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妊娠から自然流産までの記録

これは私の実体験です。

妊娠してから、喜びと不安がたくさん押し寄せてきて大変でした。

そして、流産とわかった時はとても辛かったです。

でも、そんな時に私を救ってくれたのは、ネットに書き綴られた、医師の専門的な情報や、何より、心の動きもわかるような実体験の記録でした。

妊娠、出産のおめでたい話はたくさんまとめもあって、その情報にはずいぶん助けられました。

しかし流産となると、あまり詳細な個人の記録は出てきません。当然ですね。思い返すのも辛い出来事です。私も流産とわかった辺りから、毎日、何をするのも億劫になりました。そんな状況で記録を残すのも難しいです。

でも、そんな中でも、記録を残してくれていた人のブログを読んで、そのブログに私は助けられました。少しだけ、落ち込む気持ちや、自然流産を待つ間の不安な気持ちがマシになりました。

私の様に不安を抱えた人の、少しでも参考になればと思い、私も出来る限りの記録を残してみます。

前提情報

私は30代後半の既婚女性で、夫は30代前半。妊娠経験無し。フルタイムの事務職。月経周期は概ね26日周期で、5日間くらいで終わります。周期はズレても25~28日の範囲で、自分で計算した次回の月経予定日から3日過ぎても月経が来なければ「これは異常事態だ!」と自分で思うくらいの規則正しい月経周期です。軽度の拡張型心筋症で投薬しながら経過観察中。びまん性甲状腺腫も有、妊娠などのストレスをきっかけに甲状腺機能低下症を起こす恐れ有。甲状腺ホルモン値は投薬無しでも正常値だが、妊婦に推奨される数値よりはやや高いので、妊婦に適した数値になるように妊娠前から投薬中。

既往症の事情等も有、妊活は今回が初めて。ネットなどで学んだ知識から、時々基礎体温をはかったりしながら自己流でタイミングを取り始め、恐らく4回か5回目くらいで妊娠に至りました。

妊娠超初期

10/29 最終月経。

11/12 恐らく排卵日(基礎体温や体感から割り出したものなので不正確です)

11/24 26日周期だと月経予定日。月経が始まらない。いつもなら月経前症状として、頭痛や腰痛やイライラがあるが、それがほぼない。体温が下がっていない実感はあるが、月経前にのぼせたような感じになる事も良くあるし、乳房は少し痛むが月経前にも痛む事があるので、月経前症状と、妊娠の初期症状との区別は出来なかった。まだ妊娠と思うには早いと思うが、妊娠の可能性も考えて行動に注意しようと考える。

妊娠初期

11/27 フライドポテトが食べたい。が、食べない。

11/28 やっぱりフライドポテトが食べたい! 夫が仕事休みだったので夕飯を用意して帰りを待ってくれていたが、夕飯を食べた後に、どうしても我慢出来ずに冷凍のフライドポテトを自分で揚げて食べた。謎の衝動に突き動かされフライドポテトをモリモリ食べながら、これはたぶん妊娠しているなと確信する。夫に「私、生理が来ないんだよね~」と軽く伝えて「えっ」と言われる。

11/29 恐らくこの辺りから、乳房の痛みが、月経時のそれとは明らかに違ってくる。外出中にちょっと走ろうとしてほんの少し揺れただけで痛い。これが妊娠するという事なのか、と驚く。同時に万が一妊娠していなかったら確実に何か別の病気だな、とも思う。

11/30(土) 体温は36.9。平熱は36.5くらいで、月経時は35.8くらいまで下がってしまう事もあるので、やはりこの土日の休みの間に月経が来なければ、妊娠で間違いないであろう事を夫にも話す。つわり症状の吐き気を感じ始める。いつものように家事をこなせず、仕方がないので安静にしてすごす。妊娠かどうかを診断して貰うために、いつ産婦人科に行ったら良いのかなど、妊娠を前提に本格的に情報を調べ始める。700円くらいの妊娠検査薬を始めて購入する。値段が高くて驚く。

