「華開く!ぐんまの縄文文化」を見に岩宿博物館へ。 2020.7
「それを見てどうなるの?」会社等で土器に興味の薄い人に予定を聞かれた時に『土器を見に行く』と言うと、大抵言われる一言である。まあ普通に興味の強い人はあった事はないが。
研究をしている訳でもなくマニアでも詳しくも無いので、特に見てどうという訳でもない。ミーハー、でも行く。正直このコロナ感染拡大の中をちょっと離れた場所に電車を乗り継ぎしていくのはイヤだ。でも行く、明日が最後なので。
今どこもそうだが、施設入館時は非接触型の体温計で体温を計る。平熱が35度しかないので職員の方に『低っ』と、言われる事が多いが、誰かと体温情報を共有するなんて一年前に言ったら信じてもらえないが、2020年の夏はもう常識。
岩宿博物館の体温計は大きくまるで測量計のようであった。もちろん入館時には連絡先も記入で、病院の問診票の如く手間がかかってしょうがない新常識の世界へようこそようこ。ここに来るのに東武桐生線の阿左美駅から雨の中アホみたいに歩いてきてしまった(もっと近いと思ったのだ)。
その国道沿いには”発熱運転×””検温しよう”などのド直球スローガンの立て看板が目に入り群馬県の意識向上のやり方に少々面食らった。それだけ接する東京方面には警戒心が強い。まあ東京も連日200人越えなんてたるんでいるから、もう街中にド直球スローガンの立て看板くらい貼りだせばいいのに。
博物館入館がOKになると、出迎えてくれるのは職員手作りの古代の鹿の実物大の模型だ。なるほど大きい。エゾシカよりちょっと大きいくらいか。
ナウマン象といい古代人は大きい生物を食べるのが大好き。気持ち的に満足感も大きいのだろうか。外にある”岩宿人の広場”には古代人がマンモスの骨で作ったと云う家の模型が展示されていたので入館前に見ておいた。古代人の知識が『はじめ人間ギャートルス』で止まっているので、あのファミリーが住んでいる姿しか想像できない。骨で組んで革で包む家なんてワイルドが過ぎるぜ。
企画展「華開く!ぐんまの縄文文化」は、そんなに広くもないスペースに土器ぎっしり。今まで見た縄文土器と言えば火焰式土器だが、展示されていたお初お目にかかる焼町土器は大きかった。バケツくらいはありそう。ぐるぐるした柄の中にもひまわりの中心部のような丸い部分がありアクセントになっている。渋川、みなかみの土器には丸いアクセントは無く線で構成されもっとスマートな印象を受ける。ああ素敵、何でソフトクリームのコーンにしないのか!この造形。
伊勢宮遺跡の下はあっさり、上部だけに強い装飾があるのも面白い。しかし並べないから分からないが、新潟の火焰式土器と比べるとちょっと大きい。古代人同士の集落ネットワークは分からないが、何故に生活には不必要と思える器を造り続けてそれぞれの場所に伝わったのだろうか。祭祀用といえばソレまでだが、ただじゃ済まないぐねぐね造形に対する作り手の爪痕を勝手に感じてしまうよ。
勝手な想像だが、ご飯を探すより優先するより熱意があったのには違いない。何も分からなくても造った現物はある。だから土器を見に行く。ぐねぐね造形にいろいろ勝手に感じ取りたい。
今回は撮影禁止(画像は図録より)で残念だけど、撮影を許可する事の弊害もあるのかもしれないと考える。土器の展示は”子供むけ”と記されることもあるが寧ろ大人が想像の宇宙に没頭する楽しさがあるので、それを見てどうなるの?とは言わずに是非わざわざ見に行って欲しい。別にどうもならないが楽しいから。
博物館の前に岩宿ドームも寄った。ここは知らなかったが日本列島で初めて旧石器時代の文化が発掘された場所らしい。へええ。
無料でビデオを見て写真パネルと遺跡の地層の展示を見て説明はなし。自習のようで凄い割には感激は薄くなりがち。立派な施設を造った所で止まっているよう。
多少お金を払っても説明は欲しいかも知れない。情熱ある説明により意外にも見る目線というのは変わりがちなものだから。
しかし地層の展示をみると通常の家を建てる際に3m程掘ったら、そこは1万年前の地層と知るとグッと身近に感じる。タワマンの基礎とか何万年前の地層までボーリングしているのだろうか。そこまで掘削する技術を持ってから分かる事もある。貴重な古代の資料も廃土の中にあるかも。確かめようが無いが勿体ないな。