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ヤギさんのこと

私に何か書けるとしたら
障害のある人やそのご家族と長く接してきたことで
関わらせてもらった
ほんの僅かに垣間見せてもらった
人生を書き置くことじゃないかと思う

八木さんは七人兄弟の末っ子で
寅さんみたいな年齢不詳な風のような人だった
昔は本当に兄弟が多かったんだなあ
一番上のお姉さんが既に鬼籍に入られたご両親に代わって
親代わり
面倒を見てこられた

休みの日にバッタリと団地の公園で出くわす

おう赤毛さん!
この辺に住んでるの?
いいよ、お茶で!

へ?いいよって?いきなり何?笑
まだ招待するとも何とも言ってないけど?笑

『参ったな、今日は仕事じゃないしな
なんて言って断ろうかな
公私は分けなくっちゃ
お互いのためによくないし...』

なんてブツブツ頭ン中で巡らしながら
まだ保育園児だった二人の娘と買い物袋を両手に下げて
家に向かって歩く

持ってあげるよ
重そうだから

いいよお
『このままでは相手の術中にはまってしまう!!!』

一つ持ってあげるよ

なんて狐とタヌキの化かし合いを続けながら
気づけば玄関前苦笑

お茶でいいからね
そういいながら、ドアをあけてズカズカと
勝手知ったる他人の家に上がり込む笑

もうしょうがないなあ負けたわ
苦笑いして、他人の背中を追いかけて自分ちに上がる笑

ママ―誰ーあのおじさん
家に入っていったよー誰―知らない人だよー

ああ、八木さんはママの作業所の利用者さんだよ。
きっと近くに住んでいるんだね。
ママとちょっとお話ししに来たんだ。

なかなか狭い家だねえ笑
ミカンでいいよ

ご招待した覚えもないんですけどね!
何のお構いもできませんけど
よかったら、ミカンでもどうぞ!

うん、美味しいねこのミカン
お茶でいいよ

今お湯沸かしてるわい!

そんな気の置けないやりとりをしながら
なんのことはないことをおしゃべりして

お姉ちゃんと喧嘩でもしたの?

うん

帰りにくいんだ?

うん

じゃあ、一緒に帰ってあげるよ
怒らないでくださいってお姉ちゃんに頼んどくからさ
とりあえず、家には入れてもらえると思うよ
でもその後多分怒られるからさ
まあそこは頑張ってよ

うん お願い

喧嘩して家を飛び出してあてどなく歩いているときに
バッタリ赤毛に会ったみたいだった

それ以来
突然インターホンを鳴らしては
お茶でいいよと
自らガチャリと玄関の扉を開けてウチに上がり込んでは
ミカンでいいよと
勝手にミカンを剥き始めて
美味しいねこのミカンと三個くらいペロッと食べちゃって

しばらくして
一緒に帰ろうか?と声をかけると
うん
と癒し役に2人の保育園児連れて
お姉ちゃんに代わりに謝って八木さんのお家まで送っていった

八木さんは本当に寅さんみたいに出奔癖があって
時折何かに呼ばれるのか
ママチャリで走り始めたら止まらなくなって
群馬だか栃木で無銭飲食して警察のお世話になったところを
お姉ちゃんがお迎えに行ったり
時折ふらあっと旅の空に誘われる人だった
だから、お姉ちゃんは心配で心配で
お迎えに行くのもお姉ちゃんで
もう心配させないでっていつも怒っていた

お姉ちゃんの気持ちになったらそうだと思うし
八木さんの気持ちになったら
自転車こいで気持ちよくなったらそのまま漕ぎ続けたくなるのも
そうだと思うから
いつも私は何も言えない

ただお家まで送っていくだけ
お茶を入れてミカンを出すだけ

当たり前のことだけど誰でも年を取る
お姉ちゃんは八木さんよりも先に年を取って
もうまたいなくなるんじゃないかと心配に耐えられない
島根だ、群馬だ、秋田だってお迎えに行く体力もないと
近くだと陸続きだとまたいなくなってしまうからもしれないと

島にある入所施設に八木さんは入ることになった

ずううっと面倒を見てきたお姉さんが決めたことだから
それはそうするよりほかに選択肢はなかったと思う
少なくとも私に何か言うことはできなかった

そして八木さんは島に海を渡った

職員の方に後から聞いた話では
八木さんはやっぱり何度も何度も施設から脱走して
帰ろうとしたのか、
イマココでないところに行こうとしたのか
それはわかないけれど
いつも船着き場の港の岸壁のところで
職員さんやお巡りさんに発見されて
スゴスゴと施設に戻ったという

そしてある大雨の降る日に八木さんはやっぱり
施設を抜け出して
やっぱり海岸で立ち尽くしていて
ずぶ濡れになって保護されて
そして風邪をひいたことが遠因で肺炎を併発して
スウと静かに息を引き取ってしまったという

入所して数か月のことだったと思う
あまりに突然の知らせに
ウソ、としか言葉にならずに
悲しいとかそんな感情すら伴わなくて
驚いたのを覚えている

雨の降る春の日には
岸壁で八木さんは何を見ていたのかなあ
もっとみかんだけじゃなくて
お接待すればよかったなあ
早く返そうとした自分のワガママさを思う

休みの日にインターホンが鳴ると

ヤギさんがきたヤギさんがきたと
小躍りしていた娘たちもすっかり大きくなり
一緒に暮らしていた彼も今はいなくて

あの部屋からも引っ越してしまったけれど
近くを通るたびに探してしまう
あの日の八木さんの笑顔を





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