人生最期の晴れ舞台

祖父が亡くなった。92歳の大往生だ。

自分は仕事中だったので死に目には会えなかったが、立ち会っていた父の話によると、立ち会う予定の親族全員が揃うまでは微かに心臓が動き続けていたらしい。
多分自分が旅立つ瞬間を息子や娘達に揃って見守って欲しかったんだと思う。特にここ最近は件のウイルス絡みで面会もロクに出来ず家族ともずっと会えなかったんだから、そのぐらいの望みは持ってもいいだろう。

少し遅れて父と共に母の実家へ向かうと、一足先に祖父が家に帰ってきていた。俗に言う無言の帰宅というやつだ。

親族の待機場所として使われていた祖父と祖母の部屋には、2015年9月のまま放置されているカレンダーが壁にかけてあった。
脳梗塞を起こして入院して、そのまま施設に行くことになって、家に帰りたいと何度も母や家族に願っていた祖父は結局一度もこの部屋に帰れないまま亡くなってしまった。

※追記
後で母の兄嫁に話を聞いたところ、祖父が実際に脳梗塞を起こしたのは前月(8月頃?)らしく、その当時は施設入所など特に考えておらず帰ってくることを見越して先に9月にしておいたらしい。しかし祖父は結局家に戻ってこられなかったので、カレンダーもそのままにしてあるということだった。

かつて使われていたはずのベッドや家具は綺麗に片付けられていたのに、そのカレンダーだけは祖父が過ごしていた時のまま止まっている。自分はこの家に住んでいないので何も言えないが、できることならこのカレンダーは残しておいて欲しいなあと一人密かに考えるのであった。

親族と葬儀屋と幕を垂らして仏花を飾って飯を盛って、てんやわんやしながら諸々の準備を終える。
そしていよいよセンコに火を灯し、祖父が眠っている障子の向こう側へ足を踏み入れた。

久しぶりに見た祖父の顔は、思ったより穏やかだった。

今まで繋がれていた酸素マスクやら点滴の管やらIVHの管やらは全て外されていて(当たり前だが)、本当にただ眠っているだけのように見える。

……が、やはり血が通ってないとひと目でわかるレベルの肌の白さと冷たさなもんで、ああホントにジジは死んじまったんだなと納得させられてしまった。
あの作りもののような不自然さは何度見ても慣れない。

そして、自分は結局泣けなかった。

正直なところ、祖父の訃報を聞いた時は『長いこと不自由だったからようやく楽になれてよかった』とか『先に死んだババ(祖母)にやっと会えるんだな』とか、とにかく悲しさよりも安堵の方が強かった。
交通事故や殺人のような理不尽に押し付けられた死なら兎も角、自身の力ではほぼ体を動かせず機械に繋がれてようやく生きていた祖父のことを思うと、どうしても複座な気持ちになってしまうのである。

薄情者だと言われてしまっても仕方が無いだろう。
それでも自分は、人生に一度幕が降りることで救われるものもあると信じていたい。


おやすみ、ジジ。
たくさん可愛がってくれてありがとう。もう会えないのは寂しいけど、ようやく楽になれたみたいで本当に良かった。
先に逝っちまったババと、一日でも早く会えますように。

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