指トリガーに拘泥する馬鹿らしさ:創作のための戦訓講義41


事例概要

発端

※新ドラマ『新空港占拠』の一場面で指摘。

※「銃のトリガーに指をかけない」とはよく指摘されるが、あくまで安全のためなのでまさに戦闘中や脅迫の場面では撃つ必要があるため指をかけるのでは? という指摘。

反応

※指トリガー警察の指摘に疲弊した制作側が何の考えもなく指を伸ばすようにしている可能性はある。たださらにこういう指摘をするのはあんまり指トリガー警察と変わらない気もする。

※ちなみに取り上げられているのは『仮面ライダーゼロワン』。実銃もちょくちょく出てきて、それらの装備も割に本格的に整えられていた作品。

※年代的な指摘もある。まあとどのつまり製作陣がどこを重視し、その結果どこを軽視せざるを得ないかという話でもあるのだろうが。

当時の私見

※ちなみにここで言及した異世界ミステリは以下の作品。かなりあれな言及だったのでSNSでは明言を避けた。当該作品に対する個人的な問題の指摘も以下のレビューにある通り。

個人見解

 ファンタジーにおけるジャガトマ警察、ミリタリにおける指トリガー警察など、創作物には事情通を気取る人間が指摘する問題が決まっている。事情通のくせに皆尋常一様に同じ問題しか指摘しない時点でお察しだが。

 今回の件は製作陣がそういう指摘にうんざりしたのか……というよりは、単にそういう指摘をぼんやり聞いていて、製作陣も演者も「まあそんなもんか」で素通りした結果、というのが実情に沿うような気がする。制作側、特に天下のテレビ局が素人側の意見をそこまで深刻に受け入れるとは思いにくいので。この辺は完全に偏見混じりだが。

 確かに「神は細部に宿る」と言うように、細かい部分を突き詰めることは作品の完成度を上げ、鑑賞者をより深く世界観に没入させる効果がある。ただ制作側のリソースは個人であれ集団であれ有限だし、そもそも細部の追及は最終段階の仕事である。細部はどこまでいっても細部である以上、優先順位は主要な部分に比べれば落ちる。製作陣が重要視しなければ、テロを扱う作品とて銃器の扱いがおざなりになること自体はあるだろう。

 それの良し悪しは、結局作品そのものの完成度と鑑賞者の態度による。作品の完成度が高ければ気にならないか、「銃の扱いも丁寧にすればよりよかったのに」となるだろう。逆に完成度が低ければもう全部気になってそのひとつになるか、「そんなんだから銃の扱いも酷いんだな」となるだろう。だがいずれにせよ、鑑賞者の指摘の中の一部でしかない。当該作品を見て銃の扱いだけに言及するやつは、そもそも作品の適切な鑑賞者ではない。

 またそもそも、作品において細部は面白さのためのダイナミズムのためにはどうでもいいし、あえて大々的に投げ出してもいいはずだ。優先順位の問題として、細部など主要な部分の面白さと斬新さの前には無視していい。ワンピースでエネルとルフィが戦ったとき、エネルの無敵に近い雷の力がゴム人間のルフィに効かないと判明するシーンのカタルシスは強いが、そのためなら実はゴムは電気を通さないというのは正確な知識ではないという細かさは無視していい。創作はそういうフィールドだと言える。

 それがいつからか細かい部分ばかりに気を取られるようになってしまった。その結果が上記の異世界ミステリで、「異世界だから現実で使う単位は使わないよね」とばかりに無駄な単位や時間の表し方をするが、そもそもそれは作品においてなんら本質ではない。明確な単位を必要とする表現をしなければいいだけなのに。そしてヒロインの存在について叙述トリック的な扱いをするが、それもまた作品の本質ではないのに「ミステリは地の分で嘘をつかないよね」とばかりにそれだけを墨守して、結果胡乱な言い回ししかせずに読者からすればバレバレの秘密を守ろうとする。

 作品において大事なのはダイナミズムだ。既存の作品の価値観や概念を突き崩す発想こそが重要であって、細部はそのダイナミズムを損なわない範囲で突き詰めればいい。細部を突き詰めることこそを重視するのは明らかに本末転倒だろう。それこそ重厚な世界観が重要視されるファンタジーやSFでもない限りは。それらの作品だってダイナミズムは重要だろうし。

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