第八回実作提出作について

斜線堂有紀さんからの課題「最初と最後でタイトルの意味が反転する物語」についての皆の提出作を読んだので、感想を。なぜか今回、辛口な感じになってしまった……。

中野伶理さん「白砂は清らに流れ」
凝った文章で綴られていて、こういった雰囲気が好きな人は楽しめそう。個人的にはやや衒いすぎというか、わかりにくく感じてしまったところも何カ所かあった。中野さんのテーマの一つには、失われつつある文化や技術の継承問題というのがありそうで、そこにクローズアップした物語になっている。そのため、梗概のときの感想にも書いたけれど、実作になってもやはり以前の作品とやや展開が近くなってしまっているように思った。分量的な問題もあるけれど、主人公である技術者側に焦点が絞られるので、悪役の王の印象が弱いというか、主人公にとって脅威がそれほど感じられないので、ここをもっと強調する場面が出てくると全体的に緊張感が増しそう。

藤琉さん「不動明王は顔を怒らし」
梗概のときは、お漬け者というキーワードの面白さのほうに気が向いていたので、それほど気にならなかったのだけれど、実作ではカニバリズムがカジュアルに扱われ過ぎているのがけっこう引っかかったかも。人を食うことへの抵抗のなさ、倫理的な観点が一切浮上してこないところなど。「鬼」の土方ということで「鬼畜」扱いという感じなのだろうか。しかし、最後の数行のさわやかな雰囲気は好き。藤さんの作り方というか、歴史上の人物・出来事を使った(つなげた)意外なお話という部分はキャッチ―で面白いし、前回の壇ノ浦と洗濯機の渦というのも魅力的だったけれど、逆にそこに拠っている部分が強いというか、キャラクターの魅力もオリジナルというのとは違って歴史上の人物としての興味深さという面もある。また、歴史のモチーフの発想は魅力的なのだけれど、では、それをいったん脇に置いたときに、小説としての筋というか「物語としての面白さ」という部分に着目した際に、展開が魅力的かというと意外と凡庸(久々に小浜さんから拝借)かもしれないと感じてしまった。

渡邉清文さん「ミステリー・トレインの死」
タイトルから推理的なものを期待してしまったのだけれど、ミステリとしての面白さはそれほどでもなかった。キャラクターとしてはシズの魅力がもう少し読者にも伝わるように前半に見せ場があると、消された時の衝撃も強くなって読者を作中に引き込むカギになるのではないだろうか。後半は種明かしの部分に紙幅が割かれているけれど、個人的には仮想列車の中での殺人事件という仕掛けの面白さやミステリ的な緊迫感といった部分をもう少し手厚く書いてもらった方が楽しめたように感じた。

やらずのさん「悪事」
第六回実作「彼女」のときのような二人の間のなめらかさを感じてしまった。このあたりは、好みというか感覚というか、自分があまりそういうふうに他者に入っていかないという面も強いのかもしれないので、個人的な印象なのかも。かなり執拗に恨みを募らせて時間もかけて目的に近づいたところでのラストの展開は、『無限のリヴァイアス』の25話を見たときと似たような感想(というか登場人物のセリフ)を持った。

真崎麻矢さん「ピース」
かなり力の入った文章。「文章」としたのは、まだこなれていないというか、気負いみたいなものが感じられてしまい、真崎さんの「文体」にはなっていない、という感じがしたので。描きたい画やイメージがあるというのは強く感じられるのだけれど、読みながら、けっこう行間があるというか、読み取りづらかったり、間が飛んだような感覚になることがあった。文豪を模したキャラクター同士の関わり方など、抱いているイメージの豊かさみたいなものは魅力的。

