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話題の水先案内人は

ひと月ほどの短い期間の事業所のお手伝いを
知人の知人に頼んで来ていただいていた

福祉業界は慢性的な人手不足で
何十万単位で募集の広告を打っても
ナシの飛礫
おひとりの採用にも至らないことも珍しくはない

そんななか
短い期間
こちらの都合に合わせて
来ていただける方には
もう神かと手を合わせて拝みたい位だ

人がいないから
お手伝いいただいたわけで
ギリギリの職員で日中の活動を行って
必要最小限の情報のやり取りしかできず
殆ど全く個人的なことをお話しする余裕がなかった

いくら仕事とはいえ
人しか介在しない特殊な仕事でもあるし
個人的な関心事を共有して
互いの人となりを知っていくことは
仕事以前の、人間関係の基礎だと思ってしまう私は
古いのかもしれない

最後に少しだけ時間が取れて
その方は二科展の理事をなさっている
バリバリの現役作家さんと
お聞きしていたので
岡本太郎展とタローマンのことを
話題に水を向ける

すると

僕は岡本太郎には詳しくはないし
タローマンのことも初めて知ったのですが、
僕の師匠が、岡本太郎さんの弟子でしたから
僕も長い目で見れば
岡本太郎の孫弟子ということに
なるのかもしれませんね

といって、パリ留学時代の岡本太郎のことや
勿論太陽の塔を始めとする作品のこと
養女で実質の妻だった岡本敏子さんとは
親しく交友があったことなどを

か、か、寡黙な方ではなかったんですね
という勢いでお話ししてくださった

ああ、釈迦に説法をしてしまった
やべえ。

と思いながら、話題を転換しようと
それでも画家というステータス以上には
存じ上げなかったので
その界隈で話題をと

そういえば~この間、長野でですね
碌山美術館ってところにいったんですけどね

どうみても、絶対、
どっかで見たことあるって
脳みそが痒くなる
向かい合う二人の女の人のブロンズがあったんです

暫く考えて
これを中三修学旅行の十和田湖で見た気がする
でもなんで長野の碌山美術館にあるんだろう

とモヤっていたら
何のことはない、プレートに
乙女の像 高村幸太郎 十和田湖畔
って書いてある訳です

あああ、ブロンズってのは鋳型だから
作品の価値を低めない程度には
量産が可能ってことだ!!!と

齢五十にして気づいたんです

って

ちょっと自虐と

碌山の最後の作品
女の像は
不倫相手を模していたからか
本人は完成後ぶち壊そうとしていたけど
高村光太郎が羽交い絞めにして止めたから
現存していて
いま重要文化財に指定されているんです

後世の判断する作品の価値と
本人の制作物に対する思いって
全然比例していないんですね
オモシロいなあって
東京に戻ってきても
頭から離れないんです。その像のことが。


遠い目でお話しすると

しばらくその方、ジッとお考えになって

実はですね
僕、二年ほど前に彫刻に転向したんです。

二科展って大きな団体の
最年少理事だったんですけどね
最年少ってのを受け入れないサロンって言うんですかね
喧々諤々やりあうのにね
ものすごいエネルギー割かれるんです

そんなことに使うくらいならって
二科展辞めましてね
新しいことにチャレンジしようって
彫刻をやりはじめているんです

えええ
彫刻ですか!?

羊毛で彫刻を作っています

よ、よ、よ、羊毛??
あのフワフワのですよね

そうです。
見ますか?
これこの前の展示です

おおおお、これ、羊毛でできているんですか?
不思議です
固いもの、重いものっていう先入観があるものが
軽くてフワフワのものでできていると思うと
脳内バグります
おおお、面白いですね!

ええ、本来ならこの時期は二科展に向けた会議で
忙しいんです。でもそういうわけで辞めまして時間ができたので
こうやって、お仕事のお手伝いもできて、僕も勉強になりました笑

そんな伏流水があって
こうやってひと月お手伝いいただけたとは露木茂
いや露知らずにおりました
本当にお話しできてよかったですし
お手伝いしていただいてありがたかったです。

振った話題話題が
オモシロいように互いの琴線に触れながら
展開していくのを
不思議な気持ちで聞いていた

その話を帰宅して長女に言ったら
ああ、無知って怖いね、恥を知らないって怖いね
ガチのプロの専門家に
岡本太郎知っていますかーなんて
ママにしか聞けないよ
ニワカだから度胸だけはあるけど
相手がやさしかったからね、
話し合わせてくれただけだよ
ママ、自分が勘がいいとか
間違っても思っちゃいけないヤツだからね

釘を刺された(ブー)

これだから理系はツマンナイ笑

次回の展示是非ご案内ください。
万難を排して馳せ参じます!



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