#2

これから心機一転、書きはじめるとして、次はどういったアプローチというか書き方を心がけていこうかと、頭の中でぼんやりと考えている。
今期の講座を通して意識していた文体としては、
・シンプルでわかりやすい(読みやすい)こと
・描写や比喩などを切り詰めて情報をできるだけ圧縮する
・スムーズに読みやすいリズムを作る
というような、どちらかというとソリッドさやテンポ感を意識して文章を書いていた。
以前は冗長というか、どちらかというとねっとりとしたまとわりつくような文章だったように思うのだけれど、今期は初期の段階から、硬質さを意識していって、少しずつ圧縮力が上がってきたというか、ある程度ボリュームのあるストーリーを規定の分量に収められるようになったように思う。

最終実作40000字のなかに収めてある展開の量みたいなものでいうと、自分の書いたものはけっこう多いほうだと思う。以前の文章だと同じストーリー展開を40000字では収められなかっただろう。

その半面で文章のきれいさというか流麗さみたいな部分はだいぶ削ぎ落してきたので、文章がいいというような印象は弱くなってしまっているかもしれない。それでも最低限必要な描写はなるべく押さえていったけれど、もっと描写で盛り上げたり浮き立たせたりというアプローチもまた盛り込んでいきたいところ。今後は分量をあまり気にせずにしばらくは書けるので、また文体をアレンジ、チューニングしていきたい。

あとはいろいろと自作への感想の断片みたいなものを拾い集めてみて、盛り上がりに欠ける、淡々としている、という部分がけっこう言われていた印象があり、淡々としたのはある意味では意図通りではあるのだけれど、面白さにつながらないのであれば効果的ではないので、もう少し文章をうねらせた方がいいのかもしれない。
自分にとって心地の良いテンポというか、落ち着くスピード感、静かにじんわりと熱い、みたいな感覚が好きだということがあって、どうしてもそちらに拠ってしまうのだけれど、このあたりはトレーニングを積んで改善していきたい。
ただ、凝った比喩が嫌いなのはどうしようもないので、このあたりはなるべく使わずに楽しんでもらえるような書き方を考えなければ。おそらく自分が今期書いた小説では比喩表現はけっこう少ないのではないかな。数えているわけではないので自分で思っているよりも安易に使っているかもしれないけれど。

あとは情報は思いのほか伝わらないというか、読まれないというのも何となく感じた。読まれない、というか「正確には読まれない」ということかな。自分は性格的に気がついた部分はきっちり埋めたいというか、なるべく詰めておきたいという、変な几帳面さがあるので、可能な限り、誤読されたり、矛盾点や唐突さがなくなったりするように情報を埋めていく傾向があるのだけれど(今期でそのあたりの気の配り方は多少向上した気がする。気のせいかも)、読者にとっては、律儀にすべてを丁寧に読む必要性もないので、人によってはけっこう読み飛ばしたり読み流したりすることもあり、自分もふだんの読書でどれくらい精緻に読んでいるかというと、そのときのコンディションや、作品の好みなど、いろいろな条件によってバラツキがあるのだから、自分の小説が書いたとおりに読まれるという過信というか思い込みのようなものは危険だなと感じた次第。

ある程度、読み飛ばされても違和感がない構成にしておく、というのはどこを読み飛ばされるのか予測ができないのでかなり難しいけれど、単純に情報の密度を下げるとか、わかりやすい場所に大きめに(かつシンプルに)目立つように置いておくということが必要なのかもしれない。
あとは自分としては「書いたつもり」になっていても、伝わっていない、あるいは、納得させるのには不足している、という場合もあって、このあたりはもっといろいろ書いて、読んでもらって、感想をもらったりしながら、精度を高めていくしかないのかな。自分だけだと思い込みみたいなものが邪魔して意外と単純なことに気がつかなかったりする。
でもたまに、これで伝わらないならどう書けばいいんだろう、みたいなこともあるけれど。
どちらかというと、思い込みのバイアスが強い傾向があるので、もう少し頭を柔軟にしていきたい。ということもあって、デザインやら美術方面の表現のトレーニングを始めたということもある。小説に活かされてくると、もう少しマシなものが書けるようになるかもという期待。

しかし、一年弱かけて数作品、ある文体を突き詰めようと意識しながら重ねていけたのは今後に何かしら役に立つかもしれないので、まぁ良しとしておこう。

ところで、最終実作感想のラジオについて、「羽化とマカロニRADIO」で自分の作品の結末にふれていただいて、けっこうわかりづらかったみたいだった。自分の意図としては、名倉さんの読み方に近かった。最後の展開は恐らく唐突に読まれることは予想していたので、UFOやらドーナツやら(弱いけれど)できる限りそれを緩和するための要素を散りばめていったのだけれど、やはり厳しいというのは否めない。(このあたり、もっとうまく接続できるようになれば、いまの淡々としたスタイルでもエモーショナルにできると思うのだけれど。)
自分の性格がかなりひねくれているので、できるだけわかりやすく書く、と言いながら一番肝心のところをはっきりと書かない、ぼかす、みたいなところがあって、ぼかすというか、読者に想像させたくなってしまう。なので、あえて弟が登場するあたりはかなり会話の内容とかも主語が抜けているというか「におわす」ような感じで、わかりづらく書いている。これは良くないと思いつつ、ごくまれではあるかもしれないし、あるいは誰もできないのかもしれないけれど、シンクロして読まれた時の気持ちよさみたいなものは、たぶんかなりあると思うのだった。(誰もできないのじゃ、意味がいないのだけれど。)
はっきりと書くと、須山と弟は子どもの頃に二人でUFOに乗って遠くへ行く約束をしていたのだけれど、嵐が重なってしまい須山は行かず、弟は一人で行ってしまった。須山は置いていかれた(残された)ことをずっと引きずっていた。その後、弟は須山を迎えに戻ってきたけれどすでに須山は死んでいた(ウラシマ効果的に弟は数年しか歳を取っていない)。で、けっきょく、兄弟で最後に残されたのは「弟」で、いなくなった(死んだ)はずだった弟もまた残された者になる、みたいな終わり方、のつもりだった。
このあたりの説明というか仕掛けの埋め込み方は、たしかにかなり緩いというか、不親切というか、足りない部分があるので、どう読んでいいのかわからないというのは真っ当な意見だ。精進しなくては。
あと、弟の存在について、須山の娘にすぐに確認をしなかったのは、主人公が「須山(父親)が兄弟を殺した」ということを娘に伝えることに葛藤があったので、すぐには言い出せなかったというつもりだったけれど、さりげなく「そういえば、須山さんって弟いました?」みたいな軽い感じで訊いてもよかったのかな? 書いている間は「弟を殺した」ということの重さを主人公がけっこう真剣に受け取っているような方向で感情移入していたので、そのあたりもっと冷静にフラットに判断できるようにしないとダメだな。ある程度、主人公の気持ちが整理(納得)できた段階で確認するような展開にしてしまっている。

読まれ方って、やはり自分の期待していた、思い込んでいたようには読まれないので、感想を聞くのは面白い。そう読まれるのか、という驚きや意外性とか、そういうふうには読んでもらえないんだ、という啓蒙がある。
書いていくことによってもっと啓かれたい。

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