Interview with Tim Follin (2011)

Original Text: Interview with Tim Follin by Marcus Vinicius Garrett Chiado and Richard Atkinson

以下のインタヴューはTim Follinとブラジルの雑誌『Jogos 80』のMarcus Vinicius Garrett Chiadoとの間でe-mailによってとりおこなわれた。質問の一部は私[Richard Atkinson]が提供したものである。

http://www.jogos80.com.br/

1) David Whittakerや、Ben Daglish、Chris Hülsbeckといった一部のよく知られたゲームミュージック・コンポーザーもやり手でしたけれど、Follinさん、あなたに代わる人はいませんでした。私見では、あなたはめざましい/流れを読んだ(climatic)曲を作曲し傑出した仕事をされたと思います。ともかく、あなたはまさしく、きわめて制約の多いサウンドチップを文字通り「炸裂させる」ことができた人でした! つまりです、どんな風にしてあなたはそんなことをやれたんでしょう? 他の人々では絶対に無理であろうメロディ、サウンド・パターン、シーケンスをどうやって「見つけること」ができたんでしょう?

えーと、まず初めに、身に余る賛辞をどうもありがとう! 自分のやり方が違っているのは、音楽やバンドでの演奏、家でのレコーディング等々に関心があったのに、実際にはコンピュータ・プログラミングと少々のサウンド・プログラムへの別個の関心を通じてヴィデオゲーム・ミュージックに入り込んだという点じゃないかと、ここ何年か他のヴィデオゲーム・コンポーザーに話してきたように思う。だから作曲し始めた時は、本物の楽器は一切使わなかったし、ミュージック・シーケンサーや、あるいはそれに近いものさえ何一つ使わなかった。僕はただマシンコード・コンパイラを使っていただけ。ノート[音符]で入力することさえしなかった――数の配列をただ単に入力していただけなんだ。一例をあげるなら、「42, 100」と入力した場合は、「42」はノートを、「100」は1秒当たりの周期数を示す音長(UKでは、25が1秒になる)を表すことになるというわけ。だから僕は自分が今打ち込んでいるキーやテンポが何かまるでわからなかった。でもそれは、実質的にはもっとクロマテッィクにものを考えられることを意味していたし、思いつきのキーチェンジを好む自分にはぴったりだったんだ! また僕が思うに、一つには、あらかじめ考えておいた音楽アイデアを何も持ち込むことがなくて、例えばピアノないしはギターで作業したあるアイデアを変換しようと試みるというよりはむしろ、何であれそのチップで上手く響くものを自分が打ち込んでいたということに、そのようにした理由があるように思う。それでもやはりティン・ホイッスルやオカリナのような楽器に耳を傾けることから着想を得ていたよ。理由としては、それらが作りだすのがC64で再現することが容易な、基本的にはサイン波に似た音だった上に、モノフォニックの楽器だったことからC64のたった一つのチャンネルで再現することが可能だったからだね。僕はまたフォーク・ミュージシャンによって用いられている演奏スタイルも好きだった。トウィドルや短いアルペジオもみな同じく、再現するには比較的簡単だった。そういうわけで僕はヴィデオゲーム・ミュージックに対してきわめてプラグマティックなやり方をしていたんだと思う。

2) Follinさん、あなたの音楽的影響はどういったものなんでしょう? プログレッシヴ・ロックがお好きですよね? お気に入りのバンドやミュージシャンの名前を挙げていただけないでしょうか。エレクトロニック・ミュージックもお好きですか?

