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ポリゴンのウェイヴに乗って ふたたび。(後編)

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1/13(木)

[pw]4日目…の実感もへったくれもなく仕事。1日の残業時間枠をフルに消費した。
退勤後、おもむろにSNSを開く。参戦した方の感想を見聞きしていると、疲労困憊だった心身が少しだけ軽くなった気がする。「[pw]参戦した人もそうでない人もお疲れ様!」と投稿してみた。なんだか、全ての人を肯定したい気分になった。
全部で6日間あるライブも、4日目に差し掛かると「全通」する人の存在がひときわ目立ってくる。ライブの全日程、現地参戦する人たちのこと。平日も参戦するために仕事を調整したり、休みをとったりして仕上げられる能力のある、選ばれし者だけが成し遂げられる所業だと理解している。
ふと、そのモチベーションが羨ましくなった。羨む気持ちと同じくらい、懐かしむ気持ちも沸いてきた。好きなことのために休暇を設けて、その日を目がけて全力で仕事をこなしている時が、社会人として世間様に組み込まれている自分が一番輝いている瞬間にも思える。「P Cubed Tour 2020」の頃もわりと仕事が佳境で、休日の公演も参戦できなくなる可能性があったが、なんとか回避しようと尽力した。その結果全通できた。あの頃の活気がなんとも懐かしい。

1/14(金)

この日も[pw]はお休み。しかし、ライブ期間中の高揚感を維持したいと思い、都内のとあるバーに飲みに行こうかなと思っていた。
だが…はからずも仕事終わりが遅くなってしまった。退勤時刻は夜の9時。本来ならこの時間にはバーで飲み始めている予定だったが、今から向かってもドリンクのラストオーダーに間に合うかが微妙。行かない方向に気持ちが傾きつつあることを察知し、帰路についた。23区内で働いている人なら、この時間からでも直ちに飲みに行けるのだろう。行きつけのバーが欲しい。こんな歳になってもまだ、そんなことを思っている。

1/15(土)

[pw]5日目。開演まで時間があるので、お昼ちょっと前からみなとみらい付近を散策。赤レンガ倉庫、山下公園、大さん橋あたりをぶらぶら。天気にも恵まれ、快晴のもと浴びる海風が心地良い。
大さん橋から見やる、みなとみらいの街並みを写真に撮る。赤レンガ倉庫、パシフィコ横浜、コスモクロック、ランドマークタワーといった、みなとみらいを象徴するスポットが全て一枚の写真におさまった。改めて、この街のまとまりの良さに気づく。
ぴあアリーナMMに到着したのは、開演30分ほど前。先日、入場ゲート前に着くまで電子チケットのQRコードを表示し忘れていたことをふまえ、この日は事前にQRコードを準備してゲートを目指した。
電子チケットの画面上には、「SS席」の文字が書かれている。そのたった3文字だけで、「俺は今から他人のスマートフォンを使って入場するのか?」と錯覚する。

******
この日のチケットは、一週間ほど前にリセールで購入した。12(水)と16(日)のチケットは既に持っていて、もう一日ぐらい行きたいな、行くなら15(土)かなと思い始めていた頃だった。
土日両日ともライブに行けた方が楽しいとか、全通予定の人たちを見て羨ましくなったとか、そこに至るまでには色々な思惑があったが、「この日の予定を埋めること」以外にも思っていることがあった。
既に持っているチケットは、いずれもA席だった。さらに上のグレードであるS席、SS席もあったが、選ぶことはなかった。地元に居た頃は足繁くライブに通えなかったこともあり、ライブは観られさえすればどんな席でも満足できる…と思っていた。
リセールチケットのページを眺めながら、SS席ってそんなに良いものなのか?と惹かれる気持ちが徐々に萌芽しつつあることに気づいていた。つい先月まで行われていた「Reframe Tour 2021(以下、Reframe)」でも座席がS席とA席に分かれていたが、自分は全公演A席で参戦した。
「ほんとに正面から観られた。演出が全部綺麗に見える。」
「Reframe」にS席で参戦していた友人たちが語っていた感想が頭を過る。そんなに良いものならば一度、身を以て試してみたい。どんな光景が見えて、どんなことを思えるのかが気になる。A席に比べて値段は張るが、これから先の生涯で使うお金に比べれば誤差みたいなもの…。
さも狭間で揺れ動いているかのように思考を巡らせながらも、クリックしながら購入画面を渡り歩く手取りには、一切迷いがない。
やれ、やってしまえ。
揺れ動く思考の中で、ぶれることなく明瞭に聞こえてくる囁きにけしかけられ、SS席のリセールチケットの購入完了画面まで到達した。

