溺れた月を見上げながら【2:1:0】

【登場人物】

高村(たかむら):男子大学生。

倉橋(くらはし):男子大学生。

叶水(かのみず):女子大学生。

※倉橋と叶水は絡みがありません。

【上演時間】
60〜70分程度

【あらすじ】
大学に入ったはいいものの、大した目標も持てないままに、日々を惰性で過ごす高村。
そんな高村の前に、見惚れるほど美しい少女、叶水が現れる。
無口で無愛想な叶水と日々を過ごすうちに、徐々に色々な表情を見せてくれるようになる。
しかし、次第に彼女が抱える秘密が明らかになって…

「幸せになって。私も、幸せになろうと思う」


【シナリオ本編】

〜昼、学食〜

倉橋「なぁ、高村ー。ノート見せてくれね?」

高村「またかよ」

倉橋「いやぁ、寝坊しちゃってさー悪ぃ!」

高村「はぁっ…いいけどさ。何?」

倉橋「教職!月曜1コマとか無理だってほんと…起きれねぇ」

高村「まぁ、分かるけど」

倉橋「だろ?つかさ!聞いてくれよ、あのハゲ親父から再提出食らったんだけど!課題!」

高村「課題って…静物画の?橘先生厳しいからなー」

倉橋「厳しいってか、あれイチャモンだから!マジであいつとセンス合わなすぎ。無理なんだけど。てか、元々あいつのゼミとか入る気なかったんだよ!分かってたんだよ、あいつとセンス合わないのさぁ」

高村「…」

倉橋「絵里も、再提出食らったって言ってたしさ…もーマジでイラつくんだけど!あいつのせいで余計な課題増えるしさぁ、教職は指導案だろ?なんで大学生こんな忙しいわけ?…って、高村?」

高村「…ん?あぁ、ごめん」

倉橋「またボーッとしてる。いつも話聞いてないよな、お前」

高村「そんなことないけど。…夏休みなのになぁって」

倉橋「は?何言ってんのお前。まだ学校始まったばっかじゃん?5月だけど?今」

高村「…ほら、よく大学生ってさ、『人生の夏休み』って言われるじゃん?」

倉橋「あぁ、確かになー」

高村「夏休みにしては、休めないなってさ」

倉橋「ほんとだよなー専門学校でもないのに、めちゃくちゃ絵の課題出るし。俺ら教育学部なんですけど。つっても、教職嫌いだけどな」

高村「…絵描くのは好きだけどね。元々そっち目指してたから」

倉橋「あれ?高村そっち?」

高村「特にやりたいこともなくてさ。絵描くの好きだったから、芸術系の大学とか専門学校とか受けたけど、全部落ちた。別に先生になりたいわけじゃないけど、ここなら絵描けるかなと思って。」

倉橋「まぁそうだけど。え、じゃあ高村さ、教員免許取っても、先生にならないわけ?」

高村「…考え中?」

倉橋「へぇー意外。ここみんな、先生になりたいやつしか来ないと思ってた」

高村「(小声)まぁ、何も考えてないし」

倉橋「え?」

高村「…いや?そういえば、絵里ちゃんとは上手くいってるの?」

倉橋「ん?あぁ、今のところなー。まぁ付き合ってまだ2週間だし…」

(M)高村「大学1年。周りは皆、華々しい大学デビューを果たし、期待に胸を膨らませて日々を送っている時期。隣にいる倉橋も、なんやかんや言いつつ、大学生活を謳歌している。課題に追われながら、彼女を作り、どこのサークルに入ろうか悩む日々。周りのそんな姿を、俺はどこか遠くから見つめていた。何もない、空っぽな自分には、眩しすぎたのかもしれない」