生憎だけど、君の言うとおりだよ! 当時の僕の音楽的影響はほぼプログレ、それに加えて単純明快なロックだった。アイデアの多くは初期のGenesisやYesのレコードからパクったもので、またJethro Tullからはたんまり拝借させてもらった。フォークロック的な要素は多分彼に由来するものだ。Led ZeppelinやBlack Sabbathのファンだったこともあったし、思うにSNES用の曲を作り始めた時は彼らからもっと影響を受けたんじゃないかな。エレクトロニック・ミュージックに関してだけど、最近になってVangelisを何曲か聴いてみて、彼からの影響も自分にとっていかに大きかったか思い知らされた。彼は僕が聴いて育ったエレクトロニック・ミュージックを制作していたんだ。おそらく常日頃聴いているあらゆるレコードの端々が、結局はその人の作曲するものになるんだろう。

3) Follinさん、当時の作曲プロセスについて教えていただけませんか? ゲームの流れを読み取った「雰囲気」をどうやって「捉えて」いたのでしょう? ZX Spectrumや、C64、Amiga、Atari STといったさまざまなマシンのためにどうやって作曲をしていたのでしょうか――例えばGhouls´n´ Ghostsのように、[複数のハードウェアで]時にはまったく同じタイトル曲を打ち込まれていますよね。ついでながら、以上のシステムのなかで、作曲するのに、また作業するのに「容易な」ものはどれでしたか?

そのゲームの正しい「フィール」を得るための僕のやり方は、全く単純そのものだった。ただ制作ミーティングに出席して、ゲームが実現しようとしているもののフィールを掴んで、思考やアイデアのトリガを引いたら、僕はそれにしたがうんだ。うまくいかないのでない限りはね。その場合は諦めて、また一から始めるんだ! さまざまなフォーマットで作曲していることに関してだけど、実のところ、いつもそんなに上出来だったと僕は思っていない。そもそもAmigaを最大限に活用できたという気がしないんだ。いつも作曲するにはきつかったし、それにきわめて小さなサンプルを使わなければいけならい上に、まともに使用するにはチャンネルの数も少な過ぎて、制約だらけに感じていたよ。SNESの曲を打ち込むのも大いに楽しかったけど、今でもC64が一番だったと僕は考えている。いつもC64は至極真っ当な制約と本当に温かみのある音を備えているように思えたんだ。

4) 私の間違いでなければ、あなたは専用のサウンドチップなど一切備わっていない「ありのままの」ZX Spectrum 48コンピュータを用いて、最大で5、6チャンネルの音楽をかき鳴らすことができました。Follinさん、どうやってそんなことができたんです? ミュージック・ソフトウェア/ドライバもあなたがデザインしたのでしょうか?

それこそが僕がヴィデオゲーム・ミュージックをどうやって打ち込み始めたにかかわっているんだ! 14歳のころ、クリスマスプレゼントでSpectrumを手に入れるやすぐに僕はプログラミングに関心を持つようになった。なぜかと言って、僕の兄も同様にプログラミングを先に始めていたんだ。彼がマシンコード・コンパイラを僕に手ほどきしてくれると、すぐさまそれにのめり込んでいった。Spectrumで粗の目立つサンプリングされたスピーチを耳にすると虜になって、内蔵スピーカーを制御できればそれを使って単純な「ビープ」よりももっと多くのものを作り出せるに違いないと考えたことを覚えている。その後、内蔵スピーカーを使ってできるのは、あるステートから別のステート[オンとオフ]へと切り替えるだけで、振幅設定さえ存在しないことを僕は発見した。したがって、BASIC[Spectrumに搭載されたSinclair BASIC]では、さまざまな周波数で「ビープ」を鳴らすことしかできなかった――マシンコードの上ではあるステートから別のステートへと、定められた周波数でビープを切り替えていたに過ぎない。そうして僕はまず、周波数全体を同一に保ちながら、オンとオフの間を切り替える時間を連続的に変化させることによって、「フェージングのかかった」音を作りだせることを発見したんだ。これを使って僕は1曲打ち込んだ。結局それは、Star Firebirdsというゲームに兄が打ち込んだものが使われたんだけどね(彼は当時、地元の小さなヴィデオゲーム会社[Insight Software]に勤めていた)。次に僕はさまざまな周波数でクリック音を作りだす実験をした。するとすぐにさまざまな周波数で同時にいくつかのクリック音を生じさせられることに気がついた。それが4チャンネルの、後には5チャンネルのサウンド・プログラムへと至ったんだ。僕はこのトリックを、粗の目立つ3チャンネルの専用チップ[AY-3-8910/8912]を搭載したSpectrum 128kが出てくるまで、相当数のいろいろなSpectrum用ゲームに利用した。その時までには、プログラムが作りだす「ブンブンうなる」音(‘buzz’ sound)には飽き飽きして、新しいサウンドチップを喜び勇んで利用していた。本当に基本的な、安っぽいドアチャイムのような音質だったけれど! 僕はそのサウンドチップのために基本的なサウンド・ドライバをプログラムしたんだけど、それ以降はSoftware Creationsに勤めて、「本物の」プログラマが自分のために、たくさん役に立つミュージック・ドライバをプログラムしてくれるというぜいたくを与ることになった。しかし、それらドライバには、ノートの間をスライドさせる「ポルタメント」や「ヴィブラート」、定められた速度(rate)で2、3のノートの間を自動的に変化させる「ウォブル」のような便利なエフェクトをいくつか備えてはいたけれど、結局サウンドチップのために打ち込むことを止めるまで、僕はシーケンサーにノートを入力するのではなく、依然として相も変わらずコンパイラに数の配列を入力していたんだ!