12/1 込み上げる吐き気をこらえながら会社に行く。使うのが早すぎて妊娠検査薬が無駄になったらもったいないと思い、もう数日検査は我慢しようかと思っていたけれど「こんなに吐き気があるのに反応しないとかないだろ!」と半分キレぎみに使ってみる。陽性反応。つわりも始まっていたし、特に感動はない。むしろ、妊娠検査薬が正常に機能しているのかちょっと不安になりながら、ただ眺める。仕事から帰ってきた夫にも陽性反応だった事を報告。夫は全然喜ばず。父になる責任の重さに暗い顔をしている。そこから喧嘩に発展。夫は謝ってくれたものの、私は少しモヤモヤする。

12/2 この頃から、なるべく空いている電車に乗る為に家を早く出るようにする。吐き気があり、ご飯を作るのも辛かったので、父になる責任の重さに潰されそうになっている夫に気晴らしもかねて「夕飯は貴方の好きなものを買って来なよ」と言ってみる。夫はマクドナルドのセットを意気揚々と買ってきた。昨日の事を改めて謝りながらフライドポテトをわけてくれた。この頃の私には、お腹の中で何かが歌っているような不思議な感覚がありました。

12/5 初、産婦人科受診。ネット情報を参考に、診察がしやすいようにとスカートで行く。0.65センチの胎嚢が確認され、子宮外妊娠ではない事がはっきりしてホッとする。「胎嚢が小さい」と言われた事が少し引っかかるも、次回は一週間後くらいに来て下さいと言われ、次回の予約を入れる。「母子手帳はまだもらいに行かなくて良いですからね」と言われ、ネットにも母子手帳を貰いに行く時期はもう少し先だと書いてあったなぁ、と思う。産婦人科でもらった妊婦さん向けの案内には、出産予定日が2020年8月4日と書いてあった。妊娠出来た事が嬉しくて皆に報告したい気持ちになるが、まだ初期だし、お医者さんの言い方も引っ掛かったし、既往症や年齢を考えたら流産する可能性も高く、人に言わないように我慢しなくては、と思う。が、実母には、万が一流産した場合の心のケアも頼りたいと思っていたので報告。なんか素直じゃない受け答えをされたけれど、最終的には涙を流しながら「体を大事にしなさいよ」と心配しつつ喜んでくれた。

12/7 会社の用事で遠出しなければならず、なるべく空いている電車を選んで座席を確保しながら移動。途中、変なところで喫煙している人がいて、出会い頭に風が吹いてもろにその煙をかぶる羽目になる。慌てて息を止めて逃げたが、帰り道、遠出した事もあってか、因果関係はわからないが体調が悪くなる。夜、ごく少量の出血。遠出を断るべきだったのかとか色々な事を考えて不安になる。

12/8 朝起きたら、体の中が静かだった。つわりの吐き気はバリバリあって、お腹の違和感もある。乳房も痛い。完全に妊婦の体だが、『歌が聞こえない』オカルトのようだけれど、朝起きて一番に思った事だった。怖くてお腹に話しかけてみる。返事がない。それは当たり前なんだろうけれど、生きている気配がない。昨日まで聞こえていたはずの、歌のようなものが聞こえない。ごく少量の出血は続いていたが、腹痛がある訳でもない。妊娠初期のごく少量の出血は良くある事のはずで、切迫流産の状態ではあるけれど、すぐに流産を疑うような話でも、病院に行かないといけない状態でもないはず。けれど、いったいこの感覚はなんなのか、自分の感覚にとまどい、夫にもその事を話してみる。受精卵に問題があった場合はどうにも対処のしようがない事をネットで読み、ただ祈る気持ちで安静につとめる。

12/9 朝起きたら、お腹の子は女の子のような気がした。昨日の『歌が聞こえない』という感覚は気のせいだったのかと思う。でもしばらくすると、お腹の中から『歌が聞こえない』あの感覚がしてくる。夫に不安を話すと「気にしすぎたら良くないよ」と励ましてくれた。吐き気をこらえながら、会社に行く。母子手帳が無くてもマタニティーマークはもらえるとネットで見たので、つわりが辛すぎるし、人混みで人にぶつかられるのも怖かったので、JRの駅でついにマタニティーマークを貰う。

