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指をひとつ、つまはじく間に60数えるもの(改題)


表情は何らかの内側の情動を表すものだとしたら、それは何をシニフィエするのか、二十代の頃からずっとその表情に惹きつけられていた。

運慶の金剛仁王像の阿吽の表情に憤怒に。彌勒菩薩像の、柔和な全てを包括し宇宙を見つめているような表情に。カレーの市民の全身から滲み出る嘆きに。彫刻は一瞬を永遠に切り取って、見る人に強い印象を残す。

あまりにも有名だけど、モナリザも表情から読み取れない謎の感情が永遠に人を惹きつけるのだと思う。何もないは全てあると1番近い。

何かを思いつめたような

酷く苦しそうな

怒ったような

今にも叫び出しそうな

日常ではみたことのない表情

何なんだろうあれはとずっと考えていた

オトコノヒトガイクトキノ ソノヒョウジョウ ヲ

ずっとって、20年以上だよ笑

鈍いのか気が長いのか、バカなのか、アタマ狂ってるのか

その一部なのか全部なのか分からないけど

1日どっぷり音楽の海に溺れ、ギターの弦をつまはじく動きが眼窩に焼きついたのか

昨日ふと閃いた

あれは、刹那だ

あれが刹那の表情だ

女の人には刹那はない。だからずっと分からなかったんだと思う。分かるようになったってことは、私はオバさんからオジサンに移行しているのだろうか?ハイブリッド?笑。

刹那は仏語で時間の最小単位。指をつまはじく間に60または65の刹那があるそうだ。つまりギターの弦をつま弾くその間に60の刹那を数えることになる。はて60進法なのか?

刹那とギターと音楽と時間と。なかなか良いところに着地した。フェス効果はまだ持続中。


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