数分間のエールを、あるいは花田十輝さんの作品群における「透明化された悪」について

数分間のエールを 8.0/10

映画、70分。素晴らしかった。平日夜の観覧、観客は自分を入れておじさん3人と少なかった。
花田十輝さんのオリジナル脚本。
・本作
・よりもい(宇宙よりも遠い場所)
・ガルクラ(ガールズバンドクライ)
と3作を続けて観たため、これら共通の魅力を挙げる。
 
【透明化された悪】
いわゆるテンプレ的な「悪役」がいない。
「数エール」では、フラストレーションを与えてくる人間は存在する。
織重さん(ヒロイン)のギターを値下げ交渉してくるメルカリ民。
彼方くん(主人公男)のコメ欄を荒らす視聴者。
ただあくまで匿名的な描かれ方で、そこに視聴者のヘイトや関心が向いてしまわないように、抑制的に描かれている。
むしろ視聴者を、「世の中には、こういう心ないことをやってくる人も一定数いる。でもそれはそれとしてやっていくしかない」という方向に誘導してくれる。
よりもいにおける日向さんの「悪意に悪意で向き合うな。胸を張れ」に象徴されるスタンスが本作でも継承されている。

ガルクラでも敵の顔の描写は意図的に捨象されている。
主人公にケガを負わせた同級生は、主人公の回想では文字通り顔が塗りつぶされて、匿名化されている。
配役上の名前はないし、声優すらあてられていない。
なぜか?
主人公が前に進むうえで思い出す価値もないから。
視聴者に見せる必要がないからだ。

またライバルとしてダイアモンド・ダストという少女バンドは置かれているが、彼女たちは悪役というより、「主人公陣営とは別な信念を持った、B面的な主人公」のような描かれ方をしている。
視聴者のヘイトの受け皿とならないように、敵意が向かないように、ダイダスとトゲトゲ(主人公バンド)の両方が推され得るように、十分に魅力的に描写されている。私が個人的に最も好きなキャラクターもダイダスのヒナさんだ。現実的、打算的、狡猾で、正しい努力をぬかりなくやって実利を取りに行く彼女が私は好きだ。もちろんそれら全てをしゃらくさいと一掃する仁菜さんの精神性こそが本作の核を成すわけだが。

よりもいにも悪役的な同級生は一応存在する。
しらせさんは南極に行きたがる高校生として校内で異質の存在と化し、同級生は彼女を”南極”呼ばわりし、心ない言葉をかける。
日向さんが陸上部で先輩のレギュラー枠を勝ち取った際に、部員は陰口で彼女をいじめ、中退に追い込んでいる。
が、ガルクラで顔を塗りつぶされた同級生同様、徹頭徹尾匿名化されている。

悪を透明化させなかった一例としては、ガルクラと同期の「夜のクラゲは笑わない(ヨルクラ)」が挙げられる。
vtuberとなったキウイさんを元同級生がゲーセンで中傷するシーンは、やや演出過剰というか…スカっとジャパン的というか…成敗されるためだけに急ごしらえで配置された斬られ役というか…あまり機能的な演出ではないように感じられる。

元アイドルの花音さんの母親がライバルグループのプロデューサーとして、いわば物語のラスボスとして立ちはだかるのだけれど…この設計も親や権力者を絶対的な強者、権威として描くもので、あまり目新しいものではない。

最後にまとめると、花田さんの直近3作品(よりもい、ガルクラ、数エール)では、以下のような3陣営が作中に登場する。

①特定の信念を持った主人公(よりもい=みんなで南極に行く、ガルクラ=自分たちの音楽をやり抜く、数エール=クリエイターとしてのステージに登壇し、諸クリエイターに賛歌を、エールを送る)
②信念がない、向き合う価値すらない小物の悪
③主人公とは別の信念を持ったライバル(よりもい=一人で北極に行っためぐっちゃん、ガルクラ=ファンを増やし喜ばせる、売れる音楽をやろうとするダイダス、数エール=クリエイターとしての自分の人生に幕を引きたい織重さんと絵描きの世界から降りたい外崎くん)

この3陣営のうち、②は、不必要な悪を透明化、無個性化するかたちで、潔く手際良くノイズカットされる。描写したうえで成敗するのでなく、取り合わない、描写すらしないという解決の方法。
そして③はこれまで②といっしょくたにされたり、悪役ポジとして単純に消費されがちだったが、②と完全に切り分けたうえで、きっちり魅力的に描いている。

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