12/11 この頃、良く悪夢を見る。妊娠中の症状の一つに、悪夢を見やすくなる、というものがあると知り驚く。つわりは酷くても、妊婦さんの頭の中は幸せでほわわんとしてるんじゃないの? 割りとしょっちゅう悪夢にうなされてるの?? え???と驚く。眠りが浅くなるのはわかるけれど、ようやく眠れたと思ったら悪夢を見るとか、神様は試練を与えすぎでは?と思う。便秘ぎみだし、げっぷやらおならやらでるし、今まで妊婦さんをキラキラした存在に勝手に見ていたけれど、内情はこんな事になっていたの?どうして私が今まで見てきた妊婦さん達はあんなに綺麗だったの??さては皆、物凄く努力していたんだな??と思う。

12/12 二回目の産婦人科。胎嚢1.35センチ。順調に胎嚢は大きくなっているが、「赤ちゃんの姿がはっきり見えない」と言われる。少量の出血があったがもう出血は止まっている事をお医者さんに伝えると「確かに少し血がたまっている感じはある」と言われた。お医者さんも、この時点ではなんとも判断のつかない様子だった。「また一週間後に来て下さい」と言われた。ネットで妊娠に関する事を色々調べているうちに、妊娠から出産まで辿り着けた人は、この初期の検診で「一週間後に」と、細かいペースでの受診をあまりすすめられていない様子だと気づく。『歌が聞こえない』あの感覚は、勘違いではないのかもしれないとどこか思いながらも、つわり症状はしっかりあったので、まだわからない、お腹の子がちゃんと育つように頑張ろうと考えていた。

12/13 朝食を取らずに家を出て、会社に着いてから朝食を食べる方が吐き気が酷くならなくて済む事に気づき、家をなるべく早く出て、会社で朝食を食べるように生活習慣を変える。

12/21 かかりつけ医の通院日だったので、妊娠を報告すると、体の事を色々心配してくださった。血液検査をすすめられたのですぐにしてもらい、心エコーと甲状腺エコーの予約も入れた。(ちなみに、この時の血液検査の結果は後日わかりますが、甲状腺の数値は問題無しでした)その午後、今度は産婦人科に行った。胎嚢は2.33センチ。順調に大きくなっていたが、赤ちゃんの姿が見えない。「8割、流産の可能性があります」と言われた。医学的には8割でも『歌が聞こえない』あの感覚があったので、私的には言われた瞬間に10割だと思った。「心臓病があるので、全身麻酔で手術するより、自然流産を待つ方が良いかもしれないけれど、手術はどうしますか?」と聞かれた。手術の事を聞くって事は、先生も流産確定だと思っているんじゃないですか?とは怖くて聞けなかった。手術の場合にかかる費用を参考までに聞き(確か数万円ほどで、さほど高くはなかったです。心疾患があるので、麻酔科管理でやるならプラスで三万だか五万だか実費負担になるともおっしゃっていたかと)、手術にリスクがあるなら、自然流産を待とうかと思うという考えをなんとか話す。「一週間後、もう一度診てみましょう」そう言われ、診察室を出た。早く家に帰りたかったが、混雑している産婦人科は、会計の順番もなかなかまわってこない。家に帰るまでなんとかこらえたが、家に着くなり泣いた。大泣きした。夫に手短にlineで報告したところ、仕事の休憩時間に心配して電話してきてくれた。夫の休憩時間がなくなっちゃうと思って、涙をこらえようとしたけれど、励ましてくれる夫の声を聞いていたらやはり泣いてしまった。そのあと、実母にも泣きながら電話で話を聞いてもらい、仕事から帰ってきた夫にもまた改めて話を聞いてもらって泣いた。夫も実母も「まだ2割可能性があるんでしょう? はっきりするまではその2割の可能性の方を信じてみようよ」と励ましてくれました。夫も実母も『流産なんて信じたくない』という本人たちの気持ちもあったんだろうと思います。でも、私の体の中の事は私が一番わかるよ。だって『歌が聞こえない』んだよ。最初はあんなに騒がしかった体の中が、つわりはあるのに今は何故か静かなんだよ…。そんな事を思いながら、それでも、たまたまエコーに上手く映らなかったとか、排卵日の計算がずれていたとか、何かの間違いであってくれないかと願いながら、翌日も含め、ほとんど2日間を泣いてすごしました。