倉橋「…村」

高村「……」

倉橋「高村?」

高村「ん、あーごめん」

倉橋「はぁっ…お前ほんっと、ほっとくとすぐどっか意識飛ばすよな」

高村「…ごめん、なんだっけ」

倉橋「だーかーら!今日提出の課題!終わってないってマジかって!」

高村「あぁ…うん。そうなんだよ」

倉橋「いやいや、何キョトンとしてんだよ!あれ、単位に関わるって言ってたぞ、橘!大丈夫か?お前」

高村「大丈夫じゃないと思うけど、もう諦めた。気に入らなくてさーキャンバスごとビリビリに破いちゃって」

倉橋「はあぁ!?」

高村「いやだってさぁ、気に入らないもの提出して評価貰ってもさ」

倉橋「いや、大事だろ!評価!落としたら留年だぞ」

高村「あーうん…まぁね…」

倉橋「俺だったら、とりあえず提出して最低点でも貰いに行くけどな」

高村「いやもうさ、最低点貰える出来でもなかったんだよ、全然」

倉橋「あんなの出せばいいんだよ、出せば!変なとこで真面目だよなー」

高村「…(独り言のように)とりあえず、授業終わったら橘先生のとこに謝りに行かなきゃな」

倉橋「…そういうとこ、ほんと真面目」

〜夕暮れ時、日はほとんど落ち、暗くなりかけている。高村、教授室から出てくる。〜

高村「…はい、次からはちゃんと出します。はい…失礼しましたぁ…(ドアを閉める)。はぁっ…げっ、もう7時半?外暗すぎ…」

高村、建物内の階段を降りながらボソボソと独り言を呟いている。

高村「意外と優しかったな…1週間も待ってくれるとは思わなかった……でも、こんなに絵画談義に付き合わされるとは……疲れた…飯買って帰ろ…」

階段を降りて、1階へ

高村「…あ、倉橋誘うか。…でもサークルか、あいつ。ちくしょ、リア充め…(窓の外に目をやる)…今日、月綺麗だな…満月…ん?」

高村、大きな窓から見える中庭に目をやる。中庭には噴水が置かれてあり、その縁に腰掛ける人影が見える。

高村「中庭…え?誰?こんな時間に…てか、ここの中庭人入れるの…?」

高村、窓の脇にある扉に触れると、鍵はかかっておらず、ガチャリと扉が開く。

(M)高村「この時、いつもは素通りしている中庭に目をやったのも、その中庭にいる人影に興味を持ったのも、ただの好奇心だったのだと思う」

扉の開く音に、叶水が振り向く

叶水「…!」

高村「…っあ……(呟くように)綺麗…な人」

叶水「…何」

高村「…(呆けたような間)」

叶水「…何か、用?」

高村「えっ、あ…」

叶水「私に、何か用事?」

高村「あの、用事、っていうかその...」

叶水「何」

高村「...気に、なって」

叶水「何が」

高村「...君のこと、が」

気まずい沈黙。
やがて、高村がハッとして口を開く。

高村「あ、あの!すんません、帰ります…」

叶水「月」

高村「あ…え?」

叶水「月を、見ていた」

高村「月?」

叶水「…それだけ」

思わず、高村は夜空を見上げる。
空には、綺麗な月。

高村「でも…ずっと俯いてた。そこはほら…噴水があるだけだから」

叶水「…」

高村「あ、いや、...ただの通りすがりの独り言だから、その…気にしないで」

叶水「…こっち」

叶水、高村を手招きして呼び寄せる。
高村、叶水の方へ向かうと、水が張ってある噴水には、ゆらゆらと月が反射して見える。

高村「…月、だ」

叶水「うん。水に反射して、月が見えるでしょ?」

高村「月、本当に見てたの」

叶水「うん」

高村「…ここじゃなくても、見上げればいつでも月、見えるのに。歪んでない、もっと綺麗な月がさ」

叶水「…」

高村「君はその…歪んだ月が好きなの?」

叶水「別に好きじゃない」

叶水、立ち上がってサンダルに足を通す
そのまま高村を無視して帰ろうとする

高村「好きじゃないならなんで?こんな人気のないとこで月を」

叶水「...迷惑?」

高村「いや、その…気になるだけ」

叶水「変な人」

高村「それは、その…お互い様だと思うけど」

少しの間

叶水「…上ばかり見ていると、大事なものを見落としてしまうから」

高村「...え?」

叶水「落としてしまわないように」

(M)高村「彼女の言葉にどんな意味があるのかは分からなかった。ただ、彼女は俺の知らない何かを知っていて。俺の知らない何かを知っている彼女は、これ以上ないほど魅力的に、美しく見えた」

〜夜、大学から帰る帰路〜

2人、住宅街を歩いている。
叶水は、袋から芋けんぴを取り出して食べながら前を歩き、その後ろを高村がついていく。

高村「なぁーいい加減家教えろよ。帰らないつもり?別に家に上がりたいって言ってるわけじゃないだろ?夜遅い時間に女の子が1人でフラフラしてんの危ないから送る、って言ってるだけで」

