「りぼん」
あーりんのしりとりnote。
2回目にして、早くも「ん」がついてしまいました。
…が、しかし。
このしりとりはわたしが独自に決めたルールにより、「ん」で終わる言葉も使用可能なのです。
この次は、「ん」のひとつ前の音、「ぼ」から始まることばで書きますね。
さて、「りぼん」ですが。
少女漫画雑誌の「りぼん」について、書きたいと思います。
「りぼん」か、「なかよし」か。
あるいは「ちゃお」だった方もいるかな?
自分が小学生のころ、こうした少女漫画雑誌は、学校の休み時間や放課後の大きな話題のひとつでした。アニメ化された作品なども多くありましたしね。
わたしはもともと「なかよし」を購読していました。最初に親に買ってもらったのが「なかよし」だったのだと思います。
それでしばらく「なかよし」を読んでいたのですが、小学校3、4年生の頃かな?仲のいい子が「りぼん」を読んでいました。で、その子に限らず自分の周りでは全体的に「りぼんっ子」が優勢でした。
そこで、途中からあっさり「りぼん」に乗り換えました。「自分が読みたいかどうか」よりも、「友だちと話が合うかどうか」の方が、ずっと大事だった。漫画雑誌に限らず、他にもそういう文化ってありますよね。
ただ、「なかよし」で連載されていた作品で、ひとつものすごく好きな作品がありました。その作品に限らず、その先生が描く世界観が、全体的にとても好みだった。
なので「りぼん」に乗り換えたあとも、その作品は単行本で全部買って、ひとりで大事に楽しんでいました。人気はあったと思うけど、「カードキャプターさくら」とか「セーラームーン」のようなエース級の看板作品というよりは、「刺さる人にはめっちゃ刺さりそう」系だったので、友だちとその作品について話すことは、ほとんどなかったかな。まあ別に、誰かと共有しなくてもいいや、って感じでした。
その作品や漫画家さんについては、別の機会に書きたいと思います。
漫画家になりたかった小学生時代
漫画は読むのも好きでしたが、実は描くのも好きで、漫画家になるのが長らくわたしの夢でした。「なかよし」も「りぼん」も、後ろの方に新人漫画大賞のコーナーがあり、中学生くらいになったら投稿したいなーと考えていました。その後、結局一度も投稿することはなかったのですが…。
小学生時代、休み時間はたいてい自由帳に漫画を描いて過ごしていました。起承転結のストーリーを考えて、コマ割りを作り、そこに少しずつ絵を入れる。休み時間が始まるやいなや、机から自由帳を取り出し、もくもくと作業に取り掛かる…そんな子どもでした。
で、ひとりでもくもくと描いていると、友人が何人か自分の机に集まってきて。新たに描けたところまで読んでもらったり、余白に落書きをしてもらっていました。
この「落書き」の捉え方が、「してもらった」というべきか、「された」というべきか、自分でも難しいところ。
自分の作品に余計なコトをしてくれるな…という思いも、なくはなかったと思います。でも、
嫌と言えなかった
甘んじて受け入れていた
むしろそうした落書きも含めて作品だと思ってた
自分が描く漫画にみんなが落書きをするということ自体、ひとつの文化であり、コミュニケーションの手法だった
みんなが楽しんでくれるならいいやって思ってた
みんなが落書きをすることでより面白くなると思ってた
と、いう感じ。迷ったので箇条書きにしましたが、たぶん、どれも少しずつあると思います。
そして、そういうフシは漫画の落書きに限らず、いろんなモノゴトにおける自分の在り方、選択の仕方にありがちだな…と思います。
基本的に周りに合わせる。
みんなにとってプラスなら、わたしもそれが嬉しい。
もちろん、程度や内容によります。
「嫌だな」って思うことはきちんと伝えられることが、大事だと思います。
ただ一方で、多少のことならわたしは構わない。
ちょっとやそっとのことでは乱されない自分でいたい。
…という、謎のプライドがあるのも事実。笑
ずっとそういう生き方をしてきた。
それで損をしたこともあったけど、得たものもたくさんあった。
だから、そんな自分を受け容れて生きていきたい。
…というのが、現時点での結論です。
また変わるかもしれないけどね。
自分の領域に他人を招き入れることについて
ここまで書いて気づいたのですが、きっと自由帳に描いていた漫画は、最初から「学校の友だちとのコミュニケーション用」と、割り切っていた部分があったのだと思います。
いつか新人漫画大賞に応募するであろう「本命作品」は、ひとりで家で淡々とプロットを考えたり、原稿用紙に下書きを描いたりしていました。それについては友人に見せることはおろか、内容を話すことも一切ありませんでした。
「なかよし」でとても好きだった、とある漫画作品然り。
自分で描いていた漫画然り。
「本当に大切なものは、自分だけが分かっていればいい」
「誰とも共有したり、共感し合ったりしなくていい」
というフシが、当時から今に至るまであるなあ…と、思いました。
本当の本当に大切にしたい領域は、むやみに侵害しないでほしい。
でも、それ以外の部分は、割となんでもOK。
煮るなり焼くなりお好きにどーぞ♡
それが、様々なモノゴトにおける自分のスタンスかもしれません。
この「しりとりnote」は、「周りの方とのコミュニケーション用」なのだと思います。実際、前回の記事を投稿した際にFacebookのコメントで「る」から始まる言葉を友人の皆さんが色々教えてくれて、それがとても嬉しかった。
一方で、決してうわべだけの浅い話に終始しているわけでもないです。
今回書いた内容も、今までほとんど人に話したことがありません。
今まで見せてこなかった部分を出すことで、周りの方々を招き入れても大丈夫な領域を少しずつ広げていきたいです。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました!
次回は「ぼ」から始まる言葉で書きます。
ではでは!
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