20年後のおジャ魔女どれみ

なにから綴るべきでしょうか。去年の冬、一気見しました。

ずーーっと気にはなってるけどなかなか手を出すに至れない作品ってあると思うんですが、俺にとってそのひとつが「おジャ魔女どれみ」でした。

元々は20周年記念映画が気になっていたのでそのために序盤だけでも見とけばいいかなくらいのモチベだったんですが、気が付けば一か月半くらいでテレビシリーズ4年分+OVA13話を見ていました。

自分に向けての備忘録的な意味合いも込めて、おジャ魔女のことを書いていこうかなと思います。


『おジャ魔女どれみ』1999/2/7 - 2000/1/30

小学校三年生の春風どれみちゃんが、思わぬきっかけで「魔女見習い」になることから始まります。

この番組について話すうえで外すわけにいかないのはオープニングの「おジャ魔女カーニバル‼」。曲自体は昔から散々ニコニコ動画で聞かされてきたものの、実際のOP映像を見たことすらなかったんだなと気づかされたりしました。毎週日曜の朝にあんなに力強いOPで始まっていたんだと思うとそれだけでかっこいいし、それだけで毎週テレビを見てしまいそう。実際、自分が一気見できたのもシリーズ通してOP・EDが魅力的であったことがかなり大きかったように思います。

オープニングのなかでどれみちゃんのクラスメイト達が映るカットめちゃくちゃ好きです。見始めたときはたくさんいてよくわからないクラスメイト達が、見終わるころには一年かけた描写の積み重ねの末に全員の顔と名前、それに付随するエピソードが自然と分かるようになってるんです。それぞれの家庭環境にまつわる悩みや教室での何気ないやり取りで、単発のエピソードだけでは描写しきれない深みをもってクラスメイトを見ることができて、まるで自分がクラスの一員であるかのような愛着すらわいてきます。俺はわいてきました。

メインの魔女見習いである三人について考えるとき、キーになるのは家庭環境なんじゃないかなと思います。アニメに限らず、その人物に両親がいるかいないかの問題はその人物の成長課題を示す役割がある、とどっかの本で勉強しました。それに当てはまる作品は媒体を問わず幅広く見受けられ、おジャ魔女でも各エピソードの中心になる子どもとその家庭が一緒に出てくることが多いなという印象でした。(ざっくりいうと、例えば男の子向けのアニメで父親がなんらかの理由でいないことが多いのは、主人公がその父親のかわりになれるよう成長する必要があることを暗に示している、みたいな感じです。逆に成長のいらない日常系の作品だと両親が揃っていることがほとんど、のはず。)

見ている子供たちにもきっと色んな子がいて、その全員が「おジャ魔女どれみ」の中に居場所があるような、そんな工夫がされていたように感じています。『魔女見習いをさがして』でも男性のおジャ魔女ファンが登場して「ああ自分もこの映画見てていいんだな」と安心できた思い出があります。

どれみちゃんやはづきちゃん、あいちゃんに共感してもいい、憧れてもいい、シナリオはとても手堅く作られていると同時に、大切な部分は受け取り手に委ねるような優しさがありました。

劇中には子ども、オトナ、先生、魔女界の女王様、とか色んな人たちが登場しますが、問題の発生から解決までのあらゆることが見ている子供たちの目線に立って作られていて、決して子供だましではない子供向けアニメとして素晴らしい作品だとつくづく感じさせられます。

シリーズが続くにつれみんな成長して、どれみちゃんたちも最後には小学校6年生になるんですが、そうなると一度解決した悩みが3年越しにもう一度出てきたり、解決の仕方も年相応のものに変わっていったりするんです。そういった変化を感じられるのは、長いシリーズの強みなのかなと思います。

ほんとはもっと細かいエピソードの話もあるんですが、一年目に関してはこのくらいで。また続き書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?