叶水「...」

高村「こう見えても俺、忙しいんだけど」

叶水「...じゃあ、帰れば」

高村「…っ…だからっ…!てか、いつまで芋けんぴ食べてんの?」

叶水「...食べる?」

高村「え」

叶水「芋けんぴ」

高村「いや…別にそれはいらないけど。てかずっと、さっきから同じ場所歩いてない?てか!」

叶水「うるさい」

高村「あ、ごめん…あのさ、名前!名前聞いてなかったの思い出して」

叶水「…(ため息)」

叶水、立ち止まる。

高村「…てか、そもそも大学生?え、もしかして、不法侵入とかってオチじゃないよな?」

叶水「…」

高村「…わかった。じゃあ俺から名前言うから。俺は、高村真。あの大学の教育学部芸術学科美術コースに所属してます。趣味…趣味は、絵を描くこと、かな」

叶水「いつまで付いてくるの?」

高村「え…えぇ、俺の話無視…?んー君が無事に家に帰れるまで?」

叶水「家に上がる気はないって言った」

高村「うん。だから送るだけだってば。信用ないなぁ」

叶水「...帰ってほしいんだけど」

高村「だーから、君を家まで送ってから。世の中物騒なんだからさ」

叶水「あなたが帰らないと、私も帰れない」

高村「それ、そっくりそのまま君に同じ言葉返します。ほら、はやく歩いて」

叶水「...」

高村「もう夜の10時だけど?明日も俺学校だし、」

叶水「ここ」

高村「え?」

叶水「家、このボロアパートだけど」

叶水が指差す先には、小さな古いアパート。

高村「もしかして...ずっと帰りたくてこのへんぐるぐる回ってりした?」

叶水「...さっきからそう言ってる」

高村「ごめん、こんな遅くまで...連れ回してたの、俺の方だった。もう帰る。ごめん」

叶水「...(高村をじっと見つめる間)」

高村「じゃあ...今日はありがとう。楽しかった…また、会いたいな。会えたらいいなって、思ってる」

少しの間

叶水「...夢菜。叶水、夢菜」

高村「…!」

叶水「私の、名前」

叶水、そのまま踵を返してアパートへ入っていく。
高村、しばらく呆けたようにそれを見送り、やがてガッツポーズする。

高村「叶水…夢菜。覚えた、覚えた!叶水さん!また…また会おうね!」

〜別の日、講義室〜

高村「はあっ…はぁっ…あっぶな…遅刻するかと思った…」

倉橋「高村〜おせぇぞ、何してんだよ」

高村「あ…わりぃ、わりぃ…っ!」

高村、視界に叶水の姿を捉えて、思わず息を飲む

高村「叶水…さん?叶水さんじゃん!」

倉橋「お、おい?高村ぁ?」

高村「叶水さんだよね!」

叶水「…(高村を一瞥して、また視線を前に戻す)」

高村「俺、高村!覚えてるよな?この前一緒に帰っただろ?なんだよ、同じ学科なら教えろよ!全然気づかなかった…良かったぁ!別の講義も取ってるの?教職ってことは、水曜4コマも一緒だよね?てか、え、専攻さ」

