大事にしたいと
いう気持ちもある。

だから1日のうち、
何度か「自分から」
機内モードを解除して
連絡をチェック
するようにしていて、
なんとなくずっと
「繋がってる」状態ではなく、
自ら意識的に
「繋がりに行く」環境
を心がけてはいた。

でも。
それでも最近、
人との繋がりが
より敏感に
なってしまい、
受信したメッセージの
文面を見ると、
その人のエネルギーを
感じて何日も自分の頭に
残ってしまったり、
メッセージの語尾の
ちょっとした言い回しに
心が折れてしまったり。

ごめんなさい。
人が疲れてしまったのだと思う。

文面自体を見るのも
しんどくなってしまった。

だから自分の行動に合わせて
携帯を肌身離さず持ち歩いて
いた生活も
なんかきつくなってしまい、
機内モードにするだけでは
おさまりきらなくなって
持ち歩くのをやめてみた。

今は携帯チェックの時は
誰からどんなメッセージがきてるか
マネージャーさんでもある
旦那さんにみてもらって、
お返事の文面は
私が口頭で言ったのを打ってもらうか、
自分で打ちたい人だけ
自分で打っている。

これまで人のインタビューや、
舞台で1人何役の1人芝居を
重ねてきた結果、
人のエネルギーを受信する
力がどんどん敏感になってきた。

仕事上ではそれがプラスに活きる。
インタビューも、
何かの役を演じるお芝居の舞台も、
基本的には相手の人の
エネルギーをキャッチし、
自分はそれを媒体として
表現する、という感じ。

以前はインタビューさせていただいた後、
何日もゲストさんのことが
頭に残ってしまって自分の人生なのに
人と一緒に生きてる感じに
なってしまっていた。

お芝居も、本番が終わっても
ずっと役が抜けなくて
本当にやばい時期もあった。

今はお仕事の面では
一つのことが終わったら
その方のエネルギーを抜くことは
できるようになってきたから
そっちに関してはプロとして
切り替えができるように
なったから大丈夫。

問題は意識していない
仕事外の
日常において無意識に
流入してくる人のエネルギーだ。

普段の生活において
人のエネルギーが
自分の中に
入ってくるのが、
本当に苦しい。

ただでさえ、
芝居をやっているからか
人と話しても、
映画を見ても、
小説を読んでも、
その人のエネルギーや
ストーリーが脳裏に
こびりついて何日も
余韻が残ってしまう体質。

私は私に集中したい。

私を感じたい。

子宮の不正出血の要因を
色々と自分の中で自分に
問いてみた中で、
そんな想いが湧き出てきた。

言ってみれば
今、私は鎖国をしている。

自分が求めていない情報も、
自ら連絡していない向こうから
やってくる人からの連絡も、
ごめんなさい。
できれば
見たくない、
受けたくない。

私は私に集中したい。

鎖国をして、
私は私という世界の
どんな景色を楽しめるんだろう。

「どうせ今まで興味なかったでしょ、アンタ」
とでも言っているような
私という世界は
まだ無言を貫いている。

私が周囲の雑音から離れ、
私という世界のドアを
本気でノックした時、
どんな旅が待っているんだろう。

愛する旦那さんが
今の私の状況をわかってくれてるし、
尊重もしてくれている。

大事なこどもたちや家族と
繋がるプライベート携帯は
24時間繋がっているから
何かあっても連絡はとれる。

公的携帯を手放すことが
こんなに大きいことなのか。
なんかいけないことを
している気もするから
人には言えないけど。

誰も私の世界に
入ってこないでほしい。

ほっておいてほしい。

今はそんなふうに思う。

人のいろんな言葉が、
情報が、もう、疲れてしまった。

そんな、私の舞台裏。


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