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20220904 somnia

 夢を見た。

 勤め先が所有していると言う、廃学校の幽霊退治に抜擢された。
 恐らく戦時中から戦後数年にかけて使われていた学校で、ところどころリフォームをされたらしい。けれど、実際の見た目は木造4階建ての直方体のオンボロ校舎だった。
 私は仕事終わりに、その校舎に向かった。
 とにかく一階から潰していくしかあるまい。
 なお、私に除霊の経験はないし、方法も分からない。もっと言えば、霊感すらない。
 夕陽に照らされた廃校の一階へ侵入する。唯一持ってるのは懐中電灯だけだ。
 一階は楽勝だった。廊下の照明を点け、辺りに気をつけながら教室を一つ一つ確認していった。嫌な感じもなく、変な現象が起きることなく、淡々と進んだ。
 一階全てに照明がついたのを確認して、二階への階段を見上げる。
 すっかり陽は落ちて、真っ暗だった。
 嫌な予感がした。ぞわぞわと肌が粟立つ。
 階段の照明をつける。踊り場の丸型のブラケットが、ジジッと音を出してほんのりと点いた。けれども、何かが引っかかっているような、全灯ではない。
 これは何かいる。
 そう思ってスイッチを消した。
 瞬間、私は階段に対して縦に流れるような黒い線を目にした。すぐにそれが、流血痕だと分かった。
 ついに怪異が出現したことで、私は震え上がった。元来、ホラーを目の当たりにするのは苦手なのだ。
 しかし、逃げてはならない。幽霊退治をせねばならないのだから。
 そこで、大騒ぎして霊を追い払おうと決めた。
 大声で歌を歌い始めた。飛び跳ねたり走り回ったりして、とにかく暴れた。
 「頼む、出てってくれ!」という気持ちを込めながら階段照明のスイッチを入切していると、突然照明がパッと点いた。流血痕は見えない。
 どうやら霊はどこかへ行ったらしい。
 それを確認して、ホッと安堵の息を吐きながら、二階へ上がった。

 二階はすごく重い空気だった。
 真っ暗な廊下ではあったが、廊下の中程にある教室から明かりが煌々と漏れ出ている。
 廊下の照明を点けて、そちらへ向かった。
 扉を開けると、教室であるはずなのに六畳程の狭い畳の部屋で、ブラウン管のテレビが置いてあった。なにやら映像が流れており、それを寝転がりながら見ている三人ほどの男性が、こちらを振り返った。会社の上司らだった。
「こえさん。さっき大騒ぎしとんの、聞こえたで」
「聞いてたんですか。うわぁ、嫌だなぁ」
 営業部の副部長を務めている瀬川さんは、私を見て笑った。邪魔をしたら悪いと思い、教室の扉を閉める。
 しかし、よく考えると、こんなところに上司らがいるわけがない。
 廊下を少し歩いてから振り返ると、先ほどの部屋は明かりが消えて、しんと静まり返っていた。
 幻だったのかもしれない。
 代わりに、上司らがいた教室の隣の教室から、またもや煌々と明かりが漏れていた。
 躊躇なくその教室の扉を開けると、こちらもまた六畳程の狭い部屋だった。真ん中に炬燵が置かれ、その中に入りながら小型のブラウン管テレビを眺める男女数名の姿を認めた。見ず知らずの他人だ。そのうちの女性の方がこちらに気が付く。
「もう時間ですか?」
 そう聞いてきた。
 私が何も答えられずにいると、女性は他の仲間たちに「もう時間みたい」と伝える。この教室は、貸しスペースか何かなのだろうか。
 帰り支度を始めたその人たちを見送るまでもなく、扉を閉めた。二階の探索はこんなものだろうか。

 次に三階へ向かう。階段の照明は、怪しい動きをすることなく点灯した。
 三階は、何だか肌寒い雰囲気だ。宵も深まり、何も見えない。
 三階の廊下の中程に、教室ではなく外に続くような扉が見えた。無論、そんなところを出ると、三階から真っ逆さまに落ちてしまうに違いない。
 恐る恐るその扉に近づくと、
「ここの学校は古い歴史がありまして」
 唐突に背後から声が聞こえた。驚いて振り返ると、丸縁眼鏡のひょろっとした初老の男性が立っていた。ベストをピシッと着込んでいる。細い目はまるで常にニコニコと微笑んでいるように見えた。
「こちらの扉を開けてご覧なさい」
 言われるがまま、ガラガラと引き戸を開けた。すると、両側に転倒防止用の柵は無いものの、コンクリートの渡り廊下のようなものが伸びていた。渡り廊下の向こうにはコンクリート敷の広場が広がり、何やら靄のようなものが充満している。
 ゆっくりと近づくと、広場のほとんどはプールのような池のような、水の入った長方形の窪みがあった。靄はそこから生じている。長年放置されていたからか、その水は灰がかった緑色で、表面を藻がびっしりと覆っていた。
 男性は眼鏡をくいっと上げた。
「大変珍しいでしょう。ここは学校に併設された浴場で、体を温める際に使われた場所なのです」
 それは珍しい、と素直に思った。
 水泳授業の後にここで体を温めたのだろうか、などと想像する。この靄は、湯気らしい。
 つまり、今もこの浴場は機能しているのだ。
 すると突然、男性は服を着たまま浴槽に飛び込んだ。私は青ざめる。
 「ははは、気持ち良いですね」と、男性は眼鏡や頭に青い藻を貼り付けたまま笑った。汚いし、おかしい。
 彼は、恐らく人間ではない。
 私は急いで元来た道を戻り、校舎に入って扉を閉めた。彼が追いかけてくる気配はない。
 廊下の窓からよくよく見ると、浴場からバシャバシャと水飛沫が見えた。はしゃいでいるのかもしれない。ゾッとした。
 その後はとても順調だった。三階の各教室の明かりを点け、問題が無いのを確認した。この校舎の中で一番霊のようなものがいたのは、二階だったのかもしれないと思う。