5) 同様にSpectrumに関する質問です。あなたのトラックは大変水際だった独特の、「特色ある」音を備えているように思います。そのことに関して何かコメントをいただけませんか? 48 Kbの[メモリを積んだ]Speccyは80年代中期にブラジルで非公式にリリースされました。こちらではとても人気があったんです。

そのことは、きっと僕の特別なサウンド・ドライバに由来するものだろう。気の確かな人なら誰もそれを使わなかったに違いないよ!

6) 私の最も大好きなクラシック・コンピュータであるCommodore 64に関してです。音楽制作には、いつも同じマシンを用いていましたか? C64コンピュータはいくつかの異なったヴァージョンのSIDチップが内蔵されていて、それぞれが他とは若干違った風に音が鳴るものでしたよね。そのことにどう折り合いをつけていましたか?

僕は実際のC64を、コンパイラ・ソフトェアのついた「Einstein」[Tatung Einstein]という名のPC風の「開発」マシンと接続して用いていた。このシステムがどういうものだったかというと、データをEinsteinに入力して、「コンパイル」ボタンを押すと、ほぼ即座にC64実機でその結果[出力]を聞くことができたんだ。君の言うとおり、C64はどれもみな音が違ったように鳴ったけど、僕は早い段階でこれがSIDそのものというよりむしろ内蔵されたフィルターが主な原因じゃないかと思い至ったんだ。僕の記憶が正しければ、フィルターは基板上のとても単純なレジスタかコンデンサだった。というのも、Commodore社では品質管理がなってなくて、C64一台一台でそれらは違った風に動作したから――少なくともこれが僕の聞かされた話だ。そういうこともあって、僕はめったにフィルターを使わなかった。僕が今まで使ったことがあるのは、次のどちらかでしかない。「スウィープさせる」動作、例えば完全に「開いた」状態から完全に「閉じた」状態の間でフィルターを動かすか、あるいは極限状態のどちらか一方での使用、例えば最低レヴェルに設定することでくぐもったベース・サウンドを作り出すためにしばしば使っていた。つまりそれだとそれぞれのC64で、大体同じ状態になるんだ。とはいえ、このチップの残りの部分は多かれ少なかれ一貫性のあるものだったよ。

7) 先と関連した質問です。C64「フリーク」である私の英国の友人いわく、あなたは音楽制作に6581サウンドチップが内蔵されたC64を使っていたとの弁なのですが、これは本当でしょうか? あなたの一部のトラックは、8580 SIDチップだとベースラインが聞き取れないことをご存知でしたか?

