その傷跡に祈りを【1:1:0】

【登場人物】
高村(たかむら):男性。会社員

乾(いぬい):女性。飛び降りようとした人

⠀【上演時間】
30〜40分程度


【あらすじ】
とある会社の屋上。
いつものように仕事をサボろうとしていた高村の目の前で、女性が飛び降りようとしている。
女性の名は、乾。
テキトーな理由をつけて、自殺を引き止めた高村は、この屋上で毎週会う約束を取り付けた。

「…綺麗事言っても、結局は死んで欲しくなかったんだ。ただそれだけなんだ。」

【シナリオ本編】
とある会社の最上階。屋上に繋がるガラス張りの扉の脇に、自動販売機がある。
その自動販売機の前で、高村が疲れきった表情で財布から小銭を探している。

高村「…はぁっ…やってらんねぇ……あのクソ上司…1階から15階までポスター貼りとか。誰が見るんだよ。マジで疲れた…(ため息)……コーヒー飲も」

缶コーヒーの落ちる音。
同時に、モニターの数字が揃い、安っぽいファンファーレ。

高村「お、よっしゃー。当たりじゃん。2本ゲット。サボる口実できたわ…っと。(伸びをする声)ふぁぁ……やっば。雲ひとつない青空じゃん。勝ち組勝ち組。……ん?あれ」

高村、屋上に人影を見つける。

高村「…え…?なに…誰…?女?ってか…え、大丈夫か?あれ…めっちゃ身乗り出してるけど……っ!?やば、落ちそうじゃん…!(扉をガンガンと叩く)ちょ…っ、おい!何して…」

