ジャスコテック・ノート

ここでは、あれこれの楽曲をかかげ、「これがジャスコテック」であると早急に名指すことや弁別的特徴をあげることはひかえ、いかにジャスコテックが成り立つか、いくつかの構成要素を引き出したいと思います。

ジャスコは浸透する

まず、ジャスコテックはその名の通り、場所の音楽です。ジャンルとしての音楽がこれまでも地名の名を冠してきたことはありました。フィラデルフィア、デトロイト、シカゴ等です。楽曲単位に視線を移すと、数えきれないほどになります。
一方、ジャスコはスーパーのブランド名です。地名のように、一つの場所に結びついてはいない。1970年以降、企業の明確な出店計画のもと全国展開が目指され、しばしば比較的広大な土地に、その時代ごとにおそらく大抵は似通った施設が建てられてきました。ジャスコテックの源流をその施設内で流れるBGMに求めるとするなら、定義上、それらは「そこ」でしか聞けない音楽ではなく、「どこでも」耳にする音楽なのです。特定の地域や集団に縛られない共時多発的なフォークソング、民謡と言えるかもしれません。ジャスコが遍在する不動産であったことが、その想起を潜在的に全国的に可能にしています。加えて、JUSCOはJapan United Stores COmpanyの略称であることも忘れてはならないでしょう。各地の店舗が(合衆国の州のように)連合しつつも、一つの企業に属しているというわけです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/過去に存在したジャスコの店舗

ジャスコは二度死ぬ

ジャスコテックという名称の定着の開始は2012年に遡ると言われています。奇妙なことに、ジャスコというブランドそのものは2011年3月経営統合により拡大停止を余儀なくされ、国内では翌々年に消滅しています。そして、ジャスコテックに焦点をあてたイベント/パーティ、Tokyo Jusco Nightは2014年に開始しています。これらのことは何を意味しているのでしょうか。ジャンルとしてのジャスコテックは、ブランドとしてのジャスコの衰退とともに生まれ、ジャスコの不在によってもたらされる幻想によって駆動してきたと言えはしないでしょうか。それゆえ、そこに時々ノスタルジアが入り込む余地があるのです。もとよりジャスコの店舗内で流れる音楽が一種のフォークソングであると法人が主張してきたわけではなく、消費者の側が後になり想起することによってフォークソングとして認識されるようになった。その前後を取り違えてはならないでしょう。最初期のジャスコテックの先導者たちはジャスコの死を予感した者だったのです。

http://tokyo-jusco-night.tumblr.com/post/139481593160/

ジャスコテックはパラサイトする

パラサイト(parasite)、という言葉があります。「○○が××にパラサイトしている」と表現すれば、あまり聞こえはよくないかもしれませんが、私は肯定的にジャスコテックはジャスコにパラサイトしている、と言えると思います。
paraという接頭辞には、「近い」「疑似」「超えた」といった意味があります。ジャスコテックはsite(場所)に寄り添い、siteを偽装し、siteを超えるのです。

* siteには「遺跡」や「(事件)現場」という意味もある

前述のように、ジャスコテックはその始源において、店舗内のBGMからインスピレーションを受け取っていましたし、現在もその参照点は消えていないはずです。ただし、ここではそれらのBGMの音楽的特徴よりも、用途が重要であると指摘したいと思います。
その音楽は何のためにある(あった)か。販売促進とブランドの維持のため、です。より直接的な表現を用いるなら、BGMは(防犯的役割といった他の側面も考えられなくはないとはいえ)既存の商品およびブランドのプロモーションのために存在する、広告そのものなのです。そして、店内BGMもまた売買される商品です。
ジャスコテックは既存の商品にパラサイトするという意味で、ひじょうに広告的です。TV番組、映画、ゲーム、アイドル等々、過去の産業構造が用意してきた(売ってきた)商品がしばしば発見の対象とされます。そして、それらの商品そのものは現在では消滅しているか、変質してしまっている。それゆえに、「ジャスコ」の名と同じように、各自の幻想が強められるのです。
また、広告的という点で、ジャスコテックはナードコア(ジャンルの定義はここでは措きます)と接点を持つと言えるでしょう。後者では、アニメ、特撮、アダルトビデオ、TVCMが「ネタ」になることがあります(時には、時事がインスピレーションを与えることもある)。利益関係を全く介さない、非相互的なタイアップを結んでいると表現してもよいかもしれません。これらのあらゆるネタはナードコアにとってのメディアであり、基本的に国内のなかでホットな時に用いられ、共有されるのに対して、ジャスコテックのメディアはより過去に求められる傾向があります(いつまでも昔に遡れるわけではなく、辿ることができて1970年代ではないでしょうか)。

ジャスコテックは自問する

それではジャスコテックは国外の誰かと共有することはできるでしょうか。私はかつてジャスコテックをインダストリアル・ミュージックの一種と考えたことがありました。ジャスコと同じような、スーパーやシッピングモールが世界に存在してきたことに期待をすることができるかもしれません。漠然とした想起に頼らず、ジャスコテックを言語化し翻訳することができるでしょうか。Vaporwaveという接点を介して伝達することができるかもしれません。

……。


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