蚊口いとせさん「青白い顔」
梗概と同じタイトルでガラッと内容を変えてきた。蚊口さんの得意な描写の一つは「嫌な感じ」だと思うのだけれど、他にも「苛立ち」や「怖さのあるこだわり」(妄執?)みたいなものも、けっこう肌感覚としてあるように思い、今回はなかなか怖い内容になっていた。サプリで徐々に白化・硬化していくというアイデアも面白かった。男側の個性がいまいち薄いので、分量的にも冒頭や前半に思い切って暴力的なシーンがあってもいいのかもしれない。より最後の冷たい怖さが際立ちそう。

ゆきたにともよさん「羽化」
分量的に短く書かれていることもあり、梗概の表面的な部分をサラッとまとめたような印象で、やや物足りなさが。梗概はけっこう好きだったし、短い中にも世界観や雰囲気は出ているので、もっと厚い描写で、それこそ主人公と同じように読者を繭に包むような、世界への引き込みが欲しい作品。

木江巽さん「今井さんちの不可解な朝ごはん」
不思議な設定や世界観なのだけれど、あまり引っかからずに読み進めさせる腕力みたいなものがある。木江さんの作品はそういう力強さのある作品が多い印象。ただ、家の構造や造りに関する描写がそれほど多くなくて、全体像をイメージしづらいというか、設定の不思議さに対して、家の魅力がそれほど感じられず、もう少し家自体に(読者も)愛着を感じるような小さなエピソードが散りばめられていると、最後のほうの何となくエモそうな展開も活きてくるのかも。

大庭繭さん「嘘つき萌ちゃん」
梗概から、うーちゃんの教育的な側面についての説明(設定?)がだいぶ抜けてしまっているので、うーちゃんの存在の意義や物語との関連性が薄れている印象。萌ちゃんに焦点を絞った展開にするのであれば、もういくつか主人公が萌ちゃんに惹かれるようなポイントやエピソードがあると、構成としては引き締まる気がする。

矢島ららさん「芽を摘む」
前半にガジェットの解説が丁寧に(大がかりに)してあって、いろいろ面白い使い方や展開を想像させるのだけれど、全体の流れとしてはシンプルな人情もののようにオチがついていくので、このあたりのギャップというか肩透かし感が勿体ないと感じた。「掌中の芽」という仕掛けはもっといろいろと遊べそうだし、スケールを広げた展開も考えられそう。

谷江リクさん「悪の組織のITコンサル」
小さな笑いを散りばめた、リクさん的な可笑しみと安定感のあるコメディ。だったけれど、今回は小ネタを詰め込んだだけという感じが強くて、盛り上がりやスケール感がいまいちで、印象に残る場面がないかもしれない。面白いのだけれど、これまでのリクさんの作品に比べると引っかかりが少ないというか、物足りなさの残る読後感だったかも。

以上。
今回、個人的にはそこまで惹かれる作品がなく、一番ポテンシャルの高さを感じられたのは真崎さんの「ピース」。というか真崎さんの梗概・実作はいつもけっこうポテンシャルが高い気がする。

