最終講評会

講座の最終回で、今年の新人賞が決まる。とりあえず結果から。
大賞は
大庭繭さん「うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えている熱」
中野伶理さん「那由多の面」
に決定。
最後の最後まで藤琉さん「聖武天皇素数秘史」(優秀賞)が競っていて、面白い展開だった。というよりも東さんのエンターテイナーぶりを楽しむ内容だったというほうが正しいかな。
割と初めの段階で大庭さんの受賞はほぼ確定だったように思うのだけれど、それを東さんが(ちょっとシリアス気味に)混ぜ返して、伊藤さんがボケて転がすような感じ(それでいて編集者としては真っ当な感覚でバランス調整をしつつ)でかき回すという盛り上げ方で、候補者のお三方としては、ハラハラしながら、見ているほうは結果がどうなるのか、ある意味読めないような展開が演出されていて楽しめた。このメンバーでの審査が数回続いているというのも、こういう息の合った流れを作っているのに無関係ではないだろう。選考をオープンにする試みは、おそらくこの四人でなければできなかっただろうなと。
選考過程を透明化したことで、視聴者から「コネじゃないか」みたいな文句がついたというのもゲンロンらしいというか、そういうことも正面から対峙していく馬鹿正直さというか愚直さみたなものがいかにも東さん、という感じでよい。

来期の開講も発表され、自分は受講しないけれど、継続したいという声もちらほら聞いたので、また競争率が高くなりそうかも?
受講料も安くはないし、狭い枠を選抜されて受講するので、ぜひとも「実作」は書ける限り書いたほうがいい、としか自分からは言えない。
変に錯覚しやすいシステムだけれど、基本的に「どうやったら梗概が選ばれるのか考えるゲーム」ではなくて「大森さん(運が良ければゲスト講師にも)に実作を読んでもらって感想をもらう場所」と考えたほうが、絶対的に生産的だと個人的には思う。動画だけを見ている人は、選ばれなかった人の作品にはほとんど言及されていない印象かもしれないけれど、講座の後や飲み会の時間に、直接大森さんに話を聞きに行けば絶対に詳しい感想を聞かせてくれるので、「梗概が選ばれなかったから書かない」というのは自分としてはあり得ない(勿体なさすぎる)選択だと思っている。

やはり忙しさもあるし、モチベーションを保てないという人もいるかとは思うけれど、受講料の投資についての自分の考え方としては、
・大森さん(+ゲスト)に感想をもらう権利
・締切りを買う
・モチーフ(お題)を設定してもらえる
 (受講生の中での自分のレベルや立ち位置が見えやすい)
・運が良ければ同期の人から自作の感想を聞ける
・場合によっては新人賞が取れるかも
みたいな感覚だった。とくに執筆が習慣化できていない人にとっては上の2つは大きいのではないかと。梗概については、梗概バトル的には選考者に対するアピール、自作のプロモーション的な意味合いがけっこう大きいけれど、自分はどちらかというと自分の執筆用のロードマップ的にまとめていた。選ばれるかどうかにこだわるとけっこうメンタル的に厳しいという人も多そうだったけれど、自分は初めから「選ばれても選ばれなくてもどうせ実作を書くし」というスタンスだったので、割と気楽というか(選ばれたら嬉しいけれど)、たとえすべての回で選出されたとしても、実作を出さなかったらほぼ無意味だし、過去の「SF創作講座」を振り返ると、各回で選出された人ではなくて、最終的に受賞した人が記録・記憶に残るわけなので。

で、新人賞の結果としては、自分としては良いところに落ち着いたなという印象だった。上位3名だけではなくて、選出されたものはかなり拮抗していたと思っていたので、最終講評で3作がわりとフラットに論じられて、作品の方向性の違いから甲乙つけがたいというのもわかる。
東さんが、完成度を重視して中野さんに高得点をつけて推していたのも、自分と同じ判断基準だったし、少し前の記事で自分が中野さんを推した際にも「選考委員的に」という理由を付していたので、このあたりは予想通りだった。

また、大庭さんの受賞は来期以降の受講生への間口をより広くするためにも意義は大きいのではないかと思う。第一期から考えると講座自体が「SF」の間口をどんどん広げていっており、受講生のバリエーションや嗜好も広がってきているので、「SFはよくわからないから不安」という垣根もだんだん下がってきていると思われる。もちろん、個別の感想の記事に書いた通り、大庭さんの作品がSFらしくないということではなくて。
受賞後に大庭さんと話をする機会がなかったので、自分としての考えを(自分は選出もされていないのに)余計なお世話と思いつつ書いておくと、今後の執筆活動として、自分の中にないテーマやモチーフをたくさん見つけたり、超短編でもいいので書いてみたりするといいかなと思う。
これから活動の初期に発表するであろう作品で一定の読者層をつかめたなら、そこを大切にしていけばいいと思うけれど、長く続けていくうえで、自分の中にはないものをどうやって書くか、を早い段階で試行錯誤しておくと結果的に自分の得意な作品でももっと魅力が引き立つのではないかと。もともと文体には魅力があるので、それを磨きつつ、武器を増やしていければ。