倉橋「高村!講義始まるって!」

高村「あ、え…ごめん、叶水さん!また後で!」

倉橋に呼ばれて、席に着く高村

倉橋「何やってんだよ」

高村「ごめん。おはよ」

倉橋「…誰あいつ?顔は知ってるけど」

高村「叶水夢菜さん」

倉橋「ほーん。何、友達?」

高村「いや友達…ではない。たぶん」

倉橋「たぶん?」

高村「知り合い、かな。昨日知り合ったばっか」

倉橋「お前、すごい形相で詰め寄ってて怖かったぞ」

高村「…マジ?」

倉橋「マジ。てか、高村よくあんな変なやつと話せるよな」

高村「…変?」

倉橋「なんか変じゃん。いつも1人でボーッとしてるし、無表情だし?なんか話しかけづらい雰囲気っていうかさ。なんか怖いじゃん?ああいうタイプ。絶対仲良くなれない」

高村「…」

倉橋「あーやっば、寝るわ…高村ー、ノート頼んだ」

〜講義終わり〜

倉橋「ふぁ〜講義終わった?めっちゃ睡眠時間…んん…高村、ノート…高村?」

高村「…あれっ、叶水さん…クソっ…早いな、もういないじゃん」

倉橋「高村!」

高村「教職取ってるってことは…」

倉橋「たーかーむーら!(頭をはたく)」

高村「いてっ!なんだよっ!」

倉橋「ノート、見して」

高村「はぁっ…また寝てたのかよ」

倉橋「始まる前に言ったじゃん、ノート頼むって」

高村「…そうだっけ?」

倉橋「…ほんと、お前話聞いてねぇのな」

高村「ごめんごめん」

倉橋「何、好きなの?叶水夢菜」

高村「そういうんじゃないから」

倉橋「ふ〜ん」

高村「…何でそんなニヤニヤしてんの」

倉橋「いや、べっつにぃ〜?ようやくお前も、大学生デビューだなー!」

高村「…だから違うって」

倉橋「まぁまぁ!…あ、高村。今日夜空いてる?渡辺がさぁ、美味いハンバーガー屋見つけたんだって。高村の顔くらいあるでっかいハンバーガー」

高村「お前、俺に喧嘩売ってる?」

倉橋「あははっ!冗談冗談!いやホントにさ、デカいんだよ!」

高村「テンション高いなお前」

倉橋「んで、空いてんのか?」

高村「…ごめん。溜まってるんだよね、課題」

倉橋「お前溜めすぎだから。俺、来週提出のやつももう終わってるよ?」

高村「マジ?早くね?」

倉橋「サッサと終わらせて遊ぼうぜ?大学生なんて遊んでなんぼだ!」

高村「はぁ…」

〜放課後〜

大学構内の個室で1人、キャンバスに向き合う高村。やがて、筆を投げ捨てる。

高村「っあー!!無理!描けない!終わらない!!……はぁっ(ため息)…帰るか…残りは家でやろ…」

高村、荷物を整理して帰り支度をし始める。
ふと、手が止まる。

高村「…あ、そうだ。中庭…」

高村、個室を出て、階段を下り、中庭へ向かう。
先日と同じように、噴水に足を突っ込んで俯く叶水の姿。
扉を開けて、中庭に入る高村。

高村「…やっぱり、いた」

叶水「…(高村に気づくが振り返らない)」

高村「…やっぱり…綺麗…」

叶水「…変な人」

高村「…どのへんが?」

叶水「全部」

高村「…ひどっ(笑う)」

叶水「…」

高村「ほんと、同じ学科だったなんて知らなかった。今までも同じ講義受けたり、すれ違ってたはずなのに。なんで今まで気づかなかったんだろ」

叶水「…私の事なんて、興味ないでしょ」

高村「え?いやいや、そんなことないって。めっちゃ興味あるよ」

叶水「苦手なの。興味持たれるの」

高村「…え?」

叶水「だから、このままでいい。誰にも興味を持たれないままで」

高村「…でもさ、そんなの」

叶水「あなたの幸せと、私の幸せは、違う」

高村「…っ…(言葉を飲み込む)」

沈黙
やがて、高村が口を開く。

高村「…そうだね。幸せの形は人それぞれ、だもんね。でもさ、たまには。違う景色を見るのも、悪くないと思うよ。例えば、見上げた先にある、綺麗な満月、とか」

叶水「…」

高村「たまには、俯くだけじゃなくて、見上げてみてもいいと思う、けどな」

叶水「…そう」

高村「まぁ俺は、どんな叶水さんでも…興味あるけど。だからここにまた、来ちゃったし」

叶水「やっぱり、変な人」

高村「…そうかもね」

叶水「…この噴水が好きなの。だから、この大学に入った」

高村「へぇ!いいな、そういうの」

叶水「ここでずっと、こうして月を見ているのが好き。月がなくても、ここにいると落ち着く」

高村「…俺も、好き。好きだよ、この中庭」

叶水「…そう」

高村「また…来てもいい?」

叶水「…好きにしたら」

(M)高村「正直言ってその時の俺は、彼女の言葉の意味の半分も理解出来ていなかった。自分の意見を押し付けるのは楽だけど、そうすることで彼女が俺と関わることをやめてしまうのではないかと、怖くなった。だから、上辺だけの言葉を吐く。吐いた言葉に、意味なんかないことは、誰よりも自分が分かっていた。でも、そうまでして、俺は彼女に興味を持ってもらいたかった。だから、彼女が好きなこの場所を、俺も好きになろうと思った」

高村「叶水さん、お邪魔しますー」

叶水「…ん」

高村「あれ、珍し。今日は絵描いてるの?」

(M)高村「3日目、4日目、1週間、1ヶ月、3ヶ月、半年」

叶水「…課題」

高村「あー、デッサン?俺もまだ終わってなくてさ」

叶水「…そう」

高村「だからさ、お願い!モデルになってくれない?」

叶水「…また?」

(M)高村「彼女から発信される会話はほぼゼロ。でも、講義室で会っても反応すらしてもらえないのに、中庭だと俺の言葉に耳を傾けてくれる」

高村「お願い!座ってるだけでいいから!」

叶水「嫌」

高村「これ見るの教授だけだし!ね?」

叶水「嫌」

高村「頼むよー!叶水さんを描きたいんだよー!」

(M)高村「たまに、デッサンのモデルを頼んだりもした。俺の油絵はあまりにも稚拙で荒削りだけど、彼女の水彩画はその色使いや筆のタッチが、繊細で丁寧。なおかつ大胆で脆い。彼女を知れば知るほど、美しく魅力的に思えた」

叶水「…芋けんぴ5袋」

高村「5!?」

叶水「…やっぱり嫌だ」

高村「いや!分かった!5袋!5袋あげるから!!」

(M)高村「彼女と過ごす時間は大抵決まっている。講義が終わった夕方に中庭に行き、昇ってくる月を見て、そしてその後一緒に帰る。
帰る途中のコンビニで、必ず芋けんぴを3袋買って、彼女の家の近くを1周してから、家に入っていく。変な習性だと思うけど、ずっとそんなんだから慣れてしまった」

高村「こんにちはー今日もお邪魔しますー」

叶水「…ん」

高村「なんか今日、スーパームーンとかいうやつらしいよ?月綺麗に見えそうだね」

叶水「…そう」

(M)高村「俺は、中庭に行けば必ず彼女がいるという確信があった。彼女は僕に興味がないから来ようが来まいが別にそんなことは関係ないけれど。彼女の日課に、勝手に僕が参加してるだけ。迷惑かな、と思ったことはあったけど、別に彼女は俺の存在そのものを拒絶することはなかったし、何より俺が中庭に行きたかった」