高村、ドアに体当たりする。
勢いよく扉が開く。

高村「おわっ!開いたっ!!」

乾「…!?(ビクリと肩を震わせて、高村の方を見やる)」

高村「あ…(乾と目が合う)…こ…こんちわ。あのー…あはは。ここ開くんすね。知らなくて、俺」

乾「……」

高村「はじめまして。高村って言います。あ…えーっと……職員…の方ですか?」

乾「………えぇ」

高村「あっ、そうっすよね…あはは…すごいな、ここ…今まで中からしか見たこと無かったけど……(乾に近づき、フェンスから下を見下ろす)うぉあ、高いなー」

乾「……(高村に背を向け、帰ろうとする)」

高村「…あ、のっ。…帰っ…ちゃいます?」

乾「……えぇ」

高村「あー、その…ちょっとお話、しませんか。あ、その、お急ぎなら別に」

乾「急いでます」

高村「…あ……はぁ……あ、いや!あ、あのっ、何課の方です?俺もしかしたら、お電話とかで話したことあるんじゃないかなーなんて」

乾「……」

高村「あ、俺、総務課。今、エレベーターんとこにポスター貼ってて…ああいうのって見ないですよねぇ?無駄だと思うんだよなぁ」

乾「……」

高村「あー……んーと…その……」

沈黙

乾「…あの。もういいですか」

高村「や、あの」

乾「失礼します」

高村「え、ちょ!待って!」

高村、咄嗟に乾の腕を掴む。

乾「…っ!?は、離してくださいっ!(勢いよく腕を振りほどく)」

高村「ちょ、うぉあ!!」

高村、乾に振りほどかれた拍子にバランスを崩して、水溜まりの中へ。

乾「あっ…!」

高村「やっば!冷たぁ!ちょ、普通こんなところに水溜まりある?」

乾「すっ……すみませ、んっ!」

高村「いやいや…俺が無理矢理引き止めたのが悪いから」

乾「ハンカチ…ハンカチ……」

高村「あ、大丈夫です、俺持ってるんで…(ハンカチをポケットから取り出して濡れたところを拭く)」

乾「ごめんなさい私が…!」

高村「あ、や…ほんと気にしないでく」

乾「スーツ!あと、ハンカチも!私、弁償しますからっ!」

乾、高村の手からハンカチを奪う。

高村「いやそんな…本当に大丈夫だから」

乾「でもっ…」

高村「俺が余計なことしただけだからさ」

乾「せ、せめて…クリーニング代だけでも…!」

高村「……」

乾「お願いします!私の気が済みません!」

高村「…そんなにおっしゃるなら、じゃあ」

乾「ほんとにすみません…っ!本当なら弁償しなきゃいけ」

高村「いや、本当にそれは大丈夫ですから!そんなことさせられませんから」

乾「…すみません。じゃあ、あの、お金これ……」

高村「あ、」

乾「…はい?」

高村「お金は、いらないんで。(ハンカチを指さして)それ……この次お会いした時にでも返していただければ」

乾の顔がサッと曇る

乾「この次……あの、でも」

高村「あ、俺、よくそこの自販機の脇でサボってるんで。そうだなぁ…じゃあ、1週間後。この時間に俺いますから」

乾「……」

高村「俺、あの…あ、名刺!」

高村、乾に自分の名刺を渡す。

高村「電話してくれたら、いつでも受け取りに行きますから」

乾「……は、はい」

高村「じゃ、1週間後。またここで」

乾「……」

高村「………絶対」

乾「…」

高村「…絶対、来てください」

乾「……(少し考えてから、ゆっくりと頷く)」

乾、高村に背を向けて屋上を去る

高村「…はぁっ……何してんの俺……」

高村、ポケットから缶コーヒーを取り出し、1口飲む。

高村「………温(ぬる)っ。……ほんと……どーしよ」

1週間後、夕暮れ時
高村、屋上でボーッと空を眺めている
時たま、ソワソワしながら扉を見やり、また景色に目を移す。
しばらくして、乾が扉を開けて屋上へと入ってくる。

高村「…っ!」

乾「……高村、さん」

高村「こんにちは。よかった、来てくれて。連絡なかったから、ちょっとだけ不安でしたよ」

乾「……すみません、ご迷惑をおかけして。あの、ハンカチと、あとこれ…」

乾、高村にシミひとつないハンカチと、封筒を手渡す。
高村、中身を確認すると、中には1万円札が数枚。

高村「えっ…ちょ!いや、貰えませんよこんなお金」

乾「いいんです。スーツのクリーニング代ですから」

高村「いやいや…そんなかかりませんって!ハンカチだけいただきます」

乾「…受け取ってください。お願いします」

高村「いや……そんな」

乾「…私にはもう、必要のないお金です」

沈黙
高村、乾の手に受け取った封筒と、自分が持っていた缶コーヒーを握らせる

高村「お金の代わりに、世間話付き合ってください」

乾「……え、いや…私は、もう」

高村「俺、いつもここで1人でサボってて、話し相手欲しいなーって思ってたとこなんで」

乾「……」

高村「お金の代わりに、あなたの時間を俺にください」

乾、缶コーヒーをじっと見つめる。
やがて、諦めたようにプルタブに指をかけて、缶コーヒーを開ける

高村「…あ、コーヒー無糖なんすけど、飲めます?」

乾「…えぇ」

高村「よかったぁ。俺、甘いの苦手で。……あ、名前聞いてもいいですか?なんて呼んだらいいか分からなくて」

乾「……乾です」

高村「乾さん。いい名前。あれ、何課でしたっけ?ここの職員さんですよね?」

乾「……あ……え、と……あの……会計課……です」

高村「へぇ〜まぁ、デカい会社だし、別の課の人と出会う機会ないしなぁ」

乾「…」

高村「……あ、そうだ。ここの扉って、やっぱり開いてるんですね」

乾「……え?」

高村「ここの、屋上の。なんかいっつも閉まってるイメージで」

乾「……毎週、この曜日のこの時間は開いてる…みたいです」

高村「へぇ!いいこと聞いた!今度からこの時間に来よ。やっぱり窓越しより、直接見た方が景色いいですもんね」

沈黙

乾「…あの」

高村「あ、はい!」

乾「……よく、来られるんですか」

高村「そうっすね…まぁ、色々な課を回るような仕事だったりとか、最近はポスター貼ったりとか?そういうのがあると来ますかね。俺だって、毎日サボってるわけじゃないですよ?」