12/24 この頃から徐々に、吐き気などのつわり症状がやわらぎ始める。やはり流産なんだと思い、大変だったつわり症状がおさまってきても、嬉しくはありませんでした。2割の奇跡というのか誤診の可能性というのか、まだほんのわずかな妊娠継続の可能性を信じたかった。しかし、吐き気の代わりに腰痛が酷くなっていき、流産するまではその腰痛にも苦しみました。椅子から立ち上がる時や、布団に寝転がる時の違和感が強く、腰回りが痛くて少し歩き方がおかしくなるくらい影響が出ていました。

流産確定

12/28 産婦人科にて、妊娠8週目を過ぎているが、胎嚢も3.59センチと大きくなっているが、通常であれば心音の確認も出来て良いはずの胎児が確認出来ず。流産確定。流産の為、医療費は3割負担に変更。エコー画面に映った空っぽの胎嚢は、恐らく中身が消えてしまったせいか、ややつぶれて変形し始めている様に見えました。改めて、自然流産を待つ旨を話し、万が一、自然流産がいつまでも始まらない場合は、次の妊娠も考えているので、手術も検討する事も伝え、自然流産した場合は、出てきた胎嚢を冷蔵保存して持ってくれば、異常がなかったか顕微鏡検査をしてもらえるという話などを聞きました。丁度お正月を控え、なまものやら、お酒やら、妊娠していなければそういったご馳走を食べる時期でもあったので、もう妊婦ではないから、食べ物に気をつけたりする必要がないんですよね?という事を確認しました。やけ食いみたいになるでしょうけれど、この際だから、正月料理は満喫してやろう、と思いました。

12/30 仕事納め。結局妊娠してからも流産がわかってからも、一度も仕事を休む事なく、無事にその年の仕事を終えました。体は辛かったのですが、仕事を休んだら、かえって心の為に良くないような気がして、無理矢理出社していました。

12/31 私は無気力に過ごしていましたが、夫は気を使ってくれたのか、テキパキとわたしの分も家事をこなしてくれました。そのお礼にと思い、夫の好物の赤飯の用意と、年越し蕎麦の用意は私がしました。夜、夫がお酒を飲むと言ったので、私も少しだけお酒を飲みました。また来年、私の体調が落ち着いたら二人で改めて頑張ろうね、と話しました。

年が変わって、

1/1 夫は早くも仕事初め。夫を見送ったあとは、ぼんやりと過ごしました。お正月休みは、泣いたり、無気力に寝転がったり、動画を見たり、少しだけ家事をしたり、だらだらと悲しい気持ちを噛み締めながら過ぎていきました。年末に出そうと用意していた年賀状は、明けましておめでとうと送るのも変な気がして、一種の喪中だよな…と思う部分もあり、結局出さずにのらりくらりと、身内には実際に会った時に直接挨拶をして済ませました。ちなみに、夫とは年始早々に喧嘩をしました。きっかけはおせちを食べる時、今年こそはと「子宝に恵まれます様に」と縁起物の数の子を食べようとしたのですが、数の子が苦手な夫が露骨に嫌そうな顔をした事です。私は心だけでなく体も傷ついて、いまだに自然流産が始まらず、座っても横になっても辛い腰痛もずっと続いていて、それにもたえて過ごしているのに、体が無傷な貴方はせめて、私に気を使って数の子くらい平気な顔で食べられないのかと、正直な気持ちを泣きながら伝えました。また次も流産したりしたら、心が壊れそうで、次の妊活をするのが怖いという気持ちもある。だからせめて、縁起でも担いで、自分の気持ちを落ち着かせたかったのに、何故そんなに嫌そうな顔をするのか? もしかしたら妊活自体が嫌なのかと不安になる。そもそも妊活と言っても、夫は排卵日も何も把握せず、私だけが全て調べてタイミングを管理しているだけだし、貴方は本当に子供が欲しいのか? おせちの数の子を食べるくらいの事で嫌そうな顔をする人と子育てが出来るとは思えない…等々。と事細かに私の気持ちを説明したら、まさか泣くほど傷つくとは思っていなかったごめん、と謝ってくれ、今度は嫌そうな顔はせず、数の子をサクッと食べてくれました。もしこれを読んでいる夫の立場の方がいらしたら、どんなに奥さんが平気そうにして明るくふるまっていたとしても、実際は心も体もボロボロで間違いないので、気を使える範囲でかまいませんので気を使ってみてくださいね。

