人間はどこから壊れていくか?

2017年4月号全障研兵庫支部の機関誌から。
少し背景を。2017年1月に『アメリカの教室に入ってみた』(ひとなる書房)という私にとって初の単著を出したのだけど,そのあとが大変だった事情を書いたもの。無理しすぎるとよくないですねぇ。しかし,あと一歩無理してたら,閾値を超えるとこでした。あぶなかった。。。

以下,本文。
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人間はどこから壊れていくか?

中年になっても,いろいろな「はじめて」を体験するものですね。つい最近も「はじめて」が,我が身におこりました。

1月上旬から3月下旬までの間,本や論文がまったく読めなくなりました。正確に言えば,文字は追えるのですが,まったく頭に入ってこないのです。特に,私にとって新しい内容が書いている本は,まったくのお手上げです。
自分でも不思議でした。授業はできますし,講演もできますし,飲み会も普通(?)に参加しています。気分も悪くない。でも,なぜか,本や論文だけが,面白いくらいに頭にさっぱりはいってこないのです。さらに,論文や本も全く書けなくなりました。

でも,不思議です。日常生活は普通なのに,「本を読む」「論文を書く」という,新しいことを学ぶ・生み出すという「創造的」な部分が完全に欠落してしまったのです。

最初は,なぜ?という感じでしたが,理由がわかってきました。忙しすぎたのです。忙しさの渦中にいるときはわからないのですが,そのときは,普通に夜中の1時や2時,ときに4時まで,大学で仕事をしていました。楽しい仕事でしたので,ストレスは感じていなかったのですが,今思うと異常ですね。仕事がひと段落した後,「創造性」欠落症候群が出てきました。

この事実に気づいてからは,あせって本を読むことはやめ,とにかく早く帰り,ゆっくりすることだけを心がけました。その結果,今は,本を読める!という当たり前の,でも,うれしい状態に戻りました。もし,あのまま仕事を長時間続けていたらと思うとぞっとします。

人間は,どこから壊れていくのでしょうか。人によって様々でしょう。ただ,少なくとも私の場合は,「不眠」「感情の落ち込み」ではなく「創造性」でした。新たなことを吸収する・考える・生み出すことができるのは,人間らしいゆったりした生活があってこそなのだと体感しました。

いま,「学校=ブラック企業化」がやっと注目されるようになってきました。労働条件の悪化は,教師の家庭生活を壊すだけでなく,教師の創造性の芽を摘み,結果として,教室空間を陳腐なものにしてしまうなぁ,と我が身の「はじめて」を通して感じる今日この頃です。

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