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徳川天一坊俥読みレポート 千穐楽

ちょっと投稿が遅くなったけど、連続五日間、台風もあったけど無事通えて全力で楽しめたので最後の感想を書いていく。

「越前切腹の場」春陽

折しも越前守は切腹を覚悟し、十一歳の息子とともに死を遂げようとしていた。というのも、吉宗から登城の命令があったが、病気が治ったというとなぜ再調べが進んでいないのかと言われてしまうし、病気だからと嘘をつき続けて登城しないにしても主君の命令に反することになってしまうので切腹するしかないということらしい。そんな理不尽な、と現代の感覚では思ってしまうが、当人らは真剣である。自分も死なせてくれと首に短刀を突き立てようとする妻を止めて、刀を取り落としてしまう息子の手に手を添えてやり、いざ切腹しようとしたところで駆ける足音が迫ってきて、それは白石と吉田のものだった。紀州調べの結果を聞くと越前守は伊豆守のもとへ向かう。

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大丈夫だと分かっていても、切腹のシーンの緊張感はすごかった。妻は死んではだめで息子は死ななければならないというのはやはりこの時代は男女の差が歴然としていると思った。幼い子どもの腹に刀を突き立てなければならない父もつらいし、それを目の前で見届けなければならない母もあまりにもつらい。この息子がしっかりしていて健気だから尚更である。分かっていても、白石たちが帰ってきてほっとした。

「伊豆味噌」阿久鯉

無事「偽ご落胤」であることは発覚したものの、既に大坂城代、京都所司代、老中たちはご落胤と認めており、普通にいくと彼らは責を負い切腹しなけらばならないことになる。伊豆守に紀州調べの結果を伝えた越前守は、実際は自分一人が天一坊を怪しみ再調べを提案したのに、老中たちも皆天一坊に不審な点があると考えていたということにすることによって重役たちの命を守ろうとした。その後、越前守は登城するが、普通は身分が上の伊豆守が先に行くところを二人並んで登城することになり、しかも伊豆守が越前守の機嫌を取りながら行くという相当珍しい光景が見られた。吉宗に対しても紀州調べの結果を報告するが、ここでもうまく説明して越前守は老中たちを守った。

越前守の手下の白石は天一坊旅館に行くと、再調べの結果天一坊を正式にご落胤と認め、翌日吉宗に見えることができると伝えた。ようやくこのときが来たとほくそ笑む伊賀之亮たちと、天一坊旅館を出てうまく騙せたとにやりとする白石。

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出来事についてどうストーリーを描いて、どう論理付けるかによって沙汰が変わってくるというようなお役所の世界は現代と一緒だなと思った。そして伊豆守はすっかり三流の感じを醸していて滑稽だった。

「龍の夢」伯山

無事ご落胤だと認められて吉宗に会うことになった天一坊らは能を鑑賞する。なんだかんだ教養ある悪人たちの中で唯一、天一坊だけが山育ちの無風流で能などはよく分からず、それまでの緊張が解けたのも相俟ってつい居眠りしてしまう。そこで彼が見たのは自身が龍になってしまう夢で、その夢の中で龍になるのはいけないと角を自らへし折ったという。夢占いのできる者によれば中国では龍の夢は吉兆であるということだったが、一人伊賀之亮はこの夢の不穏さに気づいていた。曰く、なるほど龍は吉兆であるが天一坊は自分でその角を折ったのだから彼は龍になれない=ご落胤になれない。追い詰められたことを悟った伊賀之亮はその晩に赤川大膳のみを呼んでそのことを打ち明けると、五人の中で比較的罪の軽い自分たちだけでも、お縄になるのではなく武士らしく果てようと提案する。

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夢で全てを悟るというのは象徴的で物語として面白いけど、やっぱりちょっと現代の感覚と違うなという感じはある。現代人の場合、教養があって論理的な人は夢と現実をそこまで結びつけて考えないからだろう。あとは、後ろ暗いところがあると繊細に悪い兆しを悟ってしまうのだろうか。

「召し捕り」阿久鯉

翌日、いよいよその日がやってきた。天一坊と常楽院と藤井左京は江戸城へと向かい、伊賀之亮と赤川大膳は天一坊旅館に留まった。彼らの下で働いていた者たちに暇を出すため大金を配ると、赤川はふと逃げられるのではないかと思いつく。しかし江戸城下は門が閉められ陸からの逃走も不可、海側に関しても追手が張り巡らされどうしようもない状態。屋根の上に上がった赤川は油をかけられて滑り落ちるとあっさり捕まってしまう。伊賀之亮は天一坊旅館で切腹した。江戸城に向かった天一坊は、上がった座敷の襖の奥に「源氏坊改行」の文字があるのを見て驚いていると、郷里の村の名主がそこにいた。昔の名前を呼ばれてもうしらを切ることもできない状況に追い込まれると、ついに屈服してお縄になる。

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読み始めるときに阿久鯉さんが、召し捕りは本当に面白くないから期待せずにリラックスして聴いてほしいというようなことを言っていて、それを踏まえて聴いたからか普通に面白かった。この連続物は天一坊の話でありながら、途中から伊賀之亮が頭脳を発揮しまくり、感情の発露も多く主人公感を強めに発していたので、最後の最後に主人公の天一坊が派手にやられてくれてスカッとした。

五日間を終えて

何度も書いたように平日の夜二時間半を五日間に渡って費やすのは大変だった。しかし特に四日目と五日目は怒涛の展開でとても満足感あるものだったし、一人の講談師が支配する空間に五百人でどっぷり浸かり続けるという時間はやはり贅沢なものだった。五日間も同じメンバーで過ごすわけだから、なんとなく他のお客さんの顔も覚えてくるし、五百人の空気感が日に日に熟成していく感がある。そして、派手な面白さがあるわけではない部分も含めて物語全体を全力で楽しむというのは寄席にはない連続物の魅力だ。加えて今回は俥読みだったため、登場人物たちのキャラが演者によって変わる面白さや、聴くときの心持ちが演者によって変わる自分側の変化までも含めて楽しむことができた。本当に良い機会で、行けてよかったなと思う。

最後の最後にちょっとだけ文句を

パンフレットを買えなかったのが心残りだった。初日に会場に着いてみたらグッズ売り場に長蛇の列ができていて、珍しいなと思っていたら今回はパンフレットがあるということだった。鼎談や詳しいあらすじ、人物相関図が載っているということで、だったらほしいなと思ったのだが、初日の仲入りでトイレに行って戻ったらもっと長蛇の列になっていてこれは並べないなと思って断念。そしたら仲入り後に伯山が言うことには三百部売り切れたとのこと。二日目、パンフレットの増刷が決まったことが発表され、八十冊の増刷分が千穐楽の日に間に合うとのことだった。千穐楽の日に買えるなら全てが終わってから思い出しながら楽しく読むことができるだろうと期待していた。しかし、いざ千穐楽に行ってみると、開場三分後くらいに着いたのだが既に追加分が売り切れていた。

こうなった背景として、以前別の公演でパンフレットが全然売れなかったというのがあるらしい。なるほど確かに普通の公演では有料のパンフレットは来場者全員が買うものではなく、五百人に対して三百八十というのは妥当に思える。しかし、今回の公演は平日夜の連続物にのこのこ通うようなガチ勢しか来ていない。千穐楽の開場三分後の衝撃は私だけが味わったのではなく、同じタイミングで到着した人も同じ表情をしていた。今後、連続物でハイクオリティなパンフレットを作ったときは是非ともたくさん刷っていただきたい。なんならチケット代に加算してもらって、全員に配ってくれても良い。

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