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今なら少しは分かること
RADのお師匠に
そんな時は公園に行くといい、そして一本、自分がいいと思う木を探して見つけたら、木を抱きしめて、木肌に耳や頬を当てて暫くジイッとしていたらいいと
マイツリーを見つけるといいと
何年か前に教えてもらった
RADが刺さる
そんな時だから、多分今以上に中2が全開で、涙がこぼれ落ちないようにちょっと斜め上みて生きてた季節だったんだと思う
あ、これスキヤキソングの擦りだな。この前全米ナンバーワンソングの話をしたから思い出したんだ。
結局完全なオリジナルってのは難しい。
自分が思いついた思うことも実は散々誰かに擦り散らかされて使い古された表現だったりするから
新大陸発見コロンブスみたいにドヤ顔して、後世にクスクス笑われぬよう謙虚であらねばと思う。
RADの師匠だ、選球眼に狂いはない
全幅の信頼を寄せて、ハイわかりましたと
近所の恩賜公園にチャリを漕いで園内をうろつき、一本の木を見つけてぐるりと腕を回して身体を預けてみた
が、何も起こらない。
ハラハラ涙が流れて止まらないとか
自然と自分の境目が曖昧になるような一体感を覚えたとか
少なくとも癒やしクライは得られると期待していたけど
犬のウンコ踏んじゃうし
虫がプンプン飛ぶのが耳障りだし
ちっとも世界に入り込めないしで
今日もミッション失敗したドロンジョ一味みたいにスゴスゴ引き返す
嗚咽と慟哭乾かぬ渦中、悲しみの最中に居すぎて心が宙を旋回して地に足が着かない。
大地と交信するだけの集中力もないんかなあと
時は過ぎ
腑に落ちない自分を抱え続けて
今なら少しは分かる気がする
木を抱きしめろは比喩的な意味で
人との関係に疲れ果てた時には
人で自分を満たそうとせずに
人から離れて
自然で自分を満たしてみたらって
私たちの都会の暮らしは余りにも無機質で、人間関係だけが唯一無二の関係だ
けれど本来の太古からの暮らしでは、人間は自然の中で自然の一部として摂理に従って生きてきたはずだ
人間太古の時間の方がずっと長いんだぜ。こんなシャレオツver.はつい最近で、現代人は遺伝子的にはバグってるんだぜ笑
だから人間関係が全てのこの都市の暮らしは異様なんだ
人間が自然と結ぶ関係性の復権
繰り返し寄せては返す波
潮騒を聞きながら
スコオシ塩ッパイ風に吹かれて
沈む夕陽を眺めるとき
月明かりに照らされ
夜風に吹かれて
ギターに合わせて
tears in heavenを口ずさみ
お湯にあたってノボセタ身体を冷やすとき
金色の稲穂の海の中を
ゲコゲコ泣き始めた蛙の鳴き声聞きながら
鎌を片手にくの字に腰曲げて
ヨタヨタ泥濘に足を奪われ稲を刈るとき
東京で暮らしていては絶対にない安堵感というか、何かに優しく包まれる感覚。それは自然が私に与えてくれるもので、無口だけど絶対的で安定的で母性的な何かだ。
対人関係そのものには手をつけず
自然で自分を満たすだけで
人との付き合い方が変わるよって
多分RADWIMPSの師匠は伝えようとしてくれたんじゃないかと
編み物を始めた夜にふと思う
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