不動明王滝取材&恵贈御礼
秘境・洞川村→龍神村の取材備忘録
奈良 吉野の龍神伝説が根強い洞川村へ。
山伏であり地元の有名人案内役・増谷氏と
不動明王に纏わる伝説を巡り、時々、自然観察会。
夜20時にはクラブハウス飛び入り参加しました。 https://www.joinclubhouse.com/event/MOBEaNyL
役小角と熊楠の話が出来て楽しかったです。またいずれ機会あれば。
お宿の自家製梅酒が美味しく、すっかり酔っ払ってましたが、ご清聴感謝!
龍神信仰も関わる龍泉寺で、朝から八代龍王堂内で読経を聴き一心に合掌。
カワツツジの可憐さに笑み零れ、
熊野の源流にもなっている山上川のほとりの水を呑み、身体を清めます。
不動尊の龍王滝は冬に凍り、毎年かならず龍の鱗があらわれると案内役の方に写真を見せて貰いました。
うーむ、龍が岩場にしがみついてとぐろを巻いてるように見える。
真っ白に泡立っては静かに夢になってゆく暴れ滝を見ながら、泡の跳ねるさまが、まさに龍の鱗片であることに気付き、夢中でシャッターを切りました。
身体をくねらせて水浴びをする神獣。
なんと力強く美しい光景でしょうか。
国または村を持つその地に降り立つ独特の神
(例えばアイヌの山にはnupurikorkamui……山を持つ神(熊)と nupuripakorkamui……山の東を持つ神(狼)などがあるそうです。
ふくろうは熊、狼の次におかれます。
kotankorkamuiは山の神。
普段は沈着いて、眼をつぶってばかりいて、よっぽど大変な事のある時でなければ眼を開かない。)
というものは、全て自然が根底なことは百も承知でありますが、実際に体観するということは何百の本を読むよりも仔細に諒解出来ます。
恐らく熊楠もこうして毎日瞑想していたのでしょう。
神仏習合の地・洞川に鎮座する神々は、ここに住む人々がそうであるように、お互いを認めあい、決して心を離さず、常に子供たちや自然を見守りつつも、大事があれば苔むす森の奥から鳴いて(そういえば「雷」は「神が鳴る」が語源ですね)まばゆく降り立つ。
神に願掛けを重ねて重ねて溢れ出す欲望を捧げる
のではなく、
神に寄り添い禁忌に触れぬ為に
己を律する手段として神仏を崇める。のです。
それは古来から伝わってきた、ほんとうの、修験の姿でありました。
理性を尽くせ、理性を超えた先の無量光の真理へ。
洞川は洞川という国でした。
車で移動し、和歌山へ。
雨が降っており、粘菌観察は断念。
その代わりヒバゴケのなかまを幾つか採取。
龍神村のスカイタワーで地元の方から聞いた「この地域の人しか知らないが子供の時から読む絵本」の話に興味を持ちました。
なんと!そのまま電話で掛け合っていただき、情報を得たので、次回やることも決まりつつ🎶
龍蔵寺で一休みさせて頂きました。
辮財天様が常に傍に居たようで、魂が地上から切り離され宙に浮いているようになり、冷静に空から物事を見直し、そのお陰で昔の自分と対話出来ました。
いま、無性に絵が描きとう御座います。
絵を描いている時と自然の中で放心する時は非常に似ていて
名前も身体も手放して、ほろほろと感情を落とせば、キャンバス(墓標または大地)が拾って、私を溶かして再生してくれるような。
私の中の龍が脱皮して、白く白く何処までも飛んでゆくような、愛しさの中に慟哭めいたものを感じるのです。
人は死ぬ時に多分、休めることに安堵するんじゃないでしょうか(したいな)それに似ている。
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《御礼》
長田区長の増田さんと呑んだ時、ご厚意で頂いた本です、有難うございます。私は変形菌の取扱説明書(川上先生監修)をプレゼント。クシャクシャになってしまい、すみません。
古代~近代までの地名の由来に伝説、遺跡もこんなに沢山あったんや!と眼から鱗の情報満載です。制作にも使えそうなヒントがたくさんありました。
長田区役所まちづくり課で、税込500円で販売されているそうです。地元民に限らず、歴史好きなら1冊持っておきたいですね。
喫緊の課題として、次回の5月の展示までに読み終えたい本を食べてきます。