見出し画像

そういう言い方しなくてもいいじゃんって思うとき

 人こそ人の鏡とはよく言ったもので、あの人のちくりと刺すような言葉は、いつかの自分があの人に発した言葉を映したものなのでしょう。

 それなら今度から気をつければいいじゃないと言われればその通り。今の自分にできることは、過去の自分の行いを内省し、その結果をこれからの生活にいかすこと。そんなことはわかってる。でも感情が追い付かない。

 最近の私は、他人の言葉や態度に動揺することなく過ごせるようになってきた。相手の立場で物事を考えられるようになり、優しい言葉も自然と出るようになってきた。多分、自分と相手を区別して考えられるようになっていたし、かつ他人と適度な距離感で接することができるようになってきていたのだと思う。

 しかし本日、久しぶりに再会した小中時代のクラスメートのほんの一言で、「最近の私」が壊れるのを感じた。否、感じている。

 はっきりとした文言はここには記載しないが、もしかするとその人にとってはネガティブな意味を含まないワードなのかもしれない。けれど、筆者にとっては間違いなくネガティブな言葉で、なんだったら面と向かって悪口を言われたような感覚と言っても過言ではないレベルの発言。
 中学時代から、彼からはとげとげしい(と筆者が認識する)言葉を時折投げかけられた。でも、そういう「ノリ」なんだと認識して、笑って済ましていた。けれど今思えば、他の人にそんなことを言っているのは見たことが無い。間違いなく彼は私を嫌っていた。

 そんな彼はクラスの中心人物で、常に彼の周りには人の輪が出来ていた。筆者も他のクラスメートと同様、彼を好ましく思っていたし、彼のように自分も周囲を笑わせたいとも思っていた。しかしそれが悪い方向へエスカレートしてしまったかもしれない。言葉遣いが荒くなり、「いじり」が「いじり」の域を超え、それが彼を何度も傷つけたかもしれない。

 他人から上記のような指摘を受けたことはない。が、自分自身、言葉遣いの荒さや「いじり」の限度は内省を繰り返し、度々修正してきたつもりだった。だから、それらが彼の言葉の鏡になったのかと聞かれると、少し首をひねりたくなる部分はある。でもあり得る話だなとも思う。


 ここまで書いて、やっと本心を書く気になった(おそい)。何故これほどまでにうだうだと小中時代の友人のたった一言について分析し、ここまで引きずっているのか。その理由はほんとにシンプル。けっこう、悲しかったんだ、好きだった人にこういう風に言われちゃうんだーって。久々に会ってまだまともな会話もしてないのに、いきなりこんな気持ちにならなくちゃいけないのかーって。彼の発言の理由は、ここまで書いたように、自分自身にあるかもしれないから、彼を非難するのは間違っているのかもしれない。でもさ、久しぶりに会ったんだから、笑顔で話したいって思うじゃん。楽しい話、したいじゃん。そんな当たり前の期待さえも叶わないのは、やっぱり悲しい。

 こんなに引きずるってことは、私は未だに彼を忘れられないっていうことなんですか、どんだけ一途なんですか、重すぎじゃないですか、そんなこと言うやつなんてさっさと忘れたら等々、一人悶々としながら今夜は眠りに就こうと思います。おやすみなさい。はあ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?