高村「あー!叶水さん、そのレポート終わってるなら見せて!」

叶水「自分でやったら?」

高村「だってあの講義、何言ってるかさっぱりでさ」

叶水「ちゃんと手つけてから人に頼った方がいいと思うけど」

高村「…っ…ごもっともで…」

(M)「彼女と過ごす中庭での時間が、自分にとっての幸せであり、大切なものになっていった」

〜昼、学食〜

倉橋「はぁ?また?」

高村「…ごめん」

倉橋「はぁっ…どーせ、叶水夢菜だろ?最近ホント付き合い悪くなったよな、高村」

高村「それは…ごめん。中庭行くとつい時間忘れちゃって…結局夜に課題しなきゃいけないから…」

倉橋「はいはい。いつになったらお前とまた酒飲んでバカ騒ぎできるのやら。…あんな女のどこがいいわけ?愛想ないし、なんも喋らないし、絵も何描いてるかわからないし」

高村「そりゃあ、叶水さんは抽象画だから」

倉橋「ま、いいけど。んで?告白はいつのご予定で?」

高村「だから、そういうのじゃないの」

倉橋「嘘つけよ!いい年の男と女が密室で二人きり。そういう雰囲気にならない方がおかしいって!」

高村「おかしくないって。ただの友達...みたいなもんだし」

倉橋「ほら、みたいなもん、って濁したあたりが怪しい...実はもう全部終わってんの?あーなるほどねー」

高村「なんもないって、マジで」

倉橋「でもさあ真面目な話、高村はその子のこと、どう思ってるわけ?俺らもう大学生だし、子どもみたいにさ、ただの友達ですって言えるような感じになるかね、男と女で」

高村「...まぁ、うーん...何の下心もないって言ったら嘘になるけど」

倉橋「ほらぁー!だからさぁーグズグズしてないで男の方から」

高村「でも、あっちは俺のこと、興味無いし」

倉橋「いや、そんなわけないって!」

高村「分かるの。好きとか嫌いとかじゃなくて興味がない。そもそも。だから望み薄っていうか...俺も、その子とどうこうなるとかより、ただ隣にいたいって気持ちの方が強いから」

倉橋「...うーん…」

高村「気持ち伝えて今の関係壊れるより、ちょっと我慢してずっと隣にいる今が、俺は幸せだし」

倉橋「高村がそれでいいなら俺は何も言わないけどさ、その道を選んで、高村は後悔しないわけ?」

高村「後悔?」

倉橋「自分の気持ち相手に伝わらなくて、後悔しないの、って。言わないと分からないじゃん?どうなるかなんて。もしかしたら相手も高村のこと好きかもしれないのに。言えなくて高村から来るの待ってるかもしれないのに」

高村「ない」

倉橋「...」

高村「絶対、ない。言ったじゃん、興味がないの、俺に」

倉橋「...」

高村「嫌いじゃなくて、無関心。無関心なものに興味持たせるの、どれだけ難しいか知ってる?嫌いを好きにするより難しい。だって、何話しても、なにしても、俺の方を向こうとしない。反応がない」

倉橋「...そう。そんな気持ちじゃ、その子のことは振り向かせられないだろうな」

高村「何も知らないくせに」

倉橋「じゃあ、高村はその叶水の何を知ってるわけ?」

高村「…俺も彼女のことは何も知らない。けど…聞いたから」

倉橋「何を?」

高村「彼女が俺に、興味が無い理由」

〜ある日の放課後、中庭にて〜

叶水、芋けんぴを口に運んでいる。

高村「昼間食べようと思って時間なくて食べられなかったパンあるんだけどさ、食べる?」

叶水「...いい」

高村「いつも芋けんぴしか食べてないじゃん。たまにはなんか別なの食べたら?」

叶水「...いい。いらない」

高村「…そっか」

沈黙
少しして、叶水が口を開く

叶水「…ねぇ」

高村「(話しかけられたことに少し動揺して)…っ…え?何?」

叶水「あなたは、なぜここにいるの?」

高村「…ここにって、中庭?だったら、何回も言ってるけど、叶水さんに興味があって、叶水さんのことを知りたくて...」

叶水「違う。そうじゃない。あなたがこの大学で、絵を学んでいる理由」

高村「...あぁ...うーん...特にない」

叶水「...特に、ない」

高村「絵が好きだから。本当は美術学校に行きたかったけど、落ちて。ここしか入れなかった。夢も目標も何も無い」

叶水「...」

高村「ごめん、なんか…その。立派なこと言えなくて」

叶水「...すごいと思う」

高村「ほ、ぇ?」

叶水「夢も目標もないのに生きていけるの」

高村「...どういうこと?」

叶水「夢や目標がなくても、毎日生きていけるだけ、幸せなんでしょ?」

高村「...まぁ...幸せってほど大袈裟かは分からないけど…今日と同じ明日が続くっては思ってる。友達もいるし、飯も食えるし、絵も描けるし。あと、叶水さんとこうして話もできるし。そう考えたら…うん。そこそこ幸せ、かな」

叶水「...羨ましい」

高村「そう?」

叶水「私は、自分の人生に希望なんて持ったことないから」

(M)高村「思えばこの日の彼女は、いつになく饒舌だった」

叶水「きっと、私が今死んでも、誰も私のことを気にもとめない。母親も。先生も。妹とか弟は…どうだろう。世話する人間が急にいなくなったら困るだろうけど。...友達はいないし。それは別にいい。そういう生き方を私が選んできたから。いつでも、死ねるように」

