文化の発展に寄与していれば何したっていいんだよ

なにかと話題の「引用」について思い出話です。著作権を勉強してみようかな?と思っている方の役にたつかも?しれないので。少なくてもボクは理解するうえで大変ありがたかったことです。

前職時代に「引用」を解説するコンテンツを作ることになったのです。本(一番やさしそうな)読んで勉強始めたものの、いまいち理解できない。なんとなくはわかるけど、コンテンツとして公開するほどの自信がもてない。その本にある説明をパクッてスライドにしてみても腑に落ちないのです(笑)「主と従の関係」とかの前に、なんか決定的なものが足りない気がして。

困っていたら上司が「●●さんが法律詳しいから聞いてみたら?」と。すぐに内線でアポとって飛んでいきました(笑)。

それまで調べて作ったコンテンツ案を読んでもらったんです。(もちろん本をパクッてない方です)するとですね、「著作権法の前文読んでないでしょ?」との指摘。確かに読んでいない。前文ってご挨拶みたいなものだと思っていたので。

著作権でいうと、第一章総則 第一節通則(目的)

第一条  この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

のことなんですけど、「法律を学ぶときは前文から理解するといいよ」とアドバイスいただきました。そのうえで、「『もつて文化の発展に寄与することを目的とする。』とあるでしょ、基本的には文化の発展に寄与していれば何したっていいんだよ、ただし、『文化的所産の公正な利用に留意しつつ』ね」と。

「文化の発展に寄与していれば何したっていいんだよ」と聞いたときにはぶっ飛びましたましが、よくよく考えるとそうなんです。「文化の発展に寄与していれば何したっていいんだよ」ということは、「文化の発展に寄与しないことは何もできない」ということじゃないですか!

「主と従の関係」やら「引用部分は明確に区別」ってのは具体例みたいなもので、そもそも、「あなた、引用しようとしているけど、それは文化の発展に寄与すること?経済的利益や自己利益のためだったら全てダメなんで、読まなくていいよ」という分岐をコンテンツのトップにもってくるべきだったのです。

あ、もちろん、文化の発展につながる引用であり、その結果原稿料をもらえるとかならOKですが、それはコンテンツの制作報酬ということで、コンテンツそのものが「文化の発展に寄与する」ものでなければダメだと思います。

最近、ボクは「引用をどうにか使って、ずるしようと思った時点でアウトだから」という表現を使っています。特に若いクリエイターさんには。よくあるんですよ「それ、どうにかならないの?クライアントがさー、俺らこれで食っているんだし」的な相談。

もちろん、著作権法をキチンと説明すればわかってくれるのですが、面倒なので「あ、この人ずるしようとしている!」とピントきた瞬間、「法務に確認していただけますか?」と返答し、「法務もOKだったよ」とくると「あーこの会社やばいなー」って判断して手を引きます(だから貧乏だというウワサもある)。

ちょいと話がそれましたが、著作権を勉強するときには、

第一章総則 第一節通則(目的)

第一条  この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

を意識して各条文を読み込むと理解が進むということを学んだ、思い出話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?