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20220804 somnia

 夢を見た。

 テレビ番組か何かを見ていたのだと思うけれど、妙にリアルだった。私と言う人間がそこにいる訳ではないのだけれど、体感しているのは私だった。
 三人の女性が旅行に来ていた。仮に、園子、千尋、由美とする。
 園子は三人組の中でもリーダー的な存在で、冷静かつ平等に物事を見極めるクールな女性だ。長い黒髪の、綺麗な人だ。
 千尋は華奢で繊細な女性だ。いつもニコニコと微笑んでいて優しく、滅多に声を荒げることもない可憐な印象があった。
 由美はどちらかと言うと平凡で、少し自分の見た目に自信の無い女性だ。けれどドラマが好きで、恋愛にすごく憧れている。
 三人が泊まるのは、9階建ての比較的綺麗なホテルだ。石造りの広いホールに、なんだかそわそわとしてしまう。
 しかし、ここに泊まるのは三人だけでなかった。
 別の三人組が現れた。男性グループのようだ。由美は目をパッと見開く。
「弘人たちも旅行?」
 男性三人は、弘人、恵介、雅信と言った。
 弘人は一番背が高く、アイドルのように整った顔の所謂イケメンだ。由美が密かに恋心を抱いている相手である。
 この女性三人組と男性三人組は、大学の知り合いのようだった。
 由美の恋心を知っていた園子と千尋が、「良かったじゃん」と由美をそっと小突く。
「俺たちもここに泊まりたくて来たんだ」
 と、弘人。
 そんな時、チャラけた印象の恵介がにししと笑いながら、女性三人に詰め寄った。
「お前ら知ってんのかよ。ここ、出るらしいぜ」
「出るって、何が?」
「幽霊に決まってんだろ」
 馬鹿馬鹿しい、と園子は切り捨てた。
 恵介によれば、この9階建てのホテルは見た目こそ洗練されていて都会的だが、実はフルリフォームされた物件で、元々の建物自体は昭和時代からのオンボロホテルなのだとか。
 見栄えこそはそうだとしても、設備機器はところどころ古いものを再利用していて、その最たるものがエレベーターなのだそう。
 9階建てのホテルにしては、エレベーターは一箇所のみ。しかも、大人三人がキャリーバッグを抱えて入るとぎゅうぎゅうになるほどの狭さ。上昇時、及び下降時においても若干のガタつきが気になるほどの、古い一品なのだとか。
「古いホテルだからって何が怖いのよ」
 園子が恵介に食ってかかった。恵介はあっけらかんとそれを躱し、続ける。
「そのエレベーターなんだけど、幽霊が出る時は決まって『10階』に連れてかれるんだ」
「10階……ここ、9階までしかないじゃない」
「だから怖いんだろ。10階なんてないんだよ。でもそこに連れてかれる」
「……それで?」
 固唾を飲んで話を聞いていた全員だったが、視線を一気に集めた恵介は、突然しどろもどろとした。
「え……それだけだよ。怖くない?」
「なぁんだ」
 女性三人はキャリーバッグを転がした。
「私たち、部屋に行くね。また機会があれば会おう」
 チェックインを済ませていない男性三人を放って、女性三人は噂のエレベーターに乗った。
 目的階は5階だ。エレベーターは無事に5階に辿り着く。
 目当ての部屋に入ると、三つ並んだベッドに千尋や由美が飛び込んだ。
「正直、ちょっと不安になっちゃった」
 千尋が笑う。そんなことよりも、由美の方は顔を赤くして、両手で覆っていた。
「弘人がいるなんて思わなかった。どうしよう、すごく嬉しい」
 その言葉に、園子も千尋もふふっと笑う。
「この旅行で距離が詰めれたら良いわね」
「私たちも応援するし、後で弘人たちの部屋にも遊びに行こう」
「うん。二人とも、ありがとう!」