******
“3階スタンド C××扉 ○列 △△△席”
座席の位置を見ただけでは、果たしてSS席に相応しいのかが分からない。全てはライブが開演してから明らかになる。唯一分かっているのは、“C”から始まる扉は、ライブステージを正面から観られる座席に繋がっていること。
入場前にバッタリ会った友人くんも、3階スタンドのCから始まる扉から入場するらしく、3階まで一緒に進む。3階に着いたところでお手洗いに行きたくなったので、友人くんをロビーに残してお手洗いに向かう。
お手洗いから戻ると、友人くんの周りに何人か見知った顔があることに気づいた。共通の友人が数名やって来て、一緒に会話しているようだった。遠目で見ても会話が結構捗っているようで、スッと輪に入れないかも、と思ってしまった。
一度、その輪の前を横切ってみる。何人かは気づいてくれたが、一部は気づいていない。気づいていない友人くんも何かを察してこちらを見てくる。見つからないようにと、近くの物陰に隠れる。大して面白くもないコントを始めてしまった。
「…いやー、○○くん(自分の名前)とか来てたら会いたかったんだけどなー。」
何かを察した友人くんがそのコントに乗っかってくる。『気にしないふり男の子』のスタンスをとられる。引くに引けなくなってしまった…と勝手に追い込まれる。大したオチも浮かばず、何故かゼロ距離でその友人くんにLINE通話をし、「俺の負けだ」と、色んな人を巻き込んで微妙な空気にしてしまったことを懺悔して締めた。
大勢の輪に入ることが、正直あまり得意ではない。ある程度やり取りが続いていた会話やその場のノリが、自分が現れることで途切れてしまうのが嫌なふしがある。と思ったけどやっぱり違う。その会話やノリに上手く入っていけないから、自分の空気に引き込もうとしてしまうだけだ。
しばらくして、輪の中に居た友人くん含めて、自分が最年長であることに気づいた。めんどくさい大人のノリを持ち掛けてしまった…とちょっと反省した。

そんなこともあって若干気落ちしていたが、座席に着くとそんな気持ちもいくばくかは吹っ飛んだ。今まで、ちょっと斜めから、あるいは真横から見ていたステージが、今日は真正面にある。ステージのセンターラインをこちらまで伸ばしてきたら、自分の身体の芯を捕らえるのではないかと思えるほどに。
U字型になっているスタンド席の、カーブのど真ん中にいるので、左右両サイドの観客席もある程度見える。今日は、観客の皆さんがいる光景含めて「ライブ」として観ることになりそうだ…と思っていると、とある人の姿に目を奪われた。先程会った友人くんのひとりの姿があった。先ほどちらっと話してくれた座席番号とも合っていそうだ。こんなに近くに見えるなんて。というか自分の視力が良すぎるのか。
他の場所にも目をやってみる。また、先ほど会った別の友人くんの姿を見つけた。我ながら、視力の良さに若干引きつつも、連番していなくても同じ空間には居ることに気づいて「一緒に楽しんでいる」実感もわいてくる。
そして、少し隣の座席を見てみると…入場前に一緒になった、自分と同じ“3階C扉”から入場した友人くんの姿があった。座席までこんなに近いなんて。友人くんもこちらに気づいて、少しばつが悪そうに笑う。でも「灯台下暗し」で、この友人くんの姿を認識したのはこれっきりだった。