乾「……何時頃、来られるんです?」

高村「あ、ここに?そうだな…時間まちまちかな。なんてったって、ここの扉開くことも知らなかったし。その日によって違うかな。午前中の時もあれば、夕方日が落ちるのをここで眺めたりとかもしますし」

乾「……夕日、好きですか」

高村「んー、まぁ。好きか嫌いかと言われたら好きですかね。…好き?」

乾「…嫌いです。夜は、苦手」

高村「朝日派?」

乾「…別に。どちらも嫌い」

沈黙

高村「何か、好きなものある?俺は、寝ることと食べること」

乾「…好きな、こと」

高村「なんか趣味とか」

乾「……私も…好きです。寝ること」

高村「俺、気づいたら寝てるもんなぁ。パソコンばっかやってるとさ、眠くなってさぁ。トイレの個室行って、ちょっと目つぶったらすぐ寝て。気づいたら20分くらい経ってて、え!ヤバ!みたいな」

乾「……ふふっ」

高村「あ、そうだ!…寝てみません?ここで」

乾「……え?」

高村「いや、なんか屋上で寝るのとかめっちゃ青春っぽくないです?俺憧れてて。俺の学校、屋上入れなかったから」

高村、缶コーヒーを地面に置いて寝転ぶ

高村「はぁ〜ぁ!最高!仕事中とは思えない!めっちゃ気持ちい〜!」

乾「………(高村が寝転ぶ様を見下ろす)」

高村「…(目をつぶって)あーやば。これは寝れる。普通に寝れちゃう」

乾「………」

乾、しばらく高村の様子を見ていた後、ゆっくりと高村の隣に寝転ぶ
静かな時間

高村「…気持ちいいですね、風が」

乾「……はい」

沈黙

乾「…漫画。好きです」

高村「…あ…え?」

乾「さっき、好きなものを聞かれたので。言ってなかったなって」

高村「漫画…俺も読みます。最近は…えーと……今流行りの…なんだっけ。青い森の…なんとか、みたいな」

乾「……『青い森の四重奏(カルテット)』?」

高村「そうそう!それ!読みたいんだけど、なんか今更一巻から買うのもなーって。なんか20巻近く出てるじゃないですか」

乾「……よかったら、お貸ししますか?」

高村「え!?…い、いいんですか?」

乾「…ええ。高村さんが…嫌じゃなければお持ちします」

高村「もちろん!読みたかったし!嬉しいー!本当にいいの?」

乾「はい」

高村「じゃ、じゃあ。来週!また会おう!ここで待ってるんで」

乾「…(微笑んで)分かりました」

1週間後
雨、夕暮れ時
乾、自動販売機の前に立っている
高村、廊下を走ってくる

高村「はぁっ……はぁっ……すん、ません…遅れました…っ」

乾「…全然。気にしてませんから」

高村「は…あははっ……よかったぁ……」

乾「怒ったり…しませんから」

高村「え…あ、はは。そうですよね。乾さん、優しいですから」

乾「…これ」

高村「あっ…!ありがとうございます!」

乾、持ってきた漫画を高村に差し出す

高村「なんか…意外とカッコいいな、挿絵」

乾「そう、ですね…」

高村「どんな話なんです?」

乾「えっと……鬼、の話…?です」

高村「へぇ〜!」

乾「…鬼と、少女の、友情…のような」

高村「うわぁ…俺そういうのめちゃくちゃ弱い……絶対泣きます」

乾「…一週間で…大丈夫でしょうか」

高村「あ、うん。大丈夫です。一週間に一冊ならちょうどいいし!ありがとう、乾さん!」

(M)高村「そうして俺は、一週間に一冊ずつ、漫画を読み進めることが習慣になった。最初は、一冊目だけ借りて、その後面白かったら自分で買おうと思っていた。それなのに、彼女は1巻を読み終えたら2巻、2巻を読み終えたら3巻と、一週間に一冊ずつ欠かすことなく持ってきてくれた。俺は彼女に読んだ感想を伝えると、彼女は俺に次の巻のあらすじと自分の感想を、ネタバレしない程度に伝えてくれた。最初は一言だけだったのが、次第に二言、三言…巻数が増えるごとに、彼女との会話も増えていった。
俺も、たまに自分がオススメする漫画を貸したり、好きなお菓子を買っていったりした。勤務時間中に2人で食べたシュークリームは特別な味がしたし、1冊の漫画を覗き込んで2人で語り合う時間は何よりも大切なものだった。20週間。約5ヶ月。そんな長い期間、俺は欠かさず屋上に通い、彼女と言葉を交わした。そして今日、20巻目を彼女に返した後、彼女は俺に「ありがとうございました」と頭を下げた。」