また、選考の合間で、菅さんと藤井さんから選外作品への言及もあり。自作については、藤井さんからは「面白かったけれど少し書きすぎ」という感想をいただいた。確かに文章の圧縮力を高めた分、二つ分のお話を詰め込んだ感じはあるし、後半の展開がわかりづらいという指摘はいろいろな方から受けたので、もう少しスッキリさせて読者が素直に楽しめることを意識してければなと思う次第。
菅さんからは「SFターゲットではない、くどい」という感想。以前、過去の最終講評の動画を観ていた際に、自分の作品はたぶん菅さんからはあまり評価されないだろうなと直感的に思っていたので、最終選考の選考委員が去年と同じと発表されたときに(結果的には選出されなかったので関係なかったけれど)、厳しいかなーと思っていた。SFターゲットではないというのは、アピール文にもその趣旨を書いていてその通りなのでいいとして(ただ、この一言で切られてしまうとSFの(SF読者のある種の)狭量さを感じてしまうが)、このことについて自分の作品にだけ言及したということは、他の人の作品はすべてSFターゲットということで、そうするとそのあたりの線引きがどこになるのか、判断が難しい。もう一つの「くどい」というキーワードは、たしかに以前から自分の文章は「くどかった」ということ思い出して、頭の中がすっきりとした。というか、「くどい」という言葉が完全に意識から抜けていて、「そうだ、そういえば自分はくどかった!」ということを取り戻したような感覚で、よかった。だいぶ文章はすっきりさせたつもりだったけれど、まだまだ「くどい」と感じさせてしまうのかという反省も含めて重要な指摘。
しかし、このnoteの記事の書き方をみれば、「くどい」というのはよくわかるな。

講座後の打ち上げ(今回は懇親会とは書かない)では、自分が一押ししていた鹿苑さんと話したかったので声をかけて、鹿苑作品の魅力についていろいろと語ってしまった。講評では全体的にあまり評価は芳しくなかったのだけれど、文体へのフェティシズムの高さは大いに魅力があるし、モチーフへのこだわりみたいなものをうまく演出する力があるので、そのあたりに磨きをかけていけば、読み心地がよくて耽溺できるような作品をたくさん書いてくれるようになるのではないかなと。
今回の最終実作で、自分が良いなと思った作品を振り返ってみると、鹿苑さん、瀬古さん、真崎さん、と自分の好きなもの(フェチ)を前面に出してエンタメに昇華した作品が好きなのだな、と納得がいった。真崎さんと話していて「自分の面白いと思うものを、面白く他人に伝える力」ということを言ったのだけれど、エンタメにおいては何にも代えがたい才能の一つだと思う。

そのあと、池田さんとけっこう長く話していた。作品にテーマを設定することについて、池田さんの作品は会話や議論を通してテーマを浮き立たせていく手腕が見事で、読者にも考えることを求めるような、強さのある作品で、逆に自分の作品はテーマが薄いというかないというか、テーマを求めて読まれると肩透かしな感覚はあるかもしれないなと。
選考会で、池田さんは自作のバックボーンについてけっこう長めに語っていて、それをどういうふうに捉えるかは人それぞれだけれど、自分は本当にいい機会を与えられたなと感じた。ああいう場面であれだけ語れれば、いろいろなことから解放されるというか、もっと小説を書くときに自由になれると思う。自分にはそういう語るべきことも、語る度胸も、ないので、あの場面は羨ましく感じた。
自分のことは薄っぺらいほうだと思っていて、深奥には何かあるのかもしれないけれど、基本的に性格がマイペースであまり動じないというか感情の起伏が薄いので、あまり奥から何かが表出してくる機会がなくて、自分でも気がつかないほど、見えずらくなってしまっている。もう少し若い頃はいろいろと不満や苛立ちもあったような気がするけれど、それでも以前の作品でもあまりそういうことを前面に出してはいなかった。
小説を書く動機はいくつかあると思うけれど、一つは「自分の伝えたい主張(テーマ)を小説に託して表現する」ということ。もう一つは自分の考えたことを「騙って」人を楽しませたいということ。で、自分は圧倒的に後者なのだった。とにかく自分の考えたお話をべらべら喋って、人を楽しませたいとか煙に巻いて不思議なところへ連れていきたいとか、そういう感覚が強い。
このことを突き詰めて考えると、けっきょく自分の資質としては文学よりもエンタメなのだな、というところに行き着くと思う。執筆を始めた当初は文学寄りの作品を書いていて、新人賞もそちらを意識していたけれど、講座の期間を通して、テーマの不在ということを鑑みるにつけて(もちろんエンタメ作品にもテーマは必要だとは思うけれど)、とにかく人を「面白がらせる」(単に楽しませるとは書かずに)ということを自分はやりたいのだと改めて思った次第。
しかし、もう一方で、観測者でありたい、という意識も強くあって。視線、見ること、眺めること、観測(観察)すること、ただ淡々とレンズに映るものを描写すること、というのが自分にとって、書きたいものの一つ、心地よいものの一つとなっている。その点について、池田さんから「でも、観察するには対象がありますよね」ということを言われて、その対象から、テーマを見つけることはできるかもしれないと思った。
最近、カメラを購入していろいろなものを撮りまくっているのだけれど、かなり楽しくて、カメラの腕を磨いていくことで、自分の目を鍛えていきながら、テーマを見つけることはできるかもしれない。

