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看破

空気読まない分、丸尾くん並にズバリ本質を見抜く才能がある長女が、サラリという。

ー母親は、ママが獲得したアイデンティティだったんだよ。

ーぐう。

ぐうの音も出ない。まさか、自分の娘に見抜かれるとは。自分でも言語化できていないことを!

先日、わが家に遊びに来た可愛いお客さんに

ーチコサン、母親になるのって、大変ですか?
とリスか子鹿のようなツブラナ瞳で聞かれる。

ーえ?もうお母さんになる心配?まだ結婚もしてないのに?順番がちがくない?笑

子供を産み落としたその日に、自分の中の母性のスイッチが、神託を受けたモーゼのように、菩提樹の下のブッタのように、ワカリマシタと神々しいレベルで入ったのがハッキリ分かったこと

それまでも子供が好きとか、待望の赤ちゃんというわけでもなく、これ程母性が強いとは自他共に驚きだったこと

鮭が出産を終えてボロボロになって役目を全うするのに近い、動物的な使命を果たしたような充足感が妊娠出産のプロセスにあったこと

生まれて初めて自分にしかできないことをやり遂げた気がして、爪痕この世に残せたからもう死んでもいいや、でもこの子を育て上げるまでは死ねないやと、死んでもいいと死ぬわけにはいかないが同居する不思議な夜だったことをポツリポツリ話す。

この話は、娘等の誕生日の鉄板なので笑、彼女らにしたら毎年耳にタコとイカが出来るくらい聞かされている話なんだろうけど笑

長女がそう言ったのは初めてだった。

母親はママがずっと望んで探して、やっとみつけたアイデンティティ。だからハマッた。(私が大学受験や就職でアイデンティティを確立に失敗してることは告解済み涙)
パパは既にミュージシャンというアイデンティティを手にしていたから、父親アイデンティティは不要不急笑。タグはもうついているから、新に欲してもいない。だから、ママがそうしたようにはパパは父親アイデンティティを身に纏うことはなかった。それがママは不満だった。

ダンサーのTさんYさん夫婦も、既にダンサーや表現者としての自分のアイデンティティを持っているから、父親母親としてのタグは取り付く島もない。父親母親である前に既にダンサーなんだと思うと。



ほ 

いやあ、我が娘ながら、お見事。看破とはこう言うことだ。ご名答。

私が母性が強いわけじゃない。そういう話じゃなくて、私は自分はまだ何ものでもないと言う劣等感や不全感、不完全燃焼感を、母親であると言う錦の御旗を手にして、アイデンティティにしたてたんだ!だから、母親は凄く居心地が良くて座りが良くて、ハマッたんだ。

ガラガラと何かが瓦解するというか
走馬燈がまたクルクル回り出す笑

最近よく走馬燈が回るなあ笑

危ないところだ
私が母親であることとアイデンティティを同一視し続けたら、子供らも親を捨てられないし巣立てない、私も子育てを終われない!互いに互いを互いの存在理由にする恐怖ったら!

芯を食う言葉。通底する概念。そういうのが見えるのは、裸の王様を指さしたのが少年であったように、年齢じゃない。感性と理性と知性÷3。

身の回りのお世話役を終える季節、母親としてのある役割の区切りを前に、アイデンティティと絡めて見直すことができたのは、何よりのギフトで、若い感性の人たちに感謝する夜に。

ふう⤵。
また、アイデンティティ探しの旅に?笑。アイデン&ティティを読み直そうかしら。助けてー三浦先生!



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