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おすすめない?って聞かれると、とても困ってしまうので、やっぱりレコメンド機能って有能だな〜と思う。

右を見ても左を見てもレコメンドだらけになったな、と。
誰かのおすすめがなければ買うのに躊躇したり、誰がおすすめしているのかによって爆発的なブームになったり、あなたの購買履歴からあなたが買いそうなものはこれですよ、って提示してくれたり。レコメンド機能の登場から、気が付けば、いつの間にやらあっちでもこっちでもレコメンドだ。もう大レコメンド時代。


レコメンドによって、人は情報処理のスピードが上がったように思う。
莫大な量の情報とにらめっこせずとも、欲しいものや探していたものにたどり着くプロセスが圧倒的に早くなったのだから。「不要」と思われる情報を排除し、欲求や要望に近しい情報のみをピックアップする。だから、全量確認せずとも近しい情報だけを見ていくことで、高確率で素早く望みの情報に手が届く。レコメンドエンジンの仕組みとか、専門的な話には詳しくないので、ざっくりした表面だけで著すのならば、溢れるばかりの情報を制限する作業について自分ではない何かにお願いしている状態だと思っている。
これを「手間が省けた。時間の短縮になった。」と喜ぶ半面、これでいいのかとも思ったりする。
レコメンドされた情報にだけ触れていると、いつの間にか自分の周りは偏りのある情報だけになってしまうのではないか。そしてそんなことになど全く気が付かず、生活してしまうのではないかと心配なのだ。結果もっと好きになれるものを見落としているかもしれないし、稀有な体験を失っている可能性すらあるのではないか。

某サブスクリプション型の動画サービスを好んでいて、大変お世話になっているのだが、気が付けばレコメンドされる映画もドラマも似た系統ばかりになってしまったように思う。
たまには違う雰囲気のものだって見たいし、似た系統だからと言って同じように「面白い」と思うわけではない。
人の好みはそこまで単純でもなければ、画一的ではないはずだ。

3年ぐらい前に社内業務の一環で参加したワークショップで「最近流行っているサービスについて列挙し、そのサービスが今後どう変化していくか考えよう」的なお題に取り組んだことがある。
「レコメンド機能」が列挙されたとき、「自分のレコメンドには表示され得ない商品をレコメンドしてくれる機能」とか「自分とは反対方面の嗜好の人に出すレコメンド機能」はどうだろうかと発言したことがある。
(この場合、何を【反対】と呼ぶべきかは悩みどころだが、本記載では”自分とは違う・趣味の合わない”と思ってもらえるといいかと思う)
なお、賛同はあまり得られなかったので、ここにそんな需要はないと思うのだが、わたしは気になる。表示内容を自分好み一色に染めたい気持ちもわかるが、普段の自分とは違う商品を選びたくなることもあるし、たまには雰囲気の違う映画も見たくなるのだ。そういう人もいるし、サービスによってはレコメンドの精度向上が必ずしも求められていることのすべてではない気もする。

そんな天邪鬼なことを考えながら、記念すべき1回目を終えようと思う。ご清聴どうもありがとうございました。

追伸
ただし、ホラー映画だけは変わらずブロックしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

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