今回、有り難いことに受講生やSNS、Webラジオなどで自分の作品に関する感想をいただく機会が本当に多くて、個人的な感覚として3つの方向性に分かれると感じた。

1.面白く、リーダビリティが高くて推進力があって、楽しめた(けど結末がちょっとわかりづらいかも)
2.面白いけれど、もう一押し足りない(大森さんもこの意見)
3.うまいとは思うけれど、いまいち乗れない(テーマや伝えたいことがなく肩透かし感やどこを読んでいいかわからない)

とこんな感じ。
トータルでポジティブに解釈するとすれば、「読みづらい」「つまらない」「意味不明」「破綻している」みたいな意見はほぼ聞かなかったので、ある程度は「安心して読める」レベルには達することができたのかなと。そのうえで、もう一段階上げていかないと、今の書き方ではこれ以上望むのは厳しいですよ、という感じ。
これは今期の第一回から言われていたことで、けっきょくずっとそこに囚われているというか抜け出せていないということであり、一年間書いてきて、ある程度文章は上手くなったかもしれないけれど、本質的な部分はあまり進歩できなかったという自覚はある。
ひねくれている自分でも「1」については素直に受け止めて自信としていきたい。打ち上げで真崎さんが感想を聞かせてくれて、結末も含めて本当に自分の意図通りに読んでもらえていて嬉しかった。しっかりと自分の意図した「エモさ」みたいな部分も感じてもらえていて、冥利に尽きるというか、本当に有り難いこと。
「2」については、大森さんには今期を通してかなりの割合で指摘されていた。そして藤さんにも何度となく言われていて、ラジオでもトキオさん(天沢時生さん)にも言われ(というよりも第二期の頃からずっと言ってくれている)、自分でもずっと何とかしたいと思っているけれどうまく殻を破れないところで、これはもう本当にどうにかしないと前に進めないというのは理解している。藤さんにも最後にまたアドバイスをいただいたし、次にある程度の長さを書くものについては、ここは突破したいと本当に思っている。
で、けっきょくのところ「3」についてもここに帰着するんじゃないかと。この点は、今回、池田さんと話をしていてかなりクリアになったし、ラジオで邸さんがいまいち乗れなかったというのもここに原因があると思い、またダルラジの牧野さんはたぶん自分の作品が苦手なんだろうなと思いながらいつも聞いていたのだけれど、その理由もこのあたりのような気がしている。
基本的に、自分は講座の後に講師の方に質問や個別に感想をもらいに行くことはしないのだけれど、今期で唯一、長谷さんに「テーマの必要性・重要性」について質問に行った。けっきょく、それをものにすることはまだできていないけれど、ここがつかめるようになれば、絶対に自分は覚醒できると期待している。ので挑み続けたい。
感想で挙げた3つをこうして考えていけば「2」と「3」は同じ問題を扱っているので、それを克服すれば「1」に集約されて、そうなればあとは、自分のひねくれた性格(というか単に恥ずかしがりなだけかもしれず)による「重要な部分をわざとわかりづらく書いてしまう」という部分さえ修正できれば、かなり多くの人に受け入れられる作品になるはずなので、そこを目指して。

とりあえず次の文フリに申し込みはしてみたので、何かしら出せればいいなと考えている。目下、瀬古さんのアンソロと、自作の短編、それとは別にまずは公募用の作品を一つ、仕上げることを目標に進んでいく予定。

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