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5月31日の日記


「大阪いいとこ〜!」と、「もう無理……」を毎日反復横跳びしている。

車がなくても問題なく過ごせる快適さと、歩くことが苦にならない楽しさ。
人に話しかけるハードルが異常に低くフレンドリーな県民性。

どうしてそんな風に生きられるんだろう。

私はいつもおどおどして、何かにぶつかり物を落とし、いろんな人の眩しさに目を背けてしまう。

大阪が好きなのに、大阪に好かれている気がしない。ずっと大阪に人見知りしている感覚。

電車の窓に映り込む私はリュックを前でぎゅっと抱えて心許なく縮こまっている。馴染んでいない。不安げな立ち姿。

目の前を歩く人はみんな足が長く綺麗な人ばかりだと思う。
鏡に映る私は芋くさくて洗練さがない。
垢抜けたいとも思ってはいないが、私の不釣り合いな存在感に時に自嘲しては泣きたくなる。

いや、相変わらず泣いている。
出勤前の電車待ちの列でわなわな泣いていたのは私だ。

ただ並んでいるだけなのに人が隙間を通ってぶつかってくる。
たくさんの、たくさんの、たくさんの人が右に左に後ろに前に行き交うだけでストレスだ。
不機嫌な駅員さんのアナウンスも、それでも駆け込み乗車をやめない人も、そのせいで何度も何度もドアが大きな音を立てて開いたり閉めたり繰り返されるのも、全部いやで、

慣れてきたと思っていた電車の中で、そこが急に別世界のように誰も知らない関わりのない人の中にぽつんと存在する自分の心細さに息苦しくなった。
気づけば唇が震えて、なんとか耐えていたはずの瞳からぽろりぽろりと涙が落ちてしまう。
電車を待つ待機列2人目で、ぐす、ぐすとハンカチで涙を拭う。

大阪が嫌いと思うとつらい。嫌いになりたくない。
ただ、私は好きになってもらえる人間じゃないと思う。電車に乗るだけで涙し、人が多いと恐怖して、大きな音に強いストレスを感じる。
賑々しくフレンドリーなこの場所で、私なんかが間違って迷い込んでしまったような不可思議が、まだ、体に心に馴染まない。

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