20240917

以前はそんなこともなかったのだけれど、今はもう一切物事に対する定量的な評価を信じておらず、自身の審美眼のみを信用することにしている。
なので人のおすすめみたいなものは全く参考にしないし、なるべく聞いたりもしないようにしている。

ロジックとしては次の通りで、自分の見知ったジャンルであればそれにリーチできていない段階で情報を得る力と探す力が足りていないため、前提が崩壊するというのと、まったくの門外漢であるジャンルならば現在開拓中・あるいは今後開拓予定となるので今はそのタイミングではなく、今のおれには必要がない。

よって、人のおすすめみたいなもので得することが何もないから参考にするのをやめた。
おれにとって何らかの形で情報を得る・あるジャンルに対する造詣を深めていく、というのは楽しみでもあるしね。

このように自らの判断基準を自身の審美眼のみにおいているのだけれど、これは趣味嗜好に限ったことではなく、あらゆるにおいて自身のセンスのみに基準を置いていて、その上に何を乗せるか?を日々思考している。

この形で数年やってきて、今のところはアーリーアダプター気味かつ「新しい何かを開拓しているな」という手ごたえがあるので、ここまではかなり間違ってはいないと感じる。

恐ろしいのはこの能力の衰えだ。
基本的に感覚を磨いていくこと自体はずっと行っているので、短い期間に総崩れするようなことはないと思うのだけれど、自分のセンスがおしまいになってしまった時、おれのやり方は完全に崩壊する。

そういう風に向き合うことを覚悟して、そういう風に組み上げたから当然ではあるのだが、やはり恐ろしい。

このやり方だと「成功」の状況的な判定が非常に難しいものの、「失敗」の状況的な判定はいとも簡単にできる。つまり、時代に追いつかれたら負けだ。

基本的に唸るような新しさ、時代がおれを追い越しているようなものというのは数年に一度しか出会わないので、それらは「特異点」として認識できるし、そういったものに出会った場合おれは衝撃とともに大いにハマるため、強いイレギュラーを咀嚼しようとしていることがわかる。

が、このところじんわりとハマっているゼンレスゾーンゼロというゲームは、そういったインパクトの強い特異点ではなく、各所の要素を丁寧に組んだ上で、「無理なくちょっと乗せて返す」という、言ってしまえばおれのテリトリーでおれがやってきたやり方を高い練度で実現している作品だなと思っている。

このテキストの本題はここからで、これが「特異点」の作品なのか、それともおれのセンスが時代に飲み込まれようとしているのか、それがわからないということだ。

先ほども述べたようにおれは時代に追いつかれたら負けてしまう。
今のところギリ特異点のような気はするが、衝撃をもって鷲掴みにされるような力を持った作品というわけでもない。
これがじわじわと時代のスタンダードになってしまうのだとしたら、おれは少し焦らないといけないかもしれない。

いずれにせよ、おれも時代もまだ走り続ける気満々なので食べ甲斐があるなぁ、という話でした。おれはあと何年やれるだろうか、ということを最近はたまに考えています。

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