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横浜駅があるのは何処か? 【ハマnote】

東京の人はよく、横浜駅周辺のことを「横浜」と呼びます。東京には、場所を表すのに近くの駅の名前を用いるという文化があるようです。

しかし、横浜に住む者(ハマっ子)にとっては、何だかしっくり来ません。本来「横浜」とは幕末に開港地として造られた都市の名前であり、具体的には「関内」と呼ばれるエリア(注:関内駅周辺という意味ではない)のことです。横浜駅は、そこから少し離れすぎているような。

そのあたりの経緯、横浜駅周りの変遷を、地図を使って説明したいと思います。

1. 鉄道開通

明治5年(1872年)、日本初の鉄道が東京〜横浜に開通しました。それぞれの都市の入り口として、両端に造られたのが、新橋駅と横浜駅です。また、品川、川崎、神奈川という東海道53次の宿場町の近くにも、駅が造られました。「品川」も「神奈川」も、当時は独立した都市だったわけです。

明治5年10月 鉄道開通当時の路線図(現代の地理院地図を元に作成)

当時の横浜駅の周辺を拡大してみます(下図)。当時の横浜駅は、今の桜木町駅。ややこしいので、「横浜駅I.」と書きます。そして赤い点線で示したのが今の横浜駅と線路です。ここだと、江戸時代には完全に海の中ですね。それにしても、当時の列車の車窓がとても気になる。きっと絶景でしょう。

また、当時の市街地にもおおまかに色を着けました。当時の横浜駅、横浜駅I.はちゃんと横浜という都市の入り口に位置しています。そこから海を挟んで、神奈川の町が細長く広がっていました。

1881年当時の横浜(「横浜実測図」(明治14年2月)を元に作成)

補足ですが、幕末に開港した当時の横浜の町は、周囲を川に囲まれていて、橋には関所が設けられていました。攘夷派のテロリスト対策と言われています。横浜の市街地は関所の内側なので「関内」と呼ばれていたわけです。

今の地図で言えば、大岡川と中村川、根岸線の線路(の南側にある首都高)に囲まれた部分が関内です。関内駅も一応ちゃんと関内側に位置しています。関内に対して、対岸の伊勢佐木町側は「関外」というのが本来の名称です。

近年ではよくありますが、関外側のマンションや店に「関内」という名前を付けるのは、個人的にはあまりいいと思いません。できれば場所の歴史は大切にしてほしい。場所を表すのに近くの駅の名前を用いる、という、東京の文化からすれば、別に間違ってはいないのでしょうが。

2. 東海道線の延長と横浜駅の移転

さて、話を戻します。1908年(明治41年)の時点では、線路の形状はこうなっていました。東海道線を造ることになって、元々あった東京〜横浜の路線に、無理やり西へ向かう線路をくっつけた感じです。

国土地理院Webサイト 2万分1正式図「横濱」 1908/10/30発行
を元に作成

結局、横浜駅を移転することになりました(下図)。東海道線を少し曲げて、かろうじて「横浜の中心市街地への玄関口」と言える位置に駅があります。大正5年(1915年)に開業したこの新しい横浜駅を「横浜駅II.」と呼ぶことにします。大阪方面へ向かう列車も、横浜駅II.を素直に通ることができます。

国土地理院Webサイト 旧1万分1地形図「横濱」 1923/10/10発行
を元に作成

一方、もとの横浜駅I.は、桜木町駅という名前で残されました。今の京浜東北線にあたる路線もすでに開業していますが、横浜駅II.で東海道線と別れて、桜木町に向かうようになっています。今と同じような構図です。

また、当時はすでに神奈川の町は「神奈川区」として、横浜市の一部になっています。1901年に横浜市に吸収合併されました。

3. 横浜駅の再移転

関東大震災で被災したこともあり、再度駅と路線を再編することになりました。今に続く「横浜駅」、横浜駅III.の誕生です。横浜駅の場所は、かつての神奈川の町の、すぐ目の前になりました。
ここまで来ると、横浜という都市の入り口とは言い難い気もします。「横浜に用のある人は、横浜駅III.で乗り換えてもうひと駅行ってください」ということです。

国土地理院Webサイト 旧1万分1地形図「横濱」 1930/12/28発行
を元に作成

横浜駅III.の建設にともなって、横浜駅II.だけでなく、ほとんど場所がかぶっている神奈川駅も取り壊されます。「 横浜駅II. + 神奈川駅 = 横浜駅III. 」と言えるでしょうか。
いまでも京急にだけは神奈川駅が残っています。(実際は京急の駅の方にも紆余曲折があったと、Wikipediaには書いてありました)

4. そして現在

戦後になって横浜駅III.周辺も開発され、海側は造船所が埋め立てられてみなとみらいになりました。一方で、横浜駅III.の近くに神奈川という町があったことは、ほぼ忘れ去られています。ちょっと悲しい。

あらためて今の横浜駅と、明治時代の海岸線を重ねてみました。

国土地理院「地理院地図」を元に作成

タイトルを回収すると、今の横浜駅があるのは「神奈川の近くの海の上(江戸時代まで海だったところ)ということになります。
有名な葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」って、ひょっとすると今の横浜駅の辺りの風景なのかもしれない。(さすがにもっと沖に出ないと、こんなに波は高くならないか…)

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