夜中にラブレターは書かない
平凡で穏やかな日常だ。春めいてきた。
いざ何かを文章に認めようとしても、私の思考は相変わらずとっ散らかっていてまとまりようがない。
もはや誰かに語り聞かせるような言葉の連なりなど皆無。己の納得と満足のためにただ、連ねるのみ。
ラブレターは夜中に書かないほうが良いらしい。
判断能力の低下によって、適切な言い回しが思い浮かばないからか。感情が昂り、おおよそナルシシズムに満ちた言葉の羅列になるからか。
子供の頃、ラブレターを書く機会があった。まだ、携帯を満足に皆が持てていない時代だ。
あれはクリスマスだったか。バレンタインだったか。あまりよく覚えていないけれど、カードだか手紙だかを押し付ける作戦を立てていた。
ああいうのは私一人で考案することではない。周囲の友人らが良かれと思い助言してくれたことを、ただ律儀に守ったに過ぎない。
結果、どのようなラブレターが仕上がったのかも覚えていないが、ドラマティックな妄想と解釈にまみれた、とても人にはお見せできない代物だったように思う。
正直なところ、受け取った本人は心底気味悪がったろうに思う。
さらに言うと、このラブレターとやらは時間をかけてじっくりと書くものらしい。
果たして、スマホやそれに付随するサービスが進化した今現在において、手書きで丹精込めてラブレターを認めるようなことが今後先あるだろうか。
あるとすれば、一体どのように書き記すものなのだろう。
お話にはきちんとした筋道と、緻密な構成が必要なように思う。
ひとまず、相手に対して感じる感情や想いをひたすら書き殴るのが良いか。
それらを分類分けして、相応しい言葉を選び、語感から文章を再構築するのか。
何やら大層な論文が出来上がるかもしれない。
冒頭には英語によるアブスト(アブストラクト)も必要になってくるかもしれない。きちんと文末には参考文献を挙げて。
……ちょっと待って。
適当に書いていたら妙な文章になってきた。
どうかと思う。
とっ散らかり方が雑なのだ。
本当は何も書きたくなんてなかった。
noteが目に入ったのだ。何か、書かねばと思った。
脳内はすっかりおやすみモードだ。
夜中に書くべきじゃないのはラブレターもさることながら、こう言った取り止めのない文章も含むだろうと思う。
後日見返して頭を抱えるが良い。
おわり。
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