ギフトピア所感

もっとも尊敬しているPSの「moon」。そのスタッフやプロデューサーが後に発売したのがGCのギフトピア

かねてから自分の手でやりたかったこのゲームを先日の秋葉原で買い、エンディングを迎えた昨晩まで夢中になって遊んでいた。ネタバレガンガンするよ

簡単なあらすじ→ 舞台となるナナシ島では大人になるための「大人式」が開かれこの式典に参加することで島の大人として認められる。しかし主人公ポックルは当日の朝に精霊が夢に出てきて寝坊してしまう。大人式をボイコットしたと思われた主人公は投獄されてしまう。このままでは生涯こどものまま。そこで主人公はもう一度大人式を開いてもらうために必要な経費500万マネを集め始める。しかしそこにもう1人島で唯一大人式をしていない爺さんジギーと出会う。彼曰く「金を稼いだから大人になるなどちゃんちゃら可笑しい」とのこと。島の住民と交流し苦難を乗り越えてこそ大人になれるという。彼の助言をもとにポックルは人々のネガイを叶え始める。大人になるにはどうしたらいいんだろう。という話

雑感としては「めちゃくちゃ楽しかったけどエンディングが残念」といった感じでした。ストーリーの運び方は一旦置くとしてラストの一連のイベントに関して一切操作させてくれなかったことがとても残念でした。「大人になる」ことの結論の出ぬまま島のみんなの安否もわからず溶岩に飲まれていくナナシ島を眺めるしかない状況。シマウラにいけば何かドンデン返しやテンジン様の真実、大人にしかいけない場所とはなんなのかという疑問の答えなどが明かされるかと思いきやそれも特になく「これで終わりなの!?真エンディング別にあるでしょ!」と思いすぐに調べたがそんなものはなかった。

エンディングに至るまでに島を巡る時間はとても楽しものだった。FMから次はどの曲が流れるんだろうとワクワクしながら朝起きて、タオに餌をあげて恋人のキャッピーに会いに行くところから始まる毎日。島の住民のテキスト量も膨大で新しいアイテムを手に入れたら住民に見せびらかして反応を見たり、時には意外な反応がもらえたり。マネ不足に悩まされてまともな老人福祉も成り立っていなかったり、地震が起きてざわついたりネガティブな側面を見せられてハラハラすることもあった。なにより無軌道なこのゲームがどこに向かっていくのか、イベントの数々が大人になるために必要なものだとしたら大人とはなんなのか。大人になってしまったら何が起きるのか。そんなことを考えながらプレイしていた。

一晩経ってエンディングのイベントを思い返すとそこまで悪いものではない気もしてくる。何もしない主人公が周りから「大人の顔になった」と言われるシーン。まずあれだけ大人式をしなければと言って聞かなかった島民たちが主人公の顔を見て彼は大人になったのだと考えを改めていること。それまで会話中に2つあった選択肢が1つしかなくなっていたこと。この選択肢が難しくて、ぶっちゃけそんなこと全然思ってないよ!?みたいな言葉なんだけどそれを言わないとこの場が進まない。これが空気を読む大人だと言いたいのだろうか。

あれから島がどうなったのか誰が生き残ったのか分かりもしないけど恋人とずっと一緒にいることを誓い幕を閉じる。

ここまで考えて思い至ったこととして、このゲームは大人になることの意義を問うものではなくもしかしたら「大人になることは面白くないことだ」と言いたいのではないかということ。ぶっちゃけあんなに面白い道中を作り上げた人たちがあのエンディングを素直に面白いものだと作るとは思えない。本来大人になるべきだった日に寝坊というくだらない理由で大人になれなかった主人公が本来なかったはずの子供の時間を謳歌する、という作品なのではないか。子供の時間の方が楽しいぞ、と言いたいのではないか。その楽しい時間を過ごすうちに様々な経験して人は気がつけば大人になってしまうということなのか。そう考えるとしっくりきた。

大人という題材が広いのでこうやって解釈できてしまう。遊んだ人間がどう解釈しようが自由だがこうやって無理に美化しようとするのもどうかと思う。昨今の世間のツイッターなどを見ているとそう思う。作者の意図と違った方向で妄想が膨らみ勝手に名作にされてしまうのは良いやら悪いやら。少なくともファンが無理に盛り上げているところは側から見てあまり気持ちのいいものではないよね。これは自分の所感についての感想です。

ともあれギフトピア超面白かったのは事実。時間があればお金を貯める方のエンディングも見に行きたいな。お金を貯めるの普通にめっちゃ時間かかって大変だから大変なんだよな。おしまい

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