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「大喜利天下一武道会」参戦してきました。

あらすじ(3行で)
ひょんなキッカケから大喜利を始めることになった!
良い回答が浮かばないながらも、大喜利における「度胸」と「頭の使い方」を掴みかけた!
まだそんな状態で、ノリと勢いで大喜利の大会にエントリーしてしまった!果たしてどうなる!?

そんな感じで、このゴールデンウィーク後半の4連休のうち
5/3(金)~5(日)に開催された「大喜利天下一武道会」の東京予選に参加してきました。

自分がエントリーしたのは、5/5(日)お昼の部。
予選⑤と言われる枠でした。

会場は座・高円寺。
よく、お笑いのライブでも使われている場所という印象があり、まさか自分が「観客」としてではなく、「出る側」として来るのが先になるとは思いもしませんでした。

開演の時間になると、大会のオープニングムービーが流れ始めました。
過去の大会の激闘っぷりを象徴するかのような、名回答が連続するシーンや、優勝者が決まるシーンなどもあり、思わず胸が熱くなりました。
ほどなくして、司会の方が壇上に登場。ルールやブロック分けの説明をしていきます。
今回の試合は、全部で2つ。
まず予選1回戦。全ての出場者がA~Iの9ブロックに分かれて対戦。代表2名×9ブロック=合計18名を選出します。
続いて予選2回戦。1回戦を勝ち上がった18名が6名×3ブロックに分かれて対戦。
各ブロックの1位が、6/30(日)に開催される本戦への出場切符を手にできます。
次点の方も、同日開催の敗者復活戦へと出場できます。
2回戦の投票結果を集計している時間を使った、予選1回戦で敗退した人たちによるエキシビジョンマッチも設けられていました。

予選1回戦。
各ブロック2問、制限時間は3分30秒。
自分はA~Iの9つあるブロックのうち、一番最後のIブロックでした。
ということは思う存分、心の準備をしなさいってことだな…
そんなことを思いながら、先に出場していく人たちの激闘を観ていました。
自分たちも、ブロックごとに一番面白かったと思う1人に投票する必要があったので、ただ手放しに観客として楽しむわけにはいきませんでした。
自分は、手元で『これ面白いな』と感じた回答をメモして、その数が一番多かった人に投票していました。

そんな風にA~Hブロックを観ていたら、ついに自分が出るIブロックの出番がきました。
壇上に立ち、客席に向かって座ります。やっぱり、人前に出るとちょっと緊張します。
背後のプロジェクターにお題が出るので、何と表示されるか分かるまで振り返り見ていました。

お題①:ずっと寝ているアイドル「ZZZ48」について教えてください

わたしのあたまのなかのきおく

パッと見て思いついたのは、さらば青春の光のコント「ZZZ」。
もしかすると回答のヒントになったのかもしれませんが、その時の自分は『いま思い出さんでええやろ!』と言わんばかりに脳内でバッサリ切り捨てていました。
以前の大喜利会でも、長考して押し黙ってしまうと余計に何も言えなくなってしまうと感じたため、どんなに下らない回答でもまずは出してみようと思い、答えていました。
ただ、手応えはあまりなく…。「周りにウケていない」と思うより先に、「自分自身があんまり面白いと思えない」ことに苦しめられました。
「睡眠」と「アイドル」の要素をどう結びつけようかと悪戦苦闘していたら3分30秒が終わっていました。

お題②:罰ゲームで1か月ランドセル生活をしたようですね。どうでしたか?

わたしのあたまのなかのきおく

これも個人的に結構難しかったです。
「ランドセルを背負う」ことを「罰だ」と感じる人の心理をあまり想像できず、解像度の低い回答しか出せませんでした。
…こう書いてみて、今更ながら「自分自身がランドセルを背負った」と仮定して考えてみればよかったと気づきました。
ずっと「そういう人を俯瞰で見ている」ようにして考えていたことも、あまり多くの発想ができなかった原因だと思いました。
(お題を見てからずっと、「天使のはね」のCMに出ているDAIGOさんのイメージが抜けなかったのもそのためだろうな…)
このお題、ところどころ拍手笑いも起こっていたので、予選を突破するならその人なんだろうなと感じました(自分の回答に必死過ぎて、誰の回答がウケてるかまで分からなかった)。

A~Iブロックが終わったところで、各ブロックの得票数が発表されていきました。
票が割れているブロックや、完全試合かと思うほどにダントツ1位がいるブロックなどがありました。