最終の梗概については、特に審査もないのであえて個別に感想を書くのはどうしようか思案中。

いちおう今期の課題分の梗概・実作はすべて書き終えた&読み終えたということで、何となく考えたこと。
自分は第1・2期と受講して今回だいぶ間が空いての再受講となったわけだけれど、講座の雰囲気というか方向性が当初と比べてだいぶ変化したな、というのは強く感じられた。講座の雰囲気というか、7年の間のSFの受容のされ方の変化みたいなものかもしれないけれど。だいぶ間口が広くなったというか、いわゆる典型的な「SF」みたいな作品は少なくなっている気がするし、書き手の側もSFであろうという意識がだいぶ低くなっているような印象があって。
第1期の第1回で坂上さんの梗概について講師陣からいろいろと厳しく指摘されたようなことは、もうこの講座では起こらないだろうな、という気がする。当初はやはり「SF講座」という意識で臨もうとしていた受講生がほとんどで、「これはSFではない」みたいなことが「ダメ出し」的な意味を持って使われていたように思うけれど、現在では「SFじゃない」(けど、面白いよね/あえてSFにしなくてもいいんじゃない)というニュアンスがあるし、「SFじゃない」とストレートに批判することは、状況的にもいろいろな意味で難しくなっていると思われる。
懐古厨というか老害的な書き方になってしまって嫌なのだけれど、時代的なものもあってか、当初は、イーガン、センスオブワンダー、スペキュレイティブ・フィクション(ディレイニー)、伊藤計劃、みたいな単語が飛び交っていて、懇親会での会話の中でもSFの定義云々など良くも悪くも変な気負いみたいな空気があり、そんな中で高木さんが頭角を現して、いくつか評価の高い作品を産み出して大賞を取ったことで講座としてインパクトが出た。で、二期で八島さんのようなSF書きが参戦して盛り上がり、といった流れがあったけれど、それ以降詳しく追っていなかったので、どのタイミングからかはわからないけれど、わりとSF像が柔らかくなったというか、評価される裾野が広がっていって、今に至っているような感覚。
SF講座出身のプロ作家も出てきて、受講する側も「SF講座」としてよりも「作家養成講座」みたいな感覚の人が多くなっているのかもしれない。もともとは講座に対する東さんの理念としては、SF作家にはSF読者の出身者が多く、またSF大会などプロとアマチュアのつながりが強く、コミュニティーを築いてSFをまた盛り上げたい(実作者=読者)、みたいな構想があったような気がするのだけれど、久しぶりに受講して、そういった側面はだいぶ薄れたような印象があった。
小浜さんがシラスの配信で、自分の持っている文化的な資産みたいなものを残そうとしているのも、コミュニティーをつなげていくといった側面も強いように思い、SF講座としては、そうしたものにコミットしていこうという意識が受講生にどれくらい育まれているのかという点も、講座の成否としては大きいはずで、こちらの側面はけっこう想定とは違ってきているのではないかなと、感じなくもない。もちろん、SF好きの方もいらっしゃるけれど、けっこうな割合で、作家になりたいが別にSFを書きたいわけではない(こうしていろいろ書いているけど、どちらかといえば自分もこちら側だし)という人もいるように思う。第1期のときからいたけれど、その比率が講座の知名度が上がるのと合わせて上がってきているというか。
実際のところ、SF講座として、出身作家の方々でも「SF作家」としてSF小説をコンスタントに書き続けている人(短編でも年間3~4作を継続的になど)は意外と少ないというか、SFで単行本を刊行している人ってほとんどいなくて、SF作家の養成という点では、まだまだ大きな成果は出ていないのかもしれない。
で、冒頭に書いたSFの受容のされ方の変化、ということになってくるのだけれど、前回の斜線堂さんの講義の中でも使われていた「奇想」というのがキーワードの一つになってきているように思える。評価されている梗概や、提出された実作を読んでいても、SF小説を読んでいるというよりは、奇想小説を読んでいるという感覚のほうが多く、また「奇想」が高く評価されたり面白がられたりしているような印象も結構強い(思い込みかもしれない)。
もちろんSFは「ハード」だけではなく、懐も裾野も広いので、いろいろなものがあって然りなのだけれど、現状、かなり「奇想」のほうに偏ってきているような気がする。まぁ、柔軟性という意味では幅が広いほうが面白いと思うし、自分もハードなものは書けないので(奇想もたいして発揮していないので苦戦しているわけだが)、現状のほうがプレッシャーは少ないのだけれど、「ジャンル」というものを意識するのであれば、けっこう複雑な状況にあるのではないかという気もしないでもない。
再び斜線堂さんの講義での話だけれど、ミステリでも「奇想」(特殊設定)が増えているといった傾向があるらしく、いろいろなジャンルが「奇想」化して融合していくような緩やかな流れがあるのかな。
みたいなことをつらつらと考えていた。

眠くなったので終わり。

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