いやそれについては全く知らなかった! まあともかく今になっては気を揉むには少々手遅れだ! 僕は与えられたものを使って作業をすることができたに過ぎない。もっとも、そのコンピュータに異なった他のヴァージョンがあることは知っていた。Software Creationsの上司に他のマシンで音楽を試したいと頼んだこともあったけど、いつも自分たちが持っているマシンで動作していたから、全てのマシンで[適切に曲が]動作するものと当然のように考えていた。でもそれがほぼ間違いなく、ベースラインが聞こえない理由なんじゃないかな――ローパス・フィルターを最小限の設定にセットすると、一部のC64で聞き取れないローパスになるんだろうね!

8) Follinさん、ミュージック・プレイヤー・ルーチンのデータソースを今もお持ちですか?

ある箱のなかに、とっても古いディスクを今でも2、3枚持っている。そのなかにはC64で制作した曲がいくつか入っているんじゃないかと思うけど、変わった規格外のフォーマットのEinstein用のディスクだし、それにもうEinsteinを持っていない。だから残念だけど、僕がそれらのディスク読み込む方法はもはや存在しないんだ!

9) NESに関してです。あなたのSolsticeの音楽は見事という他ありません。本作について特にコメントいただけでないでしょうか? NESシステムのために作曲するのはお好きでしたか? 音響性能は良好でしたか?

多くの点でC64から後戻りしているように感じはしたけれど、NES用に作曲することは好きだった。初めのうちはイライラして制約が多いと感じていたと思うけど、同じ一つのチャンネルでベースラインとドラムを鳴らす方法のような、いくつかの基礎的な「トリック」をひとたび使いこなせるや、NESはより多くの可能性にまで広がって、ある意味ではきわめて便利な「楽器」になった。とはいえ、一定の種類の音楽に向いてはいたけれど。サウンドチップとともに肝心なのは、そのスタイルでさえ、僕が作曲する音楽は、いつもその特定のチップで何でもいいから動作するものであったということだった。それが諸々のコンソールの間で音楽=スタイルがかなり様変わりした理由だ。何作かの退屈なゲームのためにたくさんのさまざまなスタイルを実行してきたともまた感じていたし、それに加えて、基本的に言ってSolsticeは僕が身につけた全てのトリックの極致だった。フォークロックのような曲を作る口実が与えられていたこともあって、Ghouls and Ghostsを打ち込むのは楽しかった。だからSolsticeがやって来た時には、[自分の習得したトリックを活かす]口実とチャンスが自分に用意されていた。たまたまだけれど、その曲のイントロは僕が先日行ってきたばかりのYesのコンサートに着想を得たものなんだ――Rick Wakemenがオルガンでそっと静かに子供っぽく演奏してコンサートの口火が切られて、次には「Starship Trooper」を演奏しながらバンドが一斉に入って来ると大爆発が起こった――実を言えば、Solsticeの最初の2つのコードを聴けば、それらがほとんど同じだってわかるよ! また、Youtubeのほとんどのヴァージョンが速過ぎる60hz版だということにも触れておきたい――その曲は50hz(PAL)で打ち込まれたもので、[本来は]その速度で耳にするべきなんだ!

10) Super NES、Game Boy、Mega Driveのような「新しい」ゲーム・システムのための作曲はどうですか? ついでながら申し上げると、Time Traxの未発売に終わったMega Drive版のあなたの音楽は素晴らしいという他ありません。FM音源(FM synthesis)を用いた作業はお好きでしたか?

