身体の自由を奪われる時

このお盆休みと呼ばれる8/11〜8/20の間、初日と最終日に大切な人との再会を果たした。

8/11は祖母のお見舞いで静岡の伊豆長岡市へ。去年の2月に病で倒れ、入退院を繰り返していた中で時期も悪く東京の人間は面会させてもらえない最悪の時期は過ぎて2020年正月以来の再開となった。

去年の春、介護ベッドを入れるために片付けに行った際に少し電話をした時に泣かれてしまったのがずっと心残りだった。

前乗りしていた父と合流し、電車とタクシーに揺られ病院へ。久しぶりに会った祖母の姿はすっかり変わり果て、ふっくらした顔もパーマの掛かった髪でもなく、病院のベッドの上に横たわっていた。看護師さんに「ご家族の方が面会に来ましたよ」と言われただけで目をつぶりながら泣き始めてしまった。

母が「ずっと会いに来れなくてごめんね」から始まり、泣きながら祖母に話しかける姿を見ているのも辛く、私はすっかり冷たくなった祖母の白い手を優しく包み込む事しか出来なかった20分間はとても長く感じた。

去年は電話越しにあんなにはっきり話していたのに、すっかり衰弱し切って記憶も錯乱しているのか。あの震災の津波の映像が老いた脳裏に焼き付いていたのか。「あの時は怖かったねぇ」とずっと繰り返していることをとても物悲しく感じてしまった。

そして、今日。8/20はフリーター時代の先輩が上京してくるとのことで5年振りの再会を果たした。

そしてかつて私たちが出会ったお店へ。私が2年7ヶ月の間お世話になった店長、改めオーナーに会いに行った。

話は遡ること数ヶ月前。久しぶりに貰ったLINEには「去年、病で倒れた。装具使って歩けるようになったから、店に来る時は連絡ちょうだい」という趣旨の内容。

LINEに気づいた瞬間、ショックすぎて涙が出たことは覚えている。

お店を離れてからもたまに立ち寄り、時にはタダ飯、就職してからはちゃんと稼ぎあるから払いますよ!とは言ってもいつもサービスしてくれた店長の身体が不自由になってしまったことが何より信じられなかった。

約束の時刻より早く到着した私たちは適当にオーダーしたものをつまみ思い出話をしながら彼がやってくるのを待った。やってきた瞬間、その姿がLINEの文面から想像した姿とまた違っていた。

左腕にギブス、左脚に装具。

右脳をやられたのは聞くまでもないだろうその姿。寝たきりは免れたとは言えまたしても辛い現実を突きつけられてしまった。そんな気分になった。

厨房とホールを行き来して私が辛い時は笑いを誘って元気にしてくれる明るい店長からはすっかり表情が消えてしまっていたのが何より悲しかった。

ちょうど店が忙しくなってしまい、暫しオーナーの姿を見ていた。オーダーを通すことは出来ても両手を使うことはできず、スープ以外の料理を運んだりお会計をしてテーブルの片付けを頑張ってやっている姿をただ見守ることしかできなかった。

店が空いてから私たちの席の側に座り、近況報告。左腕は動かなくなってしまったそうで、何度も何度もギブスの固定位置を気にしていたのが印象的だった。

深刻な空気にならないよう私はずっとアホみたいに笑い続け、先輩のバスの時刻を思い出して店を後にした。

帰る前に「今度は平日にゆっくり来てよ。俺もリハビリぐらいしかやることなくて暇だからさ。」と話す言葉に寂しさが滲み出ていた。

平日休みを取った日はなるべく行こう、そう決めた瞬間だった。

かつての恩師、飲食時代の師匠に何か良き形で恩返しを出来るように私は自分の仕事に向き合い、病気知らずの身体に感謝して生きて行かねばならない。そう思わざるを得ない休みの締めくくりの日になった。