規制退場の列の中を歩きながら、ついさっきまで見ていた光景を脳内で反芻する。かなり上の空になってしまっているようで、目の前に拡がる現実の世界がまだよく認識できない。
ようやく“チームPerfume”が本当に表現したかったものを観られた、という、率直だけどおぼろげな感想が胸の内にある。正面からだと、ステージや、背後のスクリーンの映像が立体的に見えるように作り込まれていることがわかった。その気づきから、あの世界の中に自分が溶け込んでいくような没入感に襲われた。既に何度か観ている内容なのに、新たな気づきや感動があった。
例えば「Future Pop」。序盤に、3人の背後から正方形の線が上方や左右に伸びていく演出があるが、真正面から見ることで3人の姿と綺麗に重なって「これが本当に表現したかったものなのか」と思えた。2018年の「Future Pop」ライブツアーでも披露されていた曲だったが、一度も正面から観られた記憶が無かった。とりわけ思い入れが深いライブなだけに、約3年越しに念願叶った実感でいっぱいだった。他にも「再生」ラストで左右交互に現れる立方体が組み合わさった模様も立体に見えて、平面ではなく立体の上で3人が踊っているように見えた。「TOKYO GIRL」の、正三角形の足場に乗って東京の夜の街を浮遊する演出は真横や斜めから見えても圧巻だったが、正面で見ると自分のほうに向かって映像がスクロールしてくるので、自分にも羽が生えていて、3人の後をついていって一緒に東京の上空を浮遊している感覚に襲われた。
SS席。ほかの座席から少しずれた位置にあるだけかもしれないが、見える光景や感じられることが全然違った。チケット代の価値は有って有り余るほど。身を以て試して良かった。今回のライブにおける一番の収穫かもしれない。
すぐ隣を、3階C扉で同じだった友人くんが歩いている。退場の流れに乗って会場外へと出ると、ほどなくしてもうひとり友人さんがやって来た。そのすぐ後に、先程めんどくさいコントに巻き込んでしまった友人くんが歩いてきたのを見かけた。気づいているのは自分だけ。こちらに歩み寄って来るが、自分以外の友人さんは気づいていない様子。すぐ側のコンクリートの段差に腰を下ろしたので、気づいていない体で自分もその隣に腰を下ろす。
「…あっ、××さんお久しぶりです。」
他の友人さんが、気づくなりすぐに声をかける。先程とは全く異なる、即効性のあるやり取り。それがなんだか面白くて思わず笑ってしまった。やはり、何事も引き際とテンポが大事と学んだ瞬間だった。

帰宅してテレビを点けると、日本に津波注意報が発令されていることが緊急ニュースで取り上げられていた。番組の通常放映を休止して、報道フロアから直接ニュースを読み上げるアナウンサーの姿がある。背後でも、何人ものスタッフが慌ただしく動き回っている。その映像に、「津波警報」「津波注意報」が発令されている地域に色が塗られた日本地図が合成表示されている。
その光景に胸がざわつく。横浜のあたりも「津波注意報」の色が塗られているように見える。先程まで居たぴあアリーナMMは海が近い。地方から来た友人さんは、あの近くに宿をとっている人が多い。
万が一のことがあったら…と思ってしまった。どんな人間も天災には勝てない。ただ祈るしかない。

1/16(日)

目覚めると、枕元の目覚まし時計が朝10時を指していた。休日らしく遅めの起床となってしまったが、ここから巻き返して今日を充実させよう…と思って立ち上がった瞬間、強烈な頭痛に襲われた。頭痛というよりも、目の痛みが酷い。これはよく患う症状だ。
思えば、ここ数日ライブ参戦日もそうでない日も、遅くまで起きてSNSで色んな人の書き込みを追うことに必死だった。寝不足で目の疲労が残る→遅くまでスマホを開いて目を酷使する→…の“∞ループ”を繰り広げていたら、ガタがくるのは当然である。つい先日もこの症状のせいで「ファイトソング」第1話を見逃したが、その時の疲労もまだ残っていそうだ。
外界の明るい日差しが、遮光性なんて微塵もない我が家のカーテンを貫いて部屋中を照らしている。本日も相変わらず快晴で本来なら気持ちが良いが、眼精疲労解消のためにもう少し寝ようとしている自分にとっては阻害要因になってしまう。「めぐリズム」を装着すると、アイマスクの代わりになってくれそうだったのでひとまずそのまま二度寝に興じることにした。寝る前にSNSを少しだけ見ると「日本全土の津波注意報は解除されました」という書き込みを見かけ、少し胸につっかえていたモノがとれたような安堵感を覚えた。

