野田と虎

「これ、何かに使われるのかな?」2007年、マヂカルラブリーとしてコンビ結成したばかりの野田クリスタルが画面に向かって話す。当時の野田は今よりずいぶんと痩せていて、漫才用のスーツではなく白のタンクトップを着ていた。どこかの舞台袖で撮られたと思われるその古く暗い映像の中で、相方の村上は「使われないよ」と野田の問いかけに笑いながら答えた。「M1の優勝特番で使われるよ」と僕は心のなかで答える。

2020年のM1グランプリで見事優勝したマヂカルラブリーだが、M1の舞台は彼らにとって華々しい舞台というよりはおそろしい地獄となっていた。というのも、2017年に出場したM1で、決勝進出者10組のうち最下位という屈辱を味わっていたのだ。

我流を貫いた漫才が、審査員には届かなかった。試行錯誤を繰り返し、全力で披露した渾身のネタが、全然評価されなったときの失望感はどれほどのものだろうか。

自分がこの立場だったら、「審査員が面白さを分かっていない、俺のセンスについてきていない、俺たちのネタは間違っていない」と思うことで、自尊心を守り、羞恥心に蓋をしようとするだろう。しかし、野田は「審査員を全員笑わせたい」と、再度M1の決勝の舞台に帰ってきたのである。すごい。しかもネタを評価されやすいものにシフトチェンジするわけではなく、我流のものに磨きをかけて、M1に真正面から向かい合い、優勝を手に入れた。本当にすごい。

優勝が発表されたとき、野田は「最下位とっても優勝することあるんで、諦めないでください」と力強く言った。ネタ中にまともなことを一つも言わずボケ続けていたた彼が、唯一本心をさらけ出して放った言葉が、「負けたことがある人へのエール」であったことがすごく印象に残った。

優勝する前に、野田は「みんな構成されつくした完璧な笑いとか、仕上がりすぎている漫才を目指すんですけど、俺らそれ無理だなって気づいてからの勝負」と話していた。これはお笑い芸人に限った話ではない。ひとつの人生訓といえるだろう。

M1の優勝特番は、いつも最後にエンディングの曲がかかる。今年はハンバートハンバートの『虎』という曲が使われていた。マヂカルラブリーの映像に、「負けた 負けた 今日も負けた」という歌詞が重なる。優勝した彼らとはミスマッチな曲のように一瞬思ったが、かつて最下位になった彼らにはぴったりだとすぐに分かった。

この『虎』という曲は、中島敦の『山月記』と照らし合わせて聴くとより理解できる。『山月記』という物語は、必要以上に自分自身にこだわってしまったり、または他人からの悪意に鋭くなってしまったりという「自意識」を抱えた者の苦しみを描いている。

『山月記』のストーリーでは、ある人物が人間から虎に変わってしまう。彼は、プライドが高すぎて、他者に傷つけられることをおそれた「臆病な自尊心」があった。そして、恥をかかないように横柄にふるまった「尊大な羞恥心」があった。それらが自らを虎にした、というのだ。

ここで、「虎になる」というのは「ヒトとしての人間の心がなくなれば、苦しさから解放される」というふうに読み取れるだろう。
ハンバートハンバートの『虎』の歌詞では、酒に溺れることで、自意識の苦しみから逃れようとしていることが歌われている。

しかし、この曲の最大のポイントは最後の歌詞、「虎にもなれず」というところにあるだろう。『虎』のMVに出演しているピースの又吉直樹さんは、「虎になってしまったらある意味、社会の価値基準みたいなものの外に行けるんですけど、そうはならないから、その中でどう生きていくかっていう。そこが苦しいんですけど、僕はそこに愛しさを感じるというか。」と語っている。M1で地獄を見たマヂカルラブリーは、M1で栄冠を手に入れたのである。

番組の最後で、野田が母親に電話をして優勝報告をする場面が流れた。芸人ではなく、郵便局に就職してほしいと思っていたという母親が電話口で野田に話しかける。「家族みんなあんたのことを見てたよ。お兄ちゃんはね、孫の子はね、」と矢継ぎ早に話す母に対して、「うん、うん」とだけ言いながら涙を浮かべて聞いている野田の姿は、一方的にボケ続けるネタとは対照的であった。虎にもなれない芸人が、M1チャンピオンになった瞬間だった。






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