 最後に四階に上がった。ほんのりと、遠くの空が白んできているのが廊下の窓から見えた。
 四階は他の階と違い、オンボロの木造校舎のような装いではなかった。
 暗がりで見えづらいが、廊下は塩ビシートがきっちり敷かれており、見た目にも綺麗だ。教室の中を覗くと、パステル調のシートがあちらこちらに張り巡らされている。綺麗だが、どうにも奇妙な違和感を感じた。
 その調子で教室を暴いていくと、とある教室は扉が開きにくかった。中で何かがごそごそ言っているのが聞こえる。
 力を込めて開くと、なぜかそこはカラオケルームのような狭い空間だった。そこにいたのは、四名程の女子高生。
「ごめんなさい、長居するつもりじゃなかったんです」
 茶髪のツインテールの女子高生が、そう私に言った。他の女子高生も、なんだか申し訳なさそうに眉を下げている。
「もう少しだけここに居て良いですか? 私たち、やっとここに来れたんです」
 どうしてもこの教室にいたいと彼女たちは懇願した。けれど、私は首を横に振る。
「もう朝になるから。ここには居られないよ」
 すると、彼女たちはとても残念そうに、キーホルダーがじゃらじゃらとついた鞄を肩に掛けた。
「じゃあ、また来ても良いですか? 私たち、もう会えなくなってしまうんです」
 それが一体どういう意味なのかはよく分からなかったが、「ここには来ない方が良いよ」とだけ伝えた。
 彼女たちの帰り支度を少し眺めてから扉を閉める。
 次に開けた時には、その部屋はがらんどうになっていた。
 続いて、他の階では注意深く見なかったが、トイレのような小さな個室を覗き込む。トイレだと思ったが、何か様子が変だった。物入れだったのかもしれない。
 物入れの床はシートが貼られておらず、木床であった。所々腐っていて、穴が空いている。その穴のうちの一つが、なにやらもぞもぞと動いていた。
 とても嫌な予感がした。こういう古い建物に、何かが棲みついていないわけがない。私は、幽霊なんかよりもそちらの方が怖かった。
 ややあって、何かと目があった。つぶらな瞳のそれらは、一気に穴から飛び出す。
 私は悲鳴を上げて廊下の端まで走り切った。振り返ると、尻尾の長い鼠が四匹ほど、縦横無尽に走っている。
 鼠の退治は依頼されていない!
 朝日がすっと校舎の中に差し込んできたのを目の当たりにした。
 もうここまでだ。
 探索を終え、私は校舎を出た。
 夜通し校舎内を歩き回ったが、今日はこのまま出勤しなければならない。寝不足で仕方が無かったが、これも仕事だ。やむを得まい。

 会社に出勤すると、他部署の上司が何やら写真を持ってやってきた。
「昨日、こえさんが見に行ってくれた学校の写真があったんやけどな、どうもおかしいんよ」
 写真を見る。何か、白い影のようなものが校舎から噴出していた。
「……霊か何かじゃないんですか」
「やっぱりそうなんかな? いやぁ、変な写真やなぁって」
 写真を見ていると、なんだか目が霞んだ。目を凝らしてよくよく見ると、写真が変わっている。
 校舎の姿は無くなり、写真いっぱいに白い姿の人影のようなものがずらりと並んでこちらを見ていた。
 私は驚いて、上司にその写真を見せる。
「これ、なんかおかしくないですか。なんなんですか、この写真」
「んー? ほんまやなぁ。なんやろなこれ」
 その写真は、もう校舎の姿は写さなかった。
 本当に自分がしたことは霊を追い出したことになったのだろうか、と不安になりつつも、次に頼まれた時には絶対に断ろうと心に誓った。

 目が覚めた。

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