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二年

二年経ちました。大学を中退し地元に戻りフリーターになってから二年が経ちました。

その二年は長く苦しいものでしたが中身がなく、それ故に振り返るとあっという間だった気もします。

何もしていません。貯金もありません。資格を取るなど何か将来につながることなんて持っての他です。普通免許は取りました。

二年前実家に帰ってきたとき小6だった弟は次の4月から中学二年生になります。おそらく人生の中でも濃く思い出に残る時間を過ごしていることでしょう。休日にはよく2人でゲームして遊ぶのですが、その間も俺と弟では流れている時間が違うような感覚に囚われることがあります。二年前、失意の中にいた自分に生きる糧をくれた「にじさんじ」も二周年を迎えました。彼らはこの2年で無名の集団から全国ライブツアーを行う集団へと成長して見せました。それを見たとき時間の重さを感じ、何か書かねばと思いました。

およそ二年前、自分の人生で最高の幸せな時間を過ごすことができました。最後の脚本演出をした舞台。あれほどまでに恵まれた環境で自分がモノを作ることは二度とないでしょう。自分の理想そのままを舞台にして悔いの残らないよう力を注ぎました。結果として理想は現実になり観客にも恵まれ最高の大好きな舞台ができあがり悔いなど一つも残りませんでした。残ったのは何も得なかった自分でした。

あのときの脚本が着想を得てから形になるまでにかかった時間も二年ほどだったと記憶しています。その次の二年間では何も書けませんでした。悔いもなければ世の中に何かを訴えたい熱い思いもない。できるならこのまま平穏に老いてそのときを迎えたい。そんな風に考えています。

幸せなことにそんな自分にもお芝居のことで頼ってくれる人は何人もいて、友人や知人から「またお芝居やらないの」「脚本書いてよ」と言っていただけることも多く本当に幸せなことだと感じています。

何も思いつきません。ごめんなさい。


「将来の夢」には大きく二種類あると考えています。

一つは「◯◯になる」。職業や地位を志す夢です。ここにはその職業で居続けることがおそらく含まれています。生活がある。

もう一つは「△△したい」。これはその一瞬の願望。どこかに行きたいとか。ここに生活はありません。その後のことなど無いのです。

自分に将来の夢など一度もあったことはないですが、仮にあったとしてそこに生活はないような気がします。向いてないんです。

いつからか覚えていませんが、誰かの記憶に残りたいという願望があります。忘れられたくないんです。例えば、5分ほどのショートアニメは5分ほどで終わります。その5分はその作品に関わる多くの人間の20年30年それ以上に長い時間が集まった末の5分だと思うんです。俺はその5分を絶対に忘れたくない。

芝居はよく記憶に残ります。少なくとも俺は、高校生の頃にコンクールで見た他校の芝居を覚えています。小劇場に観に行った役者たちの顔、息遣い、あの距離でしかわからないことが思い出せます。だから俺はきっと小劇場が好きだったんだと思います。

もし俺のことを忘れても俺が関わった作品のことを誰かが覚えていてほしいとよく思います。それだけで十分。

そしてこの願望に生活はありません。活動を「続ける」という願望が初めから無かったみたいです。

暗い話になってしまいました。ただの近況報告でした。

良かったらまた会ってください。話したいことがたくさんあります。お礼を言いたいこととかオススメしたい作品とかそんなことがたくさんあります。

それじゃ


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