高村「…死にたいの?」

叶水「別にそういうわけじゃない。ただ、」

高村「ただ?」

叶水「夢も目標も何もなければ、今ここで死ねる」

高村「...」

叶水「ってことは、夢か目標かあるの?」

高村「美術の先生になる」

高村「...それでこの学部に」

叶水「中学校の時の美術の先生が、私の大切な人だから。その人みたいな人生を歩みたい」

高村「...!大切、な」

叶水「彼のような、絵を描きたい。彼のような、生き方をしたい。彼が辿ったのと同じ人生を歩みたい。」

高村「...それ、は」

叶水「模倣と言われたらそれまでだけど。でも私はそうすることでしか生きられないから。」

高村「...」

叶水「自分の為に生きることは、私には難しいの」

(M)高村「彼女が抱えている痛みがどんなものか、俺には到底理解できない。でも、彼女は、好きなんだと思う。
俺じゃなくて、その人のことが。だから俺になんか、興味がないんだ。興味を、持てないんだ。俺が、彼女のことで頭がいっぱいなように、彼女は、その人のことで頭がいっぱいなんだ。それが痛いほど分かったのに、俺は。諦めの悪い俺は、尋ねた」

高村「ねぇ」

叶水「...?」

高村「叶水さんはさ...俺のこと、どう思ってるの」

沈黙

叶水「...あなた、は...ぬいぐるみ」

高村「...へっ?」

叶水「どんなときも、自分の傍に置いておきたいような。辛い時は、何も言わずにそばにいてくれるし、嬉しい時は真っ先に、伝えたくなる。泣きたい時は目の前で泣けるし、一緒にボーッとしてるのもいい」

高村「…叶水、さん」

叶水「だから甘えてしまう、あなたに」

高村「...」

叶水「私はあなたを、傷つけることしかできないから」

高村「そんなこと、ない」

叶水「ボロボロになって、ほつれて、綿がはみ出てしまっても。それでも飽きもせずに私の側にいてくれると、思ってしまう」

沈黙

高村「よかった」

叶水「え?」

高村「よかった...叶水さんに大切な人がいてくれて。そのおかげで、叶水さんは今、俺の目の前で生きてくれてるから」

叶水「…あなたは、本当に、変な人」

(M)高村「その日から、俺が中庭に行く回数が極端に減った。前は毎日のように足を運んでいたのに、今では1週間に1回くらい。それはきっと、叶水さんの思う人の存在を聞いてしまって、無理だという諦めの気持ちと、ぬいぐるみの話を聞いて、希望を捨てきれずにいる気持ちが交錯している結果だと思う。この気持ちをなかったことにするなんてできなかった。どんなに細い糸でも、繋ぎとめておきたかった。そんなこんなで、俺らは進級し2年生となった」

〜昼、学食にて〜

倉橋「そんでさぁー彼女がさぁ、1日3回は必ずLINE送ってくるわけ、それもさ、返事しないと電話までかかってくるわけ。重いよなぁ?どう思う?切るべき?」

高村「…」

倉橋「高村ぁ?」

高村「…あ、ごめん。彼女が何?」

倉橋「はぁっ…ほんと、興味無い話全然聞かないよな、お前」

高村「ごめんごめん」

倉橋「まーた、叶水のこと?」

高村「いや、だから別に叶水さんは」

倉橋「どうなったんですかあれから!いい加減何か進展あったでしょ!」

高村「いやあの、そもそも中庭行く回数も減ってるし」

倉橋「お?倦怠期か?」

高村「毎日行ってたのが週一になったくらいだよ」

倉橋「ほぇー。1年近く足繁く中庭通ってたあの高村がなぁ。とうとう飽きたか」

高村「飽きたって言うか…まぁ、うん。だから最初から言ってるじゃん。どうこうなる気は無いって。…そうだ、倉橋」

倉橋「あ?」

高村「倉橋は、教師になるつもりなの?」

倉橋「おう!そのつもりだけど?教職めんどいけどなー女子高に配属されて、可愛い子にモテたいからな」

高村「不純すぎる」

倉橋「あははっ!ま、教えるの嫌いじゃないしな!」

高村「後付けがすごい」

倉橋「いーんだよ、理由なんか適当でさ!高村は?」

高村「分かんない…迷ってるんだよね」

倉橋「ふーん。まぁ教師になるから別にして、免許持ってると有利じゃない?受けて損はないような気がするけど」

高村「…まぁ、ね」

(M)高村「6月。その日は台風並の暴風雨が吹き荒れていた。課題の再提出を食らっていた俺は、倉橋との会話もそこそこに、個室に籠り、課題を終わらせて教授に提出しに行った。時刻は夜の7時半を回ったところ。外は暗く、風の音が建物の中まで響き渡っていた。階段を駆け下りる。そういえば、前にもこんなことがあったような気がした。そう感じたのは、いつもの中庭が目の端に入ったから。…そこには、雨風に打たれながら、空を見上げる叶水さんがいた」