Mega Driveでもっと曲が書けなかったのをいつも後悔している――そのミュージック・ドライバは僕の旧知の同僚であり友人でもある人物[Dean Belfield]によってプログラムされたもので、僕たちは自分が今で使ったことのあるなかでも多分一番優れていて、一番融通の効くミュージック・ドライバを制作したんだけど、残念ながら一度しか、しかもその後で未発売になったゲームでしか使うことができなかった。Game Boyは基本的にはNESチップだったから、そのために作曲することについて目立った挑戦はなかった。でもSNESは、適切にフィルターのかかったサンプルと8チャンネルと二つともあって楽しくやれた。これではるかに楽になったんだ! サンプル用のメモリは大してなかったけど、そこに無理やり押し込むことができるのを見るのは、やりがいのあるものだった。初期のコンソール[SpectrumやC64以降の家庭用ゲーム機を指す]の時代、作業することから他の何にも増してなくなっているものがひとつあるとすれば、ひとつのサウンドチップのくびきからどのくらい逃れられるかを何とか解決するというやりがい(the challenge)だろうね!

11) 自分が作曲してきたなかでお気に入りの曲はありますか? オールタイムで特に好きなクラシック・ゲームはありますか? お気に入りのクラシック・コンピュータはあったりしますか? 私の場合は、LED Stormのためにあなたが制作した曲が大好きなんです!

正直な話、当時の自分のお気に入りのトラックが何かはよくわからないよ! おそらくSolsticeかGhouls and Ghostsのタイトル曲といったところかな。大好きなゲームについてはさらに答えにくい。というのも実のところ、僕が大のゲーム・プレイヤーであったためしなんてないからね。Jet Set Willyが実際にプレイした一番最後のSpectrumゲームなんじゃないかな! とはいえ、子供ができてからは、今では子供たちが詰まった時はMario GalaxyやLego Star Warsをやらなくちゃいけないから、その2作に関しては頗る上達してるよ! 僕にとって一番のコンピュータは相変わらずSpectrumだ。それこそが僕が自分のものにしたものだし、その単純さとかわいらしいさまは今でも大好きだからね!

12) ゲームのために作曲するのを止めてしまったのはどうしてですか[2005年、Follinはゲーム音楽家を退く宣言を自分のサイトで発表した]?

理由は簡単で、僕が仕事を、つまり生計を立てるのにはとにもかくにも十分な仕事をもらうのをやめたということだ。でもそれが唯一の理由じゃなかった。僕が最後にもらったオファーがそのことを要約してくれる。それはあるディズニー・ゲームのための仕事だったんだけど、フル・オーケストラを雇うことになっていて、素晴らしい仕事になるはずだったんだ――サンプル・ライブラリを使用してオーケストラのデモを制作して、作曲することもとても楽しくやれていた――でもその後、当初から予想されていた委員会にかけられると、やれいかにそれが今ひとつ「愉快」じゃないだの、やれ「壮大さ」に欠けるだの、はたまた「あまりに厳か過ぎる」だの、何やかんや連中は意見を言ってきた。僕はその先に一年にわたる委員会ミーティングと頭痛が待ちかまえているのが見えたから、首を突っ込む前に身を引いたんだ。諸々の制約のなかで作業をして、それらを最大限活用するのは大好きだけれど、幾つかの異なった意見と音楽的嗜好を持った幾人かの人たちを一度にいっせいになだめることを試みるのは、土台無理な仕事だ。委員会は創造的な閃きにも同様の影響を及ぼす。火を炊き過ぎると火事になる――[そして]大抵火を消すことになるのと同じように。

13) あなたのレコード・レーベル、C64audio.com[C64のゲームミュージシャン自身による当時のゲームミュージックのリミックスのリリースを目的としたChris Abbottのレーベル。リリースのなかにFollinの曲のリミックスもあるが、彼自身は関与していない]について教えていただけますか?

それに関しては君が僕に説明してよ!

14) ブラジルにいるあなたのファンに向けて一言お願いします。Follinさん、私たちはあなたの作品が大好きなんです!

いやはや20年もの間ずっと、僕のヴィデオゲーム・ミュージックが今も世界中のどこかで評価されていることを知ってびっくりしたよ。だからブラジルで評価されていることを知って特に驚いたし、正直に言うと腰を抜かしたね! ブラジルに行った際は、ビールを一杯ひっかけに誰かを訊ねられることがわかって良かったよ。

Translation: Takashi Kawano

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