高村「…え?何?」

乾「高村さん。もう、大丈夫です」

高村「…え、っと……何が?」

乾「もう、私に合わせてもらわなくても、大丈夫って意味です」

高村「……」

乾「今まで、ありがとうございました。本当に私……高村さんにご迷惑をおかけして」

乾「ちょ、ちょっと待って。え、どうしたんです?なんで…今日で終わりみたいなこと」

乾「……ふふ。そんなに焦らないでください。大丈夫です。ここで自殺するつもりは、ないですから」

高村「…っ!」

乾「…最初から、全部分かってたんですよね。高村さん。私があの日、ここから飛び降りて死のうとしてたこととか。私がここの職員なんかじゃないこととか……この傷のこととか」

乾、長髪をそっとどかすと、首筋に無数の傷跡。袖口からも、切り傷が見える。

高村「…うちの会社、会計課じゃなくて財務課だし。傷跡は……ごめん。最初に腕掴んだ時に見えてた」

乾「…本当に、高村さんは優しい人です。全部分かってて、それでもこんなに私に付き合ってくれて…嬉しかったです」

乾「最初は…余裕がありませんでした。ハンカチも、スーツも汚してしまって、絶対弁償しなきゃ。綺麗にしなきゃって。でも、それを返したら高村さんとは関わらないつもりだったんです」

高村「……」

乾「実は、漫画が好きっていうのも、嘘です」

高村「…だと思った」

乾「あの時。高村さんと一緒に初めて屋上で寝転んで、思いっきり息を吸い込んでみたら…一瞬だけ、苦しいことを忘れられたんです。何も言わずに高村さんが隣にいてくれて、屋上で二人きりのあの瞬間、私は自由だと感じました。誰にも縛られず、誰にも見張られず、ただ自分の好きなように呼吸をして、風を感じて、眠って。私にとってそれは、この上ない幸せでした」

高村「……」

乾「漫画は読んだことがありませんでした。漫画を読むのは男の人が多いと勝手に思っていて、だから気を引くためにあんなことを。…家に帰ってから後悔しました。なんであんな約束をしてしまったんだろう。もう二度と会いたくなかったのに。このままさよならして死ぬつもりだったのに。どこか別の場所で死ぬことも考えましたが、やっぱり高村さんのことが頭をよぎりました。なんとなく、何かをやり残したまま死ぬのは嫌だったんです」

高村「乾さん…」

乾「1巻だけ渡して、その後は何を言われても断ろう。そう思ってました。高村さんに渡しそびれたお金を使って漫画を買って。何か聞かれても答えられるように、何回か読みました。漫画というものを初めて読みましたが、とても面白かった。私自身、続きがとても気になってしまった。死んでしまったらこの続きが読めない」

高村「……だから。死ぬのをやめたんですか」

沈黙

高村「……俺も。あなたに嘘をついていました」

乾「え?」

高村「漫画…本当はそんなに好きじゃないんです。あの漫画、その日の昼間のワイドショーで取り上げられてて。それで」

乾「……」

高村「それに、俺は…あの時、貴方を見つけた時。止めたのは貴方の為なんかじゃなくて」

乾「何が嘘かなんて、どうだっていいんです。私にとっては、今この場であなたが隣にいてくれることの方が大切です。それだけで…いいんです」

(M)高村「そして彼女は、自分の人生を語り始めた。幼い頃から両親が過保護だったこと。両親が彼女を愛しすぎたせいで学校にも行かせて貰えなかったこと。次第に父親から暴力を振るわれるようになり、母親は見て見ぬふりをしていて、いつしか家に帰ってこなくなったこと。そして暴力がひどくなり…父親にレイプされたこと。その頃から、自分で自分を傷つけるようになったこと。児童相談所に保護された後も、生きる意味を見いだせす、結局保護期間が終わった今も、その父親と一緒に暮らしていること。淡々と語る彼女の目に、光はなかった。」