 夕飯を終え、三人は風呂に入ろうとしていた。
 しかし不思議なことに、それが三人のスタイルなのかもしれないが、一人一人浴場に行こうということになっていた。
 浴場はホテルの1階にある。
 園子が先に済ませて帰ってきた。ホテルの浴衣を着て、長い髪をほんのりと湿らせている。
「ドライヤー無かったの?」
「あったけど、自分のが良いから」
 キャリーバッグから自分用のドライヤーを取り出し、園子は髪を乾かし始めた。
「じゃあ、次は由美がお風呂行ってきなよ」
「うん、そうする」
 由美は、自身の入浴セットとホテルの浴衣を持って部屋を出た。
 夜のホテルは雰囲気作りなのか、やけに暗い。
 正直、恵介の話を鵜呑みにしたわけでは無かったが、たった一つしかないエレベーターに乗るのは少し気が引けた。
 怖い気持ちを抱えつつ、なんとかホテルの1階に辿り着く。
 入浴も問題なく済ませて、浴衣を着て、部屋に戻ろうとした。
「それにしても、一体どのタイミングで弘人と仲良くなろう…」
 すっかり由美の関心ごとは、片想い相手の弘人のことだった。周りには恵介や雅信もいる。弘人と仲良くなりたいと近づいたら、彼らが揶揄ってくるかもしれない。それは少し嫌だった。
 エレベーターに乗る。乗ったのは、由美と知らないおじいさんだった。
 由美は5階を押す。おじいさんが何階を押したのかは見えなかった。
 ほんの少しガタンと揺れて、エレベーターはスーッと上昇していく。しかし、5階を過ぎてしまった。
「え?」
 いつの間に表示があったのか、「10階」に辿り着く。
 エレベーターの扉が開いた。
 外は、真っ暗だった。
「お嬢さん、着きましたよ」
 おじいさんが、外に出るよう由美を促す。
「あの、私、5階なんですけど」
「お嬢さん、着きましたよ」
 おじいさんの顔つきは変わらない。
 こちらをじっと見ている。にこりとも笑わない。不自然に、黒く澱んだ目をしていた。
 由美は怖くなって、けれどおじいさんと狭い空間にいるのも嫌で、思わずエレベーターを飛び出した。
 そこは、ホテルの屋上だった。
 小綺麗な外観とは似ても似つかぬ、コンクリートのひび割れた薄汚い屋上だ。しかし妙なことに、ところどころ植物が生い茂り、6台ほど車がぎゅうぎゅうと並んでいる。車のことは詳しくないが、外国の高そうな車に見えた。そのどれもが、長年放置された風体をしていた。
 また更に妙なことに、この屋上は“別の建物に繋がっていた”。
 全く同じ高さの建物がホテルの真横に建っていなければあり得ない光景だが、ホテルの屋上から鉄板の橋を渡して、別の建物の屋上に移動できるようになっていた。しかも、その別の建物の屋上には一軒家が建っている。赤い屋根の平家で、音もなくそこにある。周囲は、どこから生えたのか木々が生い茂っている。
 人の気配は、無い。
「なにここ」
 ようやく全体の状況を掴んだ由美は、その摩訶不思議な屋上に気持ちの悪さを感じた。
 振り返ってエレベーターを呼ぼうとする。しかし、先程出てきたはずのそこにはエレベーターが到着するような塔屋は無く、代わりに非常灯の点滅する階段があった。
 もうなんでも良かった。階段を降りる。
 恐らく9階だろう。階段を降りた先は一変、オフィスフロアのようにだだっ広い空間が広がっていた。幸いにも電気が点いて、人がいるようだ。
 あまり見つかるのも良くないかと思い、由美は身を縮めながらエレベーターを探した。オフィスフロアを抜けると、こじんまりとしたエレベーターホールが現れ、一つしかないエレベーターの扉が見えた。
 ああ。助かった。
 由美は素早く下降ボタンを押し、エレベーターに乗り込んで、5階へ向かった。
 無事に5階に辿り着き、足早に部屋に戻る。部屋に戻ると、既に入浴し終えたらしい千尋が浴衣姿で待っていた。園子の姿は無い。
「由美ー。遅かったよ。帰ってくるのを待たずにお風呂入っちゃった。どこ行ってたの?」
 千尋が困ったように笑う。
 それを見て緊張の糸が切れた由美は、がくがくと足が震え始めたのを感じた。
「……っちゃった……」
「え?」
