そして鍋になる。
めっきり寒くなって来た。
そんな体感的な理由からか、夕飯は自然と鍋になる。
「何故、あなたは鍋を食べるのですか?」という問いが来たら、まずは台所が寒いという話をしなければならない。薄っぺらいマットが一枚だけ敷かれたフローリング。そんな足場の冷たい場所に私は長居なんてしたくないのだ。
仕事帰りにスーパーへ寄って食材を買い、帰宅してすぐさま調理に取り掛かる。料理が完成するまでおおよそ20分ぐらい。ほとんど煮るだけの料理が失敗するなんてことは、まず起きないと言っていい。
そもそも『今日、夕飯どうしよう』と考えている時の脳のメモリリソースが無駄に大き過ぎるのが厄介なのだ。それが鍋を作れば3日は考えずに済むのである。結婚している男性は、そんな些末な事で頭を悩ませないのかもしれないが、誰かを養えるほどの余裕なんてないのが現状。もし、あったとしてもを夕飯を用意してくれる嫁さんなんて、それだけで希少価値が高い。それに共働きでどうしても夕飯が用意できない場合もあるかもしれないから、働いている奥さんのためにも料理のスキル、せめて鍋料理ぐらいは身につけておくべきだろう。
男子厨房に入らず。そんな亭主関白で生きていける人間はきっと限られているし、気がミノムシ並に小さい自分には土台無理な話なのだ。
まぁ、結婚する気なんてのは心底ないのだが、いつまでも独り身でいるのも世間的には問題があるのかもしれない。
そんな至極どうでもいい結婚や世間の荒波について考えながら、アルミ鍋に水と鍋の素を入れ、コンロに火をつけた。ピーラーで皮を取って刻んだ人参、ざく切りして水で洗った白菜、根元を切ってバラバラにしたエノキダケを次々に放り込んでいく。エプロンで手の水滴を拭い、鍋を温めているガス台にに手をかざして暖を取る。祭壇で火を崇める儀式の様に、五徳に乗った鍋をぐつぐつと煮込んでいく。
今夜食べる分だけの豚肉を入れて、よく熱が通るようかき混ぜる。余計な灰汁をおたまで取り除けば、鍋料理が出来上がるのである。
そんなこんなで料理が出来るのと同時に、足がすっかり冷たくなってしまっていた。
靴下を二枚重ねているのにも関わらず、台所の凍てついたフローリングは体温を容赦なく奪っていく。こんなんじゃナンガパルバットでとても生き残れそうにない。対策として厚いマットを買うべきか。それともスリッパか。ルームシューズなんてのもあるらしいが、炬燵に入る時いちいち脱ぐのが面倒だ。ずぼらな性格。それが災いして肉体を無意味に犠牲にしているとは解ってはいる。解ってはいるのだけれど、現状維持からなかなか抜け出せないでいる。
どんぶりによそった鍋とご飯を炬燵に置いて、どてらを羽織り、両手をしっかり合わせ食べ始める。
ああ、白菜がうまい。人参がうまい。肉がうまい。誰にも邪魔されず幸せを頬張り、鍋を独り占めにする。心も身体も次第に暖まっていく。
今度はモツ鍋にしようか。それとも牡蠣鍋にしようか。白子もいいかもしれない。そうだ、一晩昆布を水につけて出汁を取ってみよう。と、鍋料理の豊富なラインナップに思いを馳せていく。
アンコウ鍋は家でも出来るだろうか。それともお店で食べられる場所を探そうか。いや、値が張るから手軽にアンコウ鍋のセットを買ってみて挑戦してみるか。
いやいや、そんな贅沢な料理を自分なんかがしていいのだろうか。こんな幸せを味わっていいのだろうか。満足してしまっていいのだろうか。ああ、鍋がうまい。買ってきたホエー豚が兎に角うまいのだ。
独りどうでもいい問答をして、ふと我に返り、寂しく夕食を終える。
最近、体重がやや増えた気がする。高カロリーで炬燵から少しも動かない生活が続いているから当たり前といえば当たり前である。
ぐうたらした幸せから逃れることが出来ず、お猪口に注いだ純米酒をグビリと喉に流し込み、冬の至福の時間を今日も過ごしている。
そして、明日も鍋になる。