見出し画像

農業はスポーツだ!②

農的幸福論:藤本敏夫

 「農」と「食」の現場を生命連鎖の流れの中でつなぎ合わせると「生活者」という生身の人間がそっくりそのまま見えてくるのだ。       「消費者」は「生産者」と連携することによって「生活者」という「実像」つまりは「現実」に自らを脱皮させる。「消費者」には「生産者」が必要なのだ。

 「消費者」が「生活者」になるためには「生産者」との関係を要求する。「消費者」は「生産者」を通して表現され「生産者」は「消費者を通して表現される。そして、その表現された統一の場にいるのが「生活者」たる生身の僕達なのだ。

「採取・狩猟・飼育・栽培」

 少年時代に必要なことは、「空腹」と「疲労」の体験とともに、「作る現場」現場への限りなき接近である。「作る現場」とは、一つは食材そのものの生産現場、つまりは農林水産業の現場であり、もう一つの作る現場は料理をつくる現場、要はお母さんの台所ということだ。

 近代という次代の特色は、「巨大化」「分業化」「平均化」で、全世界あまねくこの3つの特色が普遍化することが二千年に至る世紀末世界の流れであった。資本主義経済は、この「巨大化」「分業化」「平均化」を推し進める最適のマシーンであって、ちまたで言われる「グローバリゼーション」とはこの動きを指している。

 「食」と「食の前段行為」が僕たちの心と身体を形作っているということであり、この行為の日常的な反復が僕たちの人間として体型、性格を導いていくことになる。

 食の前段行為、採取・狩猟・飼育・栽培を日常的に体験し得ないことによって生ずる問題とは何だろうか?

 それは採取・狩猟・飼育・栽培という行為が青年期に何らかの形で、その人の言動として表出されているということである。幼年時代、少年時代にそれらの体験を行い得なかった子供たちは青年期以降に、その行為に走ることになるという。そして、その時の行為は社会的には犯罪行為として表現されざるを得ないという。

 数百万年の間、人間の全生活を規定し、心と身体を作ってきた食の前段行為は深層心理の最古層から順番に「採取」「狩猟」「飼育」「栽培」と縦に積み重ねられて、その一番上層部に前頭葉が乗るという構造となる。

 幼年時代、少年時代に日常の生活や遊びの中で、擬似的にせよ、「採取・狩猟・飼育・栽培」を体験し、遺伝子と生理機能を満足させたものは、最上部の前頭葉を跳ね除けて採集的、狩猟的、飼育的、栽培的行為が暴力的に表出することはない。

 学校の教育は、知識教育であって生命教育ではない。生命観や道徳心を育むのは、家庭や地域社会であって学校の教育ではないのだ。

 生命観は、理屈で身につくというものではない。生命教育は「ねばならない」という理念の脅迫によって行われるものではなく、「なるべくしてなっている」という無強制のの強制によって行われるべきものなのだ。遊びこそ。その最高の場であり、知らず知らずのうちに子供たちが生命の何たるか
を学ぶ舞台なのだ。

 「食べる」ということは「殺す」ということなのだ。この殺しが「食」と連続性をもって認識されるとき、子供たちの精神世界に深い生命観が根を張ることとなる。

 僕たちは、他の生物を殺すことなくして「食べる」という行為を成就できない存在だということ。
 この思いを少年時代に感ずる事ができるかどうか、これが重要なのだ。「殺し」こそ究極の生命教育だということを知らねばならない。
この「殺し」の一点に、人間全ての問題、すべての矛盾の原点があると言ってもいいと思う。

 少年時代に「殺し」の体験をしておくこと。結局、人間は他の生き物を殺さなければ生きることのできない業の深い存在だということを、幼年、少年時代にそれとなくわきまえてしまうこと。長い人生を行きてゆくにあたって、これほど、大事な幼年、少年時代の儀式はない。
 遊びの中で、それらの儀式を卒業して、生命連鎖、食物連鎖こそが僕たちのアイデンティティであることを学び、「流れ」の中にある真実に目覚めてゆくことになるのである。
 

 次に待つ世界は、まさに自己責任の問われる疾風怒濤の青年時代なのだ。
この生命連鎖の中で、初めて人間は自ら自身の存在証明を感じ取るわけです。

 人は、存在証明さえなされれば何でもできる。自らの存在証明を求めて、新しい共同体を模索しているのが現代人ではないだろうか。人の生き方、働き方はもっと多様であっていい。
 新しいライフスタイル、労働観、さらには共同体までも生み出せるのではにだろうか。


食べ物とエネルギーの「自給ごっこ」をしましょう!           =農業はスポーツだ!

 「50%」を自給することを目指しそのことを楽しみ、もし「50%」が可能になったら自慢しよう。
 食べ物とエネルギーというのは、人間の生活において決定的です。もしも半分自給できたら凄いことですし、安心感も凄いと思うのです。こういう自己能力の開発やそのことを楽しむ感覚というのは今の若者にかなり浸透しているのではないでしょうか。
 ポジショニングというのはとても大事なことです。時代の中での自分の位置を知らせてくれるものというのはとても魅力的だし啓蒙的なんです。自分のポジションが分かれば次にミッションが分かってくる。つまり自分の使命役割が見えてくるのです。
 そうした人たちのため無数の「場」を作っていきましょう。そこでは時間と空間だけはふんだんにあります。
 「時間と空間」これさえ提供できれば何とかなります。時間と空間にはあらゆる可能性が詰まっています。その時間と空間を使って自己能力を開発していくのです。
 そして、基本にはあくまで農的生活があるのです。

令和2年1月15日 赤木弘喜(抜粋まとめ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?