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「オフライン飲み会」がやりたいワケは…

「オンライン飲み会」にはラストオーダーがない。
それゆえに、つい飲みすぎてしまう。終わり際が分からない。だから自分には合っていない。


この間行った飲食店で、近くの席の人たちが話していたこと。
この自粛期間中に流行った「オンライン飲み会」。
個人的には、遠方の友人とも気軽にコミュニケーションが取れるようになり、良いモノと思っているけど
そういうネガもあるんだな、とふと気づきました。

自分も、夜7時ぐらいからオンラインで飲んでて、居心地が良いからついつい繋ぎ続けちゃって
気づいたら深夜の3時やん…なんてこともありました。
「ドリンク&フードのほうがラストオーダーですが、ご注文よろしいでしょうか?」って言える人がいない。
言われても、「自分でなんとかできるんで大丈夫っすよ」って返せちゃう。


ちょっと話は変わるけど
オンラインとオフラインで「誰かに会うこと」の違いって何なんですかね?(笑)

アーティストやお笑い芸人のライブも、配信モノに置き換わっていく風潮があるし
人と話すだけなら、音楽や漫才・コントを鑑賞するだけなら…別に直接会わなくても、その場に行かなくても目的は果たせちゃうでしょ?じゃあそれで良くね?って考えが普及しつつある。

合理的に考えたら、きっとその通りなんだと思います。
じゃあなんで、自分の周りに居る人たちは、あんなにも「誰かに直接会うこと」や「会場に足を運んでライブを観ること」を渇望しているのでしょう。
現に、自分もオンライン飲み会や、アーティストの配信ライブを観るだけではどこか物足りなさを感じています。


結論を言うと、オンラインでは
そうした「非日常」の時間と、普段の「日常」的な時間とのメリハリがつかないから…ではないでしょうか。

個人的には、先述の「誰かに直接会う」時間や「会場に足を運んでライブを観る」時間って
「日常」の生活の中には無いモノ、という認識がどことなくあります。
「日常」の生活はあくまで、仕事や食事、通院といった、自分の生命を維持するために必要最低限の営みで構成されるもの。1人だけで完結するもの。
だから、他の人と会ったり、ライブに行ったりする時間は、自分の「日常」の外に生まれる、「非日常」の生活。
無かったらメチャクチャ困るだろうけど、最悪それが無くても生きていけますし…と思える時間。

オンラインばかりだと、そうした「非日常」の生活が「日常」の延長線上に置かれる。
両方の生活を、自分の家を中心に送ることになるから。
だから、「日常」と「非日常」とのメリハリがつかなくなり、そんな毎日に辟易する気持ちは、今のみんなにもきっとあるんじゃないかな…と思っています。


だからこそ、色んな人たちがそれぞれの「日常」を飛び出して、束の間の「非日常」の時間を共にする有難みもよく知っておくべきと思います。

楽しかった「非日常」の時間が終わって、みんなそれぞれのあるべき「日常」へと帰っていく時。みんなと別れる時。
すごく寂しかったりする。次もまたこうして会えるのだろうか…とちょっと不安に思ったりする。

そういう寂しさや不安を感じない、人との集まりや、ライブ等のイベントって
ちっとも魅力的じゃないと思いませんか?

オンラインだと、「非日常」から「日常」への切り替えが一瞬。
帰りの電車やバス、徒歩に費やす時間が無く、通信を切ってしまえば終わりだから。
だから、ちゃんと切なくなったり、寂しくなったりするために必要な時間も持てなくなっている。
やっぱり、そういう時間は自分の身体を物理的に「日常」を過ごす場所から切り離してこそのモノじゃないですかね。

「非日常」への有難みがどんどん希薄になっていく。だから、オンラインで飲んでも、ライブ配信を観ても、どこか釈然としない。
自分は本当に、この時間のために「日常」生活を頑張っているのか?という疑問も否めない。


昨今、ライブやフェスもオンライン化の方向を辿りつつありますよね。
最新鋭のVR技術も使って…なんて謳い文句もよく見るけれど、結局ゴーグルを外せばそこは自分の家。
「日常」の空間から抜け出ていなかったと気づかされるわけでして。
「効率化」「新時代の価値観」なんて言葉だけで片付けちゃいけないモノが、無くしちゃいけない感情がある気がしています。


ライブやフェスはまだ先は長いかもだけど、「オフライン飲み会」はそろそろやりたいですよね。
この「日常」の外には自分以外の人も居ることを、ちゃんと身を以て感じたいです。

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