再び目覚めたのは、13時頃。まだ少し目の痛みが残るが、起きて動いていたら紛れてくれるだろうと思える程度には軽減していた。というか、そろそろ家を出ないと開演に間に合わない。準備もそこそこに家を駆け出る。
この日は[pw]6日目。もとい、最終日。千穐楽。
千穐楽には何かあるだろうと思い、チケット一般販売日に購入していた。その日というのが、「Reframe」千穐楽の翌日。参戦していた友人さんたちの楽しそうな声が印象に残り、[pw]では千穐楽に行ってみたい、と思った。
そんなこともあって今日のチケットが手元に在るのだなと思い返しながら、最寄り駅まで向かうバスを待っていた。今回のチケットを確保したのはFC先行2次、一般販売、リセールでそれぞれ1日ずつ。ファンクラブも入会しているが、1次先行では購入していなかったことを思い出す。正直、今回は『いち早くライブ参戦を決めてやろう』という気持ちが、普段のライブよりも薄かった。一度観たライブの再演ということもあり、まだ観たことない人の座席を真っ先に奪うのが申し訳ない気持ちと、一度観ているから今回は見送ってもいいかなという気持ちが8:2ぐらいの割合で在る。
そんな風に構えていたライブの3公演目に、気づけば参戦しようとしている。全部で6公演あるうちの半分。「全通」という言葉の前では少し見劣りするかもしれないが、いわば「半通」も世間相場から見たら十分多い数字なのだろう。やっぱり、自分にとっての一番の楽しみはこういうことで、そう簡単に止めたり、他のモノに置いて換えたりできなさそうだな、と2年間こんなご時世を経てみても自分の性質が変わっていないことが可笑しく、嬉しかった。マスクの下で緩む口元などそ知らぬ顔で、最寄り駅へと向かうバスがやってきた。

千穐楽、という言葉を脳裏に浮かべるだけで、この場に集っている人たちの活気がこれまでの日より何割か増しているように見える。少なくとも、今ここで開演待ちをしている人たちの表情に、喜怒哀楽の「怒」と「哀」は顕れていなさそうだ。
「会場着きました!今ってどのあたりに居ますか?」
こんなメッセージを送るのもいつぶりだろう、と思う。
久々にお会いできそうな友人さんがいたので、事前に少しだけ連絡していた。いざ当日となったので、具体的な時間や場所をやり取りする。「もうすぐで着きます!○○さんどの辺にいらっしゃいますか?」と返信があったので、今いる場所を伝える。何度かやり取りした結果、自分が友人さんのいる場所に向かったほうが良さそうだと判断し、居場所を逆質問する。こんな風に翻弄される雰囲気がなんとも懐かしい。
教えてもらった場所に向かうと、友人さんの姿があった。今日は参戦されないとのことだった。お時間もあまり無いとのことだったので、一言二言交わしてお別れ。道中お気をつけて、と見送るのと同時に、これから千穐楽公演観るわけだけど大丈夫かと、会場内へ身を投じていく自分自身を見送るような感覚にも襲われた。

“3階1列 L××扉 △△△番”
入場ゲートを通り、座席番号が表示された後の率直な感想は、困惑の気持ちがこもった「マジかー…」だった。今回の公演は安全上の観点から、3階席と4階席の1列目の人は座って観る決まりとなっていた。スタンディング不可。ただでさえ、発声禁止で自分の激情を発散する術を抑制されている状況で、そのことがさらに拍車をかけた。
だが、いざ座席についてみると、出島のひとつがとても近くに見える。目の前の柵がブラインドとなり、多少身を乗り出さないとはっきりとは見えないが、それでもここまで近いのははじめてだ。さらに近くから出島を捉えている、この真下にいるであろう2階席1列目の人がとても羨ましく思えてしまうが、それも人間の性というもの。
早くこの世界観と一体になりたい一心で、携帯の電源を落とす。座席に腰を下ろしてほどなくすると、今日はもうこの体勢から変わることが無いことに気づく。周囲が立ち上がって、爆踊りもしながら盛り上がる人を羨ましく思いながらも自分の気持ちの熱量を保てる術はあるのか考えていると、とある友人さんの感想が頭を過った。
「1列目の座席は、Perfumeと自分の間を隔てるものが何も無いから世界観に没頭できる。座りっぱなしなので、『Reframe』の時の感覚を思い出して観ていました。」
「ライブを楽しむ」から「作品を観る」へと、自分のマインドがシフトチェンジする。開演前の手拍子もいよいよ大きくなってきた。ボルテージが上がりゆく場内の雰囲気と逆行するように、「心頭滅却すれば火もまた涼し」を地でいくかのように集中力を高めていく自分。場内の正面が一斉に暗転すると、張り詰めていた胸のあたりが少しだけ緩んだ。