高村「…!?えっ…叶水さん…?」

高村、急いで扉を開けて中庭に入る。
雨風の音で、声がかき消される。

高村「叶水さん!」

高村、叶水の元へ近づく。
叶水は、空を見上げたまま動かない。

高村「叶水さん!何してんの!!中入って!!風邪引くよ!!」

叶水「…」

高村「叶水さん…っ!夢菜!」

叶水「…ぁ」

高村「戻ろ…っ!(腕を掴んだ瞬間の冷たさに驚く)」

叶水「…」

高村「戻ろう、叶水さん」

高村、強引に叶水の腕を引っ張って建物の中へ連れていく。
叶水、何も喋らない。

高村「ごめん…タオルとか何も持ってないから、とりあえず羽織ってるシャツ、ほら、これで拭いて」

叶水「…」

高村「風邪引くから、ほら」

叶水「…いい」

高村「よくない」

叶水「もう、いい」

高村「…っ…」

叶水「…」

高村「…とりあえず送っていくから。家には入らない」

(M)高村「俺を真っ直ぐ見つめたぐちゃぐちゃに濡れた顔は雨なのか、涙なのか。俺には分からなかった。ただただ、妙な胸騒ぎがしたのを、覚えている」

〜帰り道〜

2人とも、傘をささず濡れたまま歩く。

叶水「...人生って何だろう。」

高村「...」

叶水「私の人生って、何だったんだろう。」

高村「…叶水さん」

叶水「追いかけた先に、先生はいなかった。追いかけていれば、先生と同じ道を辿っていけばきっと、幸せがあるって。思ってた。…先生は、いなかった。もう、先生は、先生じゃなかった。じゃあ、私の人生って、私の…人生…って」

高村「叶水さんの人生は、叶水さんのもの、だよ」

叶水「...」

高村「最近、中庭行けなくてごめんな。また、行くから。毎日通うから。だから」

叶水「…」

高村「俺はぬいぐるみなんだろ?だったら、俺に全部ぶつけたらいいじゃん。叶水さんの思ってるとおり。俺はずっと、叶水さんの隣にいるから、絶対。だから...」

沈黙
叶水、柔らかく微笑みを浮かべる。

叶水「あなたは、私にとっての『先生』にはなれない」

高村「…っ!」

叶水「高村、真」

高村「叶水、さん…」

叶水「高村、くん」

高村「…っ……な、に?」

叶水「…ありがとう」

高村「…っ!」

叶水「幸せになって」

高村「…叶水、さん」

叶水「私も、幸せになろうと思う」

高村「叶水さん!」

叶水「さっき…名前呼んでくれて、嬉しかった。ありがとう。…もう、私のことは忘れてね。」

叶水、踵を返して、アパートに入る

高村「…初めて……名前、呼ばれた…な」

(M)高村「なぜだか、もう二度と会えないんじゃないかという予感がした。その予感が当たらないことを、願うしかなかった。でも、そんな予感は、当たってしまうもので。彼女は、あっけなく俺の目の前から消えた。まるで、彼女自身が、最初からここに存在していなかったかのように」

〜次の日、朝〜

高村「はぁっ…はぁっ……やべ、遅刻…(時計を見る)ギリギリセーフ…ん?」

高村、掲示板に大きな張り紙を見つける
辺りは騒がしく、パトカーや立ち入り禁止のバリケードが張られている

高村「…え?全講義休講…?(周りを見回す)パトカー…え?……中庭…?」

倉橋「高村っ!(高村の腕を強く掴む)」

高村「…え、倉橋…」

倉橋「帰ろう、な?講義休講だって。」

高村「...確認、しなきゃ。中庭…中庭に、パトカーが」

倉橋「高村っ!いいから、帰るぞ!」

高村「あそこはっ...!叶水さんの場所だからっ...」

倉橋「高村!頼むよ!!高村っ!!!聞いてくれ!!お願いだから!!」

倉橋、高村の腕を掴み、正面から目を見据える。

倉橋「落ち着いて、聞け。な?頼む」

高村「…」

倉橋「今日の朝、講義室に入ったら、全講義休講って言われてみんな追い出された。お前にも連絡したけど出なかったから。…急に休講なんておかしいだろ?だから俺…理由、聞いたんだよ。んで、ここでお前を待ってた。今日の朝、大学内で…中庭で、飛び降りがあった」