そして、自分が参加したIブロックの結果も表示されました。
結果を見て、「やっぱりか」という気持ちと、「それにしても悔しすぎる」という、相反する2つの気持ちが沸いてきました。

自分が獲得した票数は1票。
ただ、これは「自分が参加したブロックでは自分自身に投票してください」というルールにより得たもの。
つまり、自分自身で入れた票であり、実質0票を意味していました。

以前、人前で大喜利をやってみて「大喜利は物の見方や考え方を共有する場だ」という気づきを得ました。
それによって今回、あれこれ回答を考えやすくなったり、出しやすくなったことは事実でしたが、回答がウケなかったときのショックも大きくなったこともまた事実でした。
なんというか、自分を「面白い」と思ってくれた人が誰も居なかった、を通り越して「自分の発想・頭の中身全て」が誰にも受け入れられなかったとまで考え込んでしまいました。
とはいえ、まだ大喜利を始めてみて1か月も経たない身ですし、至極当然の結果だ、と次の瞬間には受け入れていました。

ただ、自分にとっては大喜利も
始めた途端からなぜかコツが掴めて、なぜか結果が出て、なぜかメキメキ頭角を現せる分野ではなかったことも、この時ようやく思い知りました。
振り返ってみれば、これまでに出来るようになってきた仕事や勉強、趣味で言えば音ゲーやこの「note」更新も、初めから才能を現していたものなんて無く、何度も何度も愚直に反復練習していくなかで少しずつ会得していったものだったと思い出しました。

だからもっと時間をかけよう。場数を踏もう。
初っ端から良い結果にばかり期待するのはやめよう。

…そう思い直して、翌日また「ボケルバ」さんにお邪魔してきました!!
さながら、部活の試合で負けたのが悔しくて、翌日さっそく自主練しちゃう、あの感覚と似ていますね。中高時代はずっと帰宅部でしたが…
連休最終日ということもあってか、以前自分がお邪魔したときよりも非常に多くの方で賑わっていました。
1題あたり10分ぐらいで回していくのでじっくり考えられるし、ふと生まれたその場の流れに乗ったりもしやすかったです。

あとは、最後のほうで「30秒大喜利」にも挑戦しました。
1人1台ずつお題を書いた紙を隣の人に次々と回していき、回答を書き込んでもらう。1周して再び自分の手元に紙が戻ってくると、全員ぶんの回答が書かれた状態になっているので、その中から面白かった回答を選ぶ、というものです。
勿論、自分も他の人の書いたお題に対して答えていくのですが…30秒ってめっちゃ短い!!
これまでとは違う頭の筋肉を使っているような感覚でした。
まごまご考えているとすぐに時間がきてしまうので、後半のほうはお題を見て真っ先に思いついたことを書くぐらいの勢いでやっていました。

なんだか、自分の「素」の発想力が試されている気がしました。
ここまで書いてきた、人前でやる大喜利のことを「生大喜利」と言うそうなのですが、対となる存在として「ネット大喜利」たるものもあるようです。

生大喜利→IPPONグランプリ
ネット大喜利→ケータイ大喜利、ラジオのハガキ職人

こんなふうに言うとイメージつきやすいでしょうか。

30秒大喜利は、どちらかというと後者の「ネット大喜利」に近かったです。
「生大喜利」のように、言い方やフリップを出すタイミングで味付けができない、かつ長々と回答を書ける時間が無いぶん、面白い回答をシンプルかつストレートに出すことが要されている気がしました。

そんなこんなで2題ほど回して、30秒大喜利も終了。
この日のお題全てが終わったタイミングでもあったので、思わず「お疲れ様でした」という意味を込めてなのか、拍手が自然と起こりました。

自分には、それがなんだか
「正解が無いと言われている大喜利に対して、それでも正解を求めてあれこれ試行錯誤したことを讃え合う」拍手のようにも思えました。

大喜利練習会に参加して、まだ1か月も経っていないながらも
この界隈って、プレイヤー同士のリスペクトがすごくあるなと感じています。
どんな回答を出しても司会の人たちがちゃんと盛り上げてくれるし、面白い回答があればあったら、後日Twitterやnoteに書いてくれる人がいる。
それは正解が無いものに立ち向かっているからだし、その難しさを知っているからこそなのかなと感じました。

自分は全然強いプレイヤーではないです。
こうしてあれこれ言語化しているのも、どこか逃げているからだとも思うので、引き続き立ち向かって、頑張っていきたいなと思う所存です。
きっと、純粋に「楽しい」って理由だけで打ち込めている人たちには敵わないんだろうな、と思いつつも。

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