乾「カッターの刃を当てる時の高揚感、血が流れた時の熱い痛み、痛みに流れる生理的な涙……私はまだ生きている、大丈夫と思わせてくれました。父親に殴られてもレイプされても出てこなかった涙や痛みを、感じる事ができた。大人になって、児童相談所から抜け出せて。私は父親の元へ戻りました。父親は喜びました。そしてまた暴力を振るわれ、レイプされる日々。日常に戻って安心しました。だけど。」

高村「…」

乾「テレビでやっていた、虐待についての番組を見ました。私の人生とあまりにも似ていた。その人は父親にレイプされて子どもを身篭ったと泣いていました。暴力を振るわれて、今でも男の人が怖くて仕方がないと震えていました。そのテレビがきっかけだったのか、それとも積もり積もった蓄積だったのかは分かりません。私は段々と、死に場所を探すようになりました。
……ここは、近くにある建物の中で一番高かった。落ちたら絶対に、助からない。だから父親が仕事でいない間に何度も通って、ようやくこの曜日のこの時間に屋上の点検をするために鍵が開くことを知りました」

高村「……」

乾「あなたが羨ましかった」

高村「…え?」

乾「初めて会った時、あなたは私と同じように下を見下ろしたけれど、すぐにやめた。怖かったんですよね、きっと」

高村「……えぇ」

乾「私にはもう、怖いという感情すらなかった…ここから落ちようが落ちまいが、私の人生は何も変わらないと思いました」

高村「…」

乾「生きることは、私にとっては傷を負うことです」

沈黙

高村「死ぬってことは、俺にとっては罪だったんだと思うんです」

乾「…」

高村「最初にあなたの姿を見た時、身体がゾワゾワした。あなたと同じように真下を見た時も、あなたの袖の中の傷がチラッと見えた時も」

乾「…えぇ」

高村「俺は…自分の目の前で、自分の知り得る範囲で、人が死ぬのが怖かった。俺は最初、あなたのことなんかきっとこれっぽっちも考えてなかった。あなたを助けたのは、ただの俺のエゴだ」

乾「…そんなこと、ないです」

高村「いや、俺は」

乾「あなたは、自分のスーツを汚してまでも、私を引き止めてくれた。…とても、嬉しかった」

高村「…でも、今でもまだ、死ぬことを諦めてない」

乾「…!」

高村「さっきあなたは、『ここでは』自殺しないと言った」

乾「…ここは、高村さんとの思い出の場所です。そんな場所を汚してはいけないと思って」

高村「…思い出の…場所」

乾「迷ってます。死ぬか生きるか」

沈黙

乾「高村さんは、よく笑いますよね。表情がコロコロ変わって、好きなことを好きと言えて、楽しそうにお話されて。きっと大変なこともあるでしょうに、私の前ではそんな素振りは見せない」

高村「…純粋に、乾さんとお話するのが楽しいだけです」

乾「…ふふっ。嘘はもういいですよ」

高村「嘘じゃない」

乾「……」

高村「…もう、嘘はつきません」

沈黙

高村「俺は……なんていうか。弱い人間です」

乾「そんなことないです」

高村「乾さんみたいに、辛いことと向き合うこともしないで。今だって、こうして仕事から逃げて」

乾「…」

高村「死ぬとか生きるとか…あんまり考えたくなかったんです。このまま永遠と変わり映えしない日々が続くんだろうなって思ってました」

乾「…私だって、そうです」

高村「…あなたはここまで生きた。それは…あなた自身の努力です。俺とは全然違う」

乾「……努力…」

高村「俺は当たり前のように親から育てられ、暴力も受けず、そこそこ勉強できる頭と環境があって、そこそこ道を外すことなく生きてきました。乾さんのように生きることを努力したことはなかった」