「じ、10階に……いっちゃったの……!」
 本当に幽霊はいるんだ!
 由美はパニックになり、千尋に抱きついた。千尋も驚いたようだが、由美の様子にただならぬものを感じ、背中を優しくさする。
「恵介の話は、本当だったんだ……?」
「どうしよう、千尋。こわいよ」
 由美の背中をさすりながら、千尋は「大丈夫よ」と言う。
「私、パワーストーン持ってるから、貸してあげる。水晶とオニキス。どちらも魔除けの意味があるからね」
 千尋は自分の鞄の中から、ブレスレットを取り出した。オニキスが三つ並び、他は小ぶりの水晶が連なったブレスレットだ。
 それを由美の左手首に通す。
「魔除け。大丈夫よ。幽霊は来ない」
 千尋の言葉に少しホッとしたのか、由美は震えを止めた。
 その時、チャイムが鳴った。由美は再び肩を震わせる。
「私が見るよ」
 千尋が出る。すぐ後ろに由美もついていった。
 外にいたのは、弘人だった。
「園子、帰ってきてない?」
 開口一番そう言った。千尋は首を横に振る。
「コンビニに行くって言ってたけど、弘人、園子に会ったの?」
「え、そうなのか? 園子、俺たちの部屋に来てたんだけど」
 え?
 千尋も由美も驚いた顔をする。園子は、一人で男性の部屋に行くような子ではなかったはずだ。
 弘人は少しバツが悪そうに頭を掻く。
「俺、園子に告白されて……ごめんって言ったら、泣いてどっか行っちゃったから、なんか申し訳なかったんだけど……そっか、戻ってないか」
 その言葉に、千尋は大慌てで由美を抱き締める。由美は、口元がわなわなと震えていた。
「応援するなんて言っておきながら、園子のやつ、抜け駆けするなんて」
 辛うじて千尋にのみ聞こえる声量で、由美は呟いた。千尋は、これ以上はいけないと感じて、弘人を追い返そうとする。
 しかし、弘人は由美がいるのを気にしていないように千尋に向き直った。
「俺は、前から千尋のことが好きだから、園子の気持ちには答えてあげられなかった」
「えっ、何言って……」
「なあ、由美」
 弘人が由美に声を掛ける。由美は恐る恐る弘人を見上げた。はっきりと強い眼差しを受けて、由美の心臓がざわめいた。
「由美は、俺と千尋を応援してくれるよな」
 もう最悪だった。
 由美は「わあ!」と泣き出して、部屋の奥に駆けていった。千尋がそれを追いかけようとする。それをまた、弘人も追いかけようとした。
「なんだあれ!」
 弘人の後ろから、恵介と雅信もやってきた。無口な雅信が、思わず女性三人部屋の奥を指差して大声を上げた。
「なんかいる!」
 瞬間、バンっと大きな音がして停電が発生した。何も見えない。
 恵介が慌ててスマホのライトを照らした。
「大丈夫か!」
 雅信や弘人もライトを照らす。
 しかし、女性部屋の中は照らせない。否、“黒いなにか”を照らし出していた。それは、部屋いっぱいにぎゅうぎゅうと押し込められている。
 まるで、誰かの頭部のようだった。

 数年が経っていた。
 例のホテルは、その後火災にあったらしく全焼してしまった。
 その跡地に、千尋、由美、弘人、恵介、雅信の五人が来ていた。園子はあれから戻ってきていない。
 由美はしばらく人間不信のようになっていたが、時が経つにつれ、千尋と弘人のことを許せるようになっていた。今は千尋と弘人は付き合っており、由美は雅信に片思いをしている。
「ここで園子はいなくなったんだ。手掛かりがないか探そう」
 弘人が言った。ここに来た目的は、園子を探しに来たのだ。
 全焼し、見る影もないホテル跡地を五人は踏み締めていく。
 由美は空を見上げた。そういえば、あの日の屋上で見た一軒家は、どこにあるのだろう。
 ふと、誰かに肩を叩かれた。千尋だろうか。
 振り向くと、長い髪が縮れ、不自然に背中の曲がった老婆のような、顔面の爛れた女がそこに立っていた。落ち窪んだ目元に、眼球が二つ浮かんでいる。
「ゆみ」
 女はそう呼んだ。
 由美は、悲鳴を上げた。

 目が覚めた。

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