1/6 この頃にネットで自然流産待ちをしている方が「上手に産んであげられるかな」と書いていたのを見つけて、なんてポジティブな考え方なんだ、凄い!と思う。そうだ、焦らずに「上手に産んであげられるかな」と待てば良いんだと少し不安な気持ちがおさまる。

1/8 初めて夫と二人で産婦人科に行きました。今後また妊活する事も考えて、夫が「俺も産婦人科になれておかないとね!」と前向きに言ってくれたのが、少し嬉しかったです。エコーを見たところ、空っぽの胎嚢は2.6センチに縮んでいました。自然流産の兆候がなく、出血も全然なかったので、胎嚢が縮んでいるとわかった時は少しホッとしました。胎嚢だけがどんどん大きくなっていったりして、別の病気(例えば胞状奇胎)だったりしたら嫌だなと思っていたので。どれぐらい様子をみれば良いのか、自然流産した時はどうすれば良いのか、次の診察は予約を入れた方が良いのか、気になっている事を改めて聞いて、次回の予約は入れずに帰りました。自然流産をしたと思っても、中に残留物があって出てこない場合は、最終的にやはり全身麻酔での手術が必要になる可能性もあるという説明もありました。その日は、最初に受付で「前回の続きですか?」と聞かれ、その時は意味が良くわかりませんでしたが、その産婦人科では、恐らく流産になった方にはそういう聞き方をしている様でした。この場合は「前回の流産の続きですか? それとも新たに妊娠をされましたか?」というような意味合いなんですね、たぶん。周りに聞かれてしまう状況もありますから、精一杯ぼかした聞き方をしてくださっているんでしょうけれど、前回から二週間もたっていないのに、カルテを見ながら首をかしげつつ聞かれると、あまり良い気持ちはしませんでした。まだ流石に前回の続きですよ……。

1/11 夜になりそろそろ寝ようと思った時、急に酷い頭痛に襲われます。たえられず、頭痛薬を飲みました。ネットで色々見ていた時に、流産の前兆で頭痛が起きる方もいらっしゃる様だったので、もしかして、と思いました。やはり出血はありませんでしたが、月経の時の頭痛に似ている感じもあったので、後で思えば、やはりあの頭痛は前兆だったのかもしれません。

1/14 明け方に、男の子の赤ちゃんを産む夢を見ました。目が覚めて、その赤ちゃんが凄く良い笑顔で私に微笑んでくれていた事を思い返していたら、涙が出てきて、精神的に辛くて、妊娠してから初めて会社を休みました。その夜に出血が始まり、ああ、あの夢はやっぱり、赤ちゃんからのサヨナラの挨拶だったんだなと思いました。出血が始まったから、進行流産というのかな、と半端な医学知識で思ったりもしました。

1/15 腰痛は酷かったですし、出血も少量続いていましたが、出勤しました。仕事中に流産したら、体調が酷ければ事情を知っている女性の上司に話して早退させてもらおうと考えていました。出てきた胎嚢を保存する為の、料理用のフリーザーバッグも鞄に忍ばせていました。

1/17 無事に仕事を終えて家に帰ると、出血の量が増えていました。いつもの腰痛と子宮が収縮する様な月経時に似た痛みも微かにあり、いよいよ自然流産するんだと思いました。多い日の夜用の大きな生理用ナプキンをつけて眠りました。腹痛等が気になり、なかなか寝つけなくて困りました。