乾「…私だって、努力なんて」

高村「あなたが今ここにいる。それは紛れもなくあなたの努力です」

乾「……」

高村「きっと色んな…それこそ、さっき話してくれたこと以外にも色んなことが…あったんだと思います。俺にはその痛みは分かりません。実際に乾さんの人生を生きてないのに、偉そうに共感なんてできない。でも…きっと何度も、何度も何度も、死のうと思えば死ねたと思うんです。だって人間なんて、そんなもんでしょう、きっと。ほんの少しの勇気さえあれば、簡単に死ねるんです」

乾「…」

高村「でも、あなたは死ななかった。俺と出会ってくれた」

乾「…っ!」

高村「ハンカチはちゃんとあなたから返ってきたし、漫画だってあなたに全部返しました。それができたことは…きっと、当たり前じゃない」

乾「高村さ…」

高村「…俺は最初、あなたを死なせないために約束を取り付けました。ハンカチも、漫画も。死ぬことは何の解決にもならない。命を無駄にしてはいけない。そんな、バカみたいな一般論しか頭の中になかった。…でも、何度もあなたと会って漫画の話をするうちに…そんなことは、どうでもよくなった」

乾「……どういう、ことですか?」

高村「俺はただ、あなたと話がしたかったんです。だからその…あなたと仲良くなりたかった」

乾「……っ、え」

高村「あなたから、毎週漫画のあらすじを聞くのが楽しみで。あなたに毎週感想を伝えるのが嬉しくて……本当に、ただそれだけだったんです。最後の方は。生きてて欲しいとか、死なないで欲しいとか…そういう重たい感じじゃなくて」

乾「…高村…さん…」

高村「俺はなんていうか…仕事してる時より気張らなかったし、乾さんと話してると嫌なこと忘れられたし。だからその、なんていうか……俺が一番しんどいのは、乾さんが苦しくて辛いのが、嫌だから。乾さんが死ぬ事で楽になるなら、それは…それでいいと思うんです。でも」

乾「……でも?」

高村「(伝えるかどうか迷う素振りを見せる)」

犬「…高村さん?」

高村「…あなたが死んだら……俺は悲しい」

高村「…やっぱり難しいこと、全然わからないけど。でも、これだけはどうしても…言わなきゃって。だって、伝えずに後悔するの、嫌だから」

乾「…っ…」

高村「あなたが死んだら…悲しむ人間がちゃんといます。あなたの辛さも苦しさも…俺は100分の1も…いや、1万分の1も分かってないと思います。だからこれは…ただの俺のワガママで、自己満足で」

乾「…ワガママ…なんて、そんな…」

高村「俺はその……なんもできません。あなたの苦しみを減らす方法は…分からない。けど、こうして隣にいてあげることは、できます。傷跡をさすってあげることも、できます。傷つくことだけが生きることじゃないって…そう教えてあげることも、もしかしたらできるかもしれません。なんて言いますかその…笑うこととか、楽しいこととか…漫画以外にももっと色々。世の中には小さな楽しみが転がってて。それを拾い集めるお手伝いみたいなことはできると思うんですけど」

乾「高村…さ、っ……」

高村「…あなたがあの時死ぬことを選ばず、俺にハンカチを返す道を選んでくれた。漫画を貸す道を選んでくれた。それはその……まだほんの少しだけ、生きたいと…そう思ってくれたのかなって」

乾「…っ…生き、たいっ……?わ、たしっ……いき、たい…んでしょうか……いきてて…いいんで、しょうか…っ」

高村「…いいんですよ。無理しなくて。泣きたい時は泣いていいし……生きたい時は、生きていいんです」

乾「ふ、っく……っ、ああ…うああああ!!」

(M)高村「彼女は、顔をぐしゃぐしゃにして笑いながら、これまで我慢していたであろう何かを解放するように俺の胸の中で泣き続けた。俺よりも小さな身体で必死に生きようとする彼女を、俺はずっと、ずっと抱きしめていた。
…綺麗事言っても、結局は死んで欲しくなかったんだ。ただそれだけなんだ。」

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