千穐楽だからこそ、の雰囲気や熱気はやはりあったように思う。
最初のMC前、ラストのMC前…場内が明転するとともに、これまでパフォーマンスに身を投じていた3人のありのままの「人間」としての姿がそこに在るように感じられる瞬間。並び立つ3人へと贈られる拍手はいつもより大きく、それでいて温かく思えた。いつもなら程よきところで鳴り止んでいくところが、誰も何も止めようともしないのでずっと同じ音量で続いている。永遠に続くのではないか、と一瞬錯覚する。
その光景を目で、耳で、もとい五感の全てをフルに稼働させて受け止めようとする3人。背後のスクリーンにアップで映される表情から、永遠にこの空間に浸っていたそうな気持ちを汲み取った。自分もそれに応えようと、両掌を打ちつけて音を出した。
きっと、発声もできる状況だったら、ここまで大きくて温かい拍手の波は生まれなかったように思う。このご時世のライブだからこそ味わえる光景が、そこには拡がっていた。

1/30(日)

今回のライブを振り返ると、「再演」という名目ながらも以前と違ったところがいくつもある。
ライブのセトリや演出も勿論だが、一番はやっぱり「数多くの友人たちに再会できた」ことだと感じている。

昨年8月のライブは公演が2日間しかなかったこともあり、現地参戦された友人さんは少なかった。かつ、今回よりも世間が大変だった頃ということもあって、地方からわざわざやってきた友人さんは少なかったし、自分も誰とも会わずに2日間を過ごした。楽しみにしていたライブのはずなのに、誰ともその気持ちを分かち合えない、分かち合ってはいけないような気がした。今回は、各地からやって来た友人さんも数多くいて、顔を合わせるだけでなく、幾つも言葉を交わすことができた。
もう2年ほど、楽しみを誰かと享受し難い日々が続いている。それと同時に、誰かと面と向かって言葉を交わす機会も減っている。インターネットにばかり友人がいる生活を続けているとこういう時が厄介で、徐々に「このアイコンの向こう側にいる人は今も昔も変わっていないのか」という気持ちに襲われてくる。人ごと入れ替わってbot化されているケースもそうだが、面直で話してみて感じ取れる「細かい心情の変化」に気づけない。「いいね」の頻度や「リプライ」の中身といった、不安定で何の根拠もない曖昧な指標で人の気持ちを推し量ろうとしてしまう。
きっと、そういうところに顕れてこない場所にある気持ちのほうが圧倒的に多くて、それを理解したいと思うから、オンライン化がだいぶ進んだ現世でも人に会いたい気持ちを止められないのだと思う。今回お会いできた人みんな、現実に居ることが分かってよかった。そのうえで、自分と会うことを選んでもらえたことを有難く思う。「やっと会えましたね…」と感慨深げに会場を見やっていたあ~ちゃんの声と表情が脳裏に蘇る。あの時の気持ちと少しは似ているのかもしれない。

あれからもう2週間が経った。自分は相変わらず体調不良なども無く過ごせているので、この日の話ももう解禁していいかなと思い、今回書き残してみた。
あの時見聞きした光景や音、あの時抱いた感情、あの時生まれた、日々を生きていくうえでのモチベーションがあの時と変わらず今も持てているかというかと怪しい。浮世離れが凄い空間の中に居たこともあり、2週間以上前のことのようにさえ思う。今年のお正月と今日の間に、あの日々があったことが信じがたい。
当時の記憶や自分の感情が、少しずつ色褪せ、くすんでいく感覚とともに、この先また生きていくことになる。同じ色をいつまでも脳裏に焼きつけて生きていけないことを残念に思う。ただ、その時はまた新しい色を足せばいいかなと思うし、今後ならそういう生き方もできるような気がしている。どれだけ自分がくすんだ色に染まってしまっても、きっとまた“自分の色”を取り戻せる。

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