自然流産とその後

1/18 妊娠11週4日にあたる日の朝7時過ぎ、たいした痛みもなく、生理の時の出血に似た感じで、コポッとしぼんだ胎嚢が出てきました。生理用ナプキンはしっかり血を吸ってくれていたので、寝間着も布団も汚さずに済みました。掃除用のビニール手袋をして、フリーザーバッグに胎嚢をしまって冷蔵庫に一旦入れて、産婦人科の受付が始まる時間を待ちました。待っている間に泣いてしまい、受付開始から時間がたってから電話しました。「流産したのですが、次回の診察予約がまだ先なんです。出てきた物だけでも、検査の為に持って行った方が良いですか?」と聞いたら、一旦確認して折り返し電話しますという事になりました。電話を待つ間に、夫と二人で、フリーザーバッグにおさまった物に手を合わせ祈りました。結局電話がかかってきて「今日診察出来るようにしますので、今からこられますか?」と聞かれ、すぐに仕度をして行く事にしました。ただでさえ予約でいっぱいのところに無理矢理予約をねじ込んでもらった形だったので、だいぶ病院で待つ事になりました。その間、胎嚢排出前のあの酷かった腰痛はほぼ消えていたのですが、代わりに子宮や股関節の辺りが痛んで、座っているのが少し辛かったです。余計な事を考えない様に、変な刺激を受けない様に、イヤホンをして、好きな曲を聞きながら待ちました。まだ出血しているので、看護師さんと一緒に協力して、周りを汚さない様にティッシュを当てたりしながらエコー台に座って診てもらいました。お医者さんには、とりあえず塊は出てきているので、ここから手術が必要になる可能性は低いと言われました。出産した場合に飲むものと全く同じ、5日分の子宮収縮剤と抗生物質を処方され、お風呂はシャワーだけにして湯船にはつからない様にと注意をされ、基礎体温もはかってねとも言われました。流産後は感染症にかからない様に充分に気をつけないといけないようですね。あと一・二回通院して子宮が綺麗になっているかをチェックして、一ヶ月後くらいにまた生理が来るはずだから、その時に異常がなければ、診察終了となるという事も説明がありました。そんなすぐに月経が復活するのかと、驚きました。この処方されたお薬が、結構作用・副作用ともにきついと感じる方が多い様です。私も急に猛烈な下痢になり、良くわからないまま、常備しているビオフェルミンを飲みました。落ち着いた後で気になって薬の説明を読んだら、抗生物質の副作用に便意がありました。ビオフェルミンは飲みあわせで駄目な薬はまずないと思っているので、私は自己判断で飲んでしまいましたが、薬の飲みあわせは本来自己判断はかなり危険なので、これから子宮収縮剤を飲む予定の方は、お医者さんに抗生物質を出してもらう時に飲みあわせの確認、または副作用が心配なのでと伝えて、子宮収縮剤と抗生物質と整腸剤を(場合によっては鎮痛剤も)セットで処方してもらうなどした方が良いかもしれません。

1/19 子宮収縮の痛みの影響もあるのか、排便時に妙に内臓が収縮しているような痛みがある。快便なのに、トイレに行く度にお腹が痛くて辛い。思わずうめき声をあげてしまう。今までが便秘きみだった反動なのか、大腸を圧迫するものが無くなった反動なのか、20センチくらいのまっすぐな便が出てきたりして、逆に大丈夫なのか?と思う。ここから一週間くらいは同じような状況が続いたので、念のため、ビオフェルミンを飲み続けていました。

1/20 体温は36.1で平熱より少し低いくらい。流産前にあった腰痛は消えたものの、股関節の違和感はまだあるし、子宮収縮の痛みや貧血症状などあって、正直体はしんどい。でも、今、会社を休んだら、そのまま二度と会社に行く気力がわかなくなりそうで怖かったので出勤。流産休暇はないのか、休まなくて大丈夫なのか私は、という疑問を抱えながらも働く。しかし、この頃の一週間くらいは、明らかに以前経験した事のある鬱症状に似た状態に心がなりかけていましたし、やはり仕事の精度は落ちていました。

1/25 体温は36.5で平熱。ピンクのおりものが少量出ているものの、明らかに出血が減り、子宮収縮の痛みもほぼ無し。出してもらった薬も飲みきり。子宮の回復は良さそうだとの実感もあり、体の調子は安定してくるも、心はやや不調のまま。

