テイラー・スウィフトとマッドな女たち

昨年テイラー・スウィフトがリリースしたThe Manという曲に好きな一節がある。

世間の男女に対する扱いの違いを歌っている。

この一節の中のmadとbadの使い方がとても好き。特に最後の二文。

What's it like to talk about
Raking in dollars, and getting bitches and models?
And it's all good if you're bad
And it's okay if you're mad?

If I was out flashing my dollars
I'd be a bitch, not a baller
They'd paint me out to be bad 
So it's okay that I'm mad

いろんな解釈があって当然だが、私は最後の二文をこう読むのが好きだ。

「私のことを悪女と呼ぶでしょ
怒っていてもいいように」

男性ならば怒っていても悪人でも自由だ。周りからあれこれ言われることはない。
しかし、怒りを表す女性は「悪女」というレッテルが自動的に貼られる。

「いい女」は怒らないから。

いつもニコニコしていることが「いい女」の必須条件とされているからこそ、テイラーが怒りを表していることへの違和感を解消するために、世間は「悪女だから怒っていても仕方がないんだ」と納得をする。

これまで性犯罪、アーティストの権利、トランプ政権、他のアーティストとの個人的な確執など、様々な問題に声をあげ立ち向かってきたテイラーにとって、「怒れる女性」と「世間の批判」が切っても切り離せないことは、reputationやLoverなどのアルバムを聞いててもわかる。

そして、最新アルバムのfolkloreでもそんなテイラーの考え方がよく出ていると思う。

マッドな女たち:mad woman

folkloreにはmadという歌詞が何度か登場するけれど、アルバム全体を通して「怒っている」「狂っている」「馬鹿げている」などの意味が絡み合っている。

例えばmad woman。

このタイトルのmadはどういう意味だろう。
ある時は怒りで、ある時は狂気で、その境界線がとても曖昧になっている。

Every time you call me crazy, I get more crazy
What about that?
And when you say I seem angry, I get more angry
And there's nothing like a mad woman
What a shame she went mad
No one likes a mad woman
You made her like that

"I get more angry"と言っているように、一人称で書かれている最初の3行は「怒り」としてのmadnessなのだろう。

じゃあ、"What a shame she went mad"は?

ここから突然三人称になっている。"I”でも"you"でもない、第三者の「世間」の目線だ。

 "went mad" という表現は「狂気」の文脈で使われることが多い。一過性の怒りと違って、狂気は長引く状態だ。
怒る語り手を遠巻きに見て、世間の人々が「あの人は頭がおかしくなっちゃったんだね。残念だね」と道で囁いている。

"No one likes a mad woman"はどちらの意味だろう。きっと両方だと思う。

この曲の語り手のように怒りを堂々と表現する女性も、頭のおかしくなってしまった女性も、世間の目から見れば大差はない。

「ああいう女は嫌われるよ」と後ろ指をさされる存在だ。

マッドな女たち:the last great american dynasty

the last great american dynastyでも同じようなことが起きている。

主人公のレベッカは引っ越してきたその瞬間から、常に街の人々の好奇の目に晒されている。("And the town said "How did a middle-class divorcee do it?")

世間から見た彼女の罪は、派手好きなこと。それが夫の病死の原因になったのだと噂される。 ("The doctor had told him to settle down / It must have been her fault his heart gave out")

そんな「悪女」はサビで「狂った女」と烙印を押される。

There goes the maddest woman this town has ever seen
She had a marvelous time ruining everything

ほら、町一番の狂った女が通る
全てを台無しにして楽しそうにしていたんだよ

夫を殺したも同然の悪女は本当におかしくなってしまった、らしい。

ここもあくまで「世間の噂」として描写されている。

They say she was seen on occasion
Pacing the rocks and staring out at the midnight sea
And in a feud with her neighbor
She stole his dog and dyed it key lime green

彼女は時折見かけられたという
岩辺を歩いて真夜中の海を眺めていたらしい
隣人と喧嘩になり
犬を盗んで鮮やかな黄緑色に染めてしまったらしい

そして時が経ち、レベッカの家にテイラーが越してくる。

テイラーもまた世間の目に晒される。彼女の罪は「物言う女」("loudest woman")であること。

テイラーにはレベッカと同じく「全てを台無しにした」自覚がある。

There goes the loudest woman this town has ever seen
I had a marvelous time ruining everything

ほら、町一番の物言う女が通る
全てを台無しにしてとても楽しかったわ

テイラーが物言うことで「台無し」にしたものとは何だろう。

既存のジェンダー観、カントリーアーティストの政治的ステレオタイプ、アーティストとレーベルの関係性...など、彼女はいろんなことに怒ってきた。

メディアはその都度、彼女の「怒り」を「狂気」として報じてきた。Blank SpaceやThe ManのMVでもそこが皮肉として描かれている。

彼女とレベッカの違いは、彼女とmad womanの語り手の違いは、一体どこにあるのだろう。

folkloreは詩的で情緒的なアルバムだけれど、「マッドな女」であること、またそこに必ず付きまとう世間の注目については、テイラー自身の抱えている覚悟や自嘲が表現されていると思う。

folkloreについての前回のnoteはこちら。


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