(M)高村「嫌な予感が、した」

倉橋「飛び降りたのは、うちの学科の女子」

(M)高村「昨日この目で見た。この手で触れた。彼女は。自分のためには、生きられないと。幸せになりたい、と」

倉橋「…叶水夢菜」

(M)高村「彼女は、そう言っていた」

倉橋「屋上から、中庭に向かって飛び降りたらしい。頭打って即死。噴水の近くで倒れてたって」

(M)高村「俺の幸せと彼女の幸せは、違うんだ。そんなこと、分かっているんだ。でも」

倉橋「高村」

(M)高村「願ってしまう。縋ってしまう。彼女と幸せになる方法は、なかったのだろうかと」

倉橋「高村っ!」

高村「...ん」

倉橋「お願い、聞いて」

高村「聞いてるよ」

倉橋「高村、いつも考え事してて、人の話聞いてないだろ」

高村「聞いてるって」

倉橋「ちゃんと、俺の話...」

高村「聞いてるって!!!!」

倉橋「…っ!」

高村「...聞いてる。全部」

倉橋「高村...」

高村「俺のために聞いてきてくれたんだろ?ありがとう」

倉橋「なぁ、高村」

高村「残念、だな」

倉橋「高村、無理するな」

高村「無理なんか、してない」

倉橋「高村、いいか。絶対に…お前は」

高村「大丈夫。後追いなんか、しないから」

倉橋「…っ……」

高村「叶水さん、昨日言ってた。幸せになろうと思うって。それが叶水さんの幸せなら…それで楽になるなら、それが…正解なんだよ」

(M)高村「母子家庭で、母親は水商売、外で男をとっかえひっかえし子どもを作っては家に放置。ほとんどネグレクトの状態で、彼女が妹や弟の面倒を一手に引き受けていたこと。母親が置いていく僅かなお金をどうにかやりくりして飢えを凌いでいたこと。中学時代の恩師が教師を辞め、美術の道から離れたことが彼女にとってかなりのショックだったのではないかということ。遺書はなかった。全て彼女が死んでから、又聞きに又聞きを重ねて得た話だった。俺は、何も知らなかった。…否、知ろうと、しなかった」

〜大学4年、卒展〜

倉橋「高村ーそっち持ってー」

高村「あいよー」

倉橋「持ち上げるぞ、せーのっ!」

(M)高村「彼女がいなくなってからも当たり前のように日々は続き、俺たちは無事に4年生となり、卒展まで漕ぎ着けた。油絵を専門にしていた俺は、あの日から水彩画に転向し、毎日中庭に通った。それ以外は平凡であるが幸せな大学生活を送ってきた。彼女の話は、倉橋との間でも、他の友達との間でも、話題に上がることは無かった」

高村「倉橋、版画にしたのは意外だったわ」

倉橋「ははっ、だろ?盲点ってやつだよ!やっぱりさ、他の奴らと同じことやってちゃつまらないじゃん?」

高村「いや、ほんとすごいわ。俺、版画苦手だし」

倉橋「ま、俺は器用だからな!」

高村「自分で言うな」

倉橋「…綺麗だな。高村の水彩画」

高村「…そう?」

倉橋「うん。綺麗だと思う。俺は好き。誰がなんと言おうと、俺は好きだ」

高村「倉橋」

倉橋「ん?」

高村「ありがとう」

倉橋「なんだよ、今更」

高村「いや、何となく」

(M)高村「中庭で1人、2年近くずっと絵と向き合い続けた。何度も破り捨てた。もがき続けた。撤去されてしまった噴水と、いなくなってしまった彼女の面影をずっと、探していた」

倉橋「高村が、油絵から水彩画に変えるって聞いた時、さ」

高村「うん」

倉橋「正直怖かった。高村が、高村じゃなくなっていくような気がして。中庭でずっと独りで絵描いてるの見てきて、ほんとしんどくて」

高村「…遺された者の務めっていうか。どんなに苦しくても辛くても、飲み込んで生きていこうって」

倉橋「…高村さ」

高村「ん?」

倉橋「ちゃんと話、聞いてくれるようになったよな」

高村「…そう?」

倉橋「前はボケっとしてさ、俺の話聞いてなかっただろ」

高村「…うん」

倉橋「今なら…聞いてくれるか?」

高村「…うん」

倉橋「高村、無理しなくていいんだよ」

高村「…」

倉橋「確かに、高村と叶水の幸せは違う。幸せの形は人それぞれだから」

高村「うん」

倉橋「でもな。あいつの幸せまで、お前が背負う必要は無い」

高村「…っ…倉橋」

倉橋「お前は、お前の幸せの形を見つけるんだ。それがきっと、叶水の願いだろ」

高村「幸せ…」

倉橋「…だから、ここに、この絵に置いていけ。辛かったことも、苦しかったことも。…お前、あいつ死んでから泣いてないだろ。苦しくて悔しくて仕方ないのに。1回も泣いてないだろ」

高村「…っ…!バカ…倉橋…やめろよお前」

倉橋「だから、全部置いてけって…な?」

倉橋、高村の肩を軽く叩き、部屋を出ていく
高村、1人自分の描いた絵を見つめる

高村「…幸せ、か…なんなんだろうな、幸せって…ね、叶水さん。叶水さんは、今…幸せ?そっちは、楽しい?なんて、なぁ…答えてくれる、わけ…ない、よなぁっ…!」

高村、声が震える

高村「泣くな、って…バカ…!叶水さんが幸せなら…それでいいんだよ…っ!バカ…!俺の、俺の幸せ…なんてっ…!俺の幸せ…っ、なんか…っ!…ぅ、ちっ、くしょ…!」

高村、座り込む

高村「…会いたい…会いたいっ……なんで、だよっ…!バカ!好きだよ…っ!あああっ…!ずっと傍にいるって言っただろうが…!バカ…っ!死んだら…死んだら、そこで終わりだろっ!生きろ!!生きろよっ!!!生きて…生きてて…くれよ……バカ…っ!」

高村、涙を拭う

高村「…叶水さん。ずっと、覚えてるから、俺。叶水さんのこと、忘れない。それが…俺の幸せ、だから」


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