1/ 26 妊娠初期から、おへその下辺りにパンツのゴムが当たるのが気持ち悪くて、凄く大きなマタニティーパンツを履いていたのですが、もう違和感もなくなったので、普通のパンツに戻す。

1/29 産婦人科受診。子宮が綺麗になっているかのチェック。受付で「体温をはかってください」と言われる。36.5の平熱。エコーで診てもらい、ピンクのおりものが気になる事を伝えるも「それはまだ出てきてから2週間たっていないからね。中は綺麗だし大丈夫だと思いますよ。湯船につかるのももうOKです」と言われる。一応これにて一連の診察は終了。次の妊娠に向けて、まずは次回の月経を待つ事と、既往症のせいで、今回お世話になっていた病院では分娩が出来ない事がわかったので、別の大きな病院への紹介状を持っての通院が必要になりました。

1/30 事情を知っている女性の上司に呼び出され、先週の仕事の進捗がとても悪かった事を心配される。「体調悪かった?」と聞かれるも、上手くこたえられず、体調よりも精神的な問題が大きいと思っていたので、その事を話していたら、思わず少し泣いてしまう。上司は良い人なので、困らせてしまった事も申し訳なくて、負のスパイラルで落ち込む。体は回復してきたが、万が一体調を崩した時の為に入れておいた2月頭の有給休暇をそのまま心の回復の為に使わせてもらいたいと伝える。もちろん快諾してくれ「私も同じ女性だから、気持ちはわかるつもりよ。無理はしないでね」と言われる。私はやっぱりどこか無理をしていたんだろうなと、反省する。

1/31 出血はおさまったかと思っていたが、再びピンクのおりものが出てきた。そろそろ排卵日? 排卵出血??大丈夫か?と疑問に思う。

2/1 出血があるが、茶色のおりものと言っても良いくらいの感じ。鮮血が出続けているようだとまずいかと思ったが、ようやく鮮血ではなくなったようなので、今後、再び出血が増えたりしないか等さえ注意すれば良いかと、自分の体調を様子見中。少しの間仕事を休むので、どうやったら自分の気持ちが元気になれるのか、また前向きに仕事が出来るようになるのか、この文章を書きながら考え中。

後書き

加筆修正する可能性がありますが、だいたいこの様な状況でした。

自然流産が全然始まらず、本当に流産するのか、いつまでこの体調不良に付き合えば良いのか、先が見えず不安もありましたが、自然流産を待つ間、しっかりお別れまでの準備が出来た事は今となっては少し良かったと思っています。初期流産なのかどうかや、ご事情によっては次回の妊娠の為にも早めの手術を選択される方もいると思います。私はたまたま、心臓病のせいで手術をする方がリスクが高そうだったので、自然流産を待つ事を選びました。どちらが良いかは個々のご事情によるようで、私の様な持病がない限り、手術も自然流産も安全性にはさほど違いはないようです。

そういった時の一つ判断材料としてや、自然流産を待っている方や、流産された方の心の整理等のお役に少しでも立てれば幸いです。

最後に、蛇足かもしれませんが、自分の気持ちの整理の為に、今考えている事を少し書きます。

私は、泣いた、と書いていない日も実際には泣いていた日が何日もあります。お風呂で一人泣いたり、夫がいない間に家で一人泣いたり。流産は辛くて当たり前、泣いて当たり前、体調だって心の調子だって、崩して当たり前だと思います。宿ってくれたと思った命を失った事は、心の底から悲しくて辛いです。当然の事です。私はドラマ等を見ていて、子を守ろうとする親の描写があると、以前よりもずっと胸が痛んで、すぐに泣いてしまうようになりました。

ああ、私は『流産した』なんじゃない。『子を失った母親になってしまった』なんだ。

泣きながら、そう思いました。

簡単には立ち直れません。

でも、それで良いんだ。何年だって苦しもう。だって、私は産まれてこれなかったこの子を確かに愛していたのだから。

今はそう思っています。

夫いわく、取り分は8(私)対2(夫)という事なので、もしも夫の事を話題にしたnoteでサポートしてくださった場合は、夫にもきちんと分けます。「分け前はまだですか! 先生!」と笑顔で言われる今日この頃です。