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おやすみ、ばあちゃん

3月に入ってすぐの話。
入院していたばあちゃんが亡くなった。

今年の初め頃に施設内で流行ったコロちゃんに罹患していたらしく、肺が弱っていたところに別の感染症やら肺炎やらでトドメをさされたようだ。
入院した、と聞いて両親と会いに行ってから一週間も経たないうちに旅立ってしまった(入院期間自体は結構長かったらしいが面会できるようになったのは最近だった)。

今まで特にデカい病気なども無く心臓もクソ強だったので、コロちゃんにさえ罹患しなければまだまだ元気に生きられただろうと担当のセンセイが言っていたらしい。すげえなばあちゃん。
流石アイザワの祖父母の中で一番長生きしただけある。

そんなこんなで90超の大往生。
最期は穏やかだったらしい。よかった。


ここから昔話。

ばあちゃん(と当時生きていたじいちゃん)は自分の末息子であるアイザワ父のこども、つまりアイザワとそのきょうだいをたいそう可愛がってくれていた。
ことある事に自分の仕事場である浜辺に連れて行ってくれて、貝殻やシーグラスを拾ったり浜砂屋で一緒にお菓子を食べたりしていたものだ。

そんなある日、ばあちゃんが行方不明になってしまった。
その日は別の地区にじいちゃんと山菜採りに行っていたのだが、いつまで経ってもトラックに戻ってこない。警察やその地域の人が総出で探してくれて、山菜採りをしていた場所から遠く離れた海岸を歩いていたところを保護された。

飲まず食わずで歩き続けていたばあちゃんは弱ってはいたものの、自分の状況を理解できていなかった。どうして自分がじいちゃんや自分のこども達に心配されたり怒られているのか分からなかったようだ。
そもそも海岸を歩き続けていたのも「家に帰ろうとしただけ」だと言っていたらしい。

ばあちゃんは認知症だった。

その後すぐにじいちゃんが癌で亡くなってしまい、さらに認知症が進んでしまった。
その結果、孫であるアイザワ達はもちろん一緒に暮らしていた家族のことも自分の子供達のことも、なんなら自分自身のことも何もかも忘れてしまっていたのだ。

暴言暴力を撒き散らすようなタイプの症状ではなかったが、物忘れや昼夜逆転や徘徊などはしっかりあったようで世話をしていた身内はかなり大変だったらしい。
当時父親の実家には小さかったいとこの子ども達もおり、ばあちゃんはアイザワが大人になる頃には既に施設に入ってしまっていた。

アイザワは元々ばあちゃん達と別に暮らしていてたまに会う程度だったので(ショックではあったものの)「そういう病気なら仕方ないよなあ」程度で済んでいた。

でも、父親は違った。
自分の親に忘れられてしまったというショックが強すぎて、施設に一度も面会に行けなかったのだ。
ずっと蟠りを残したまま月日は流れ、世の中ではコロちゃんが流行り出してしまい、ますます会いに行ける機会が無くなってしまった。

そして、今年の3月。

───文字通り、最期のチャンスがやってきた。


運転席の父親は明らかに緊張していた。
久しぶりに会う母が危篤だと聞かされたらああもなるだろう。

コロちゃんがようやく下火になってきた今も医療機関では面会制限が続いている。しかしアイザワと両親は必要最低限の検温や手続きが済むと、すぐにばあちゃんのいる個室に通してもらえた。
改めて、もう長くないことを思い知らされる。

髪が真っ白けになったばあちゃんは、酸素マスクやら心電図モニターやら色々なものを顔や体にくっつけていたが(その時は)意外と顔色は悪くなかった。

父親がばあちゃんの身体を擦りながら声をかける。

「おっか(お母さん)、来たで。待っでらっだが?」

するとばあちゃんは本当に嬉しそうな顔で笑って、自分の身体を起こそうとしたのだ。
その場にいたばあちゃん以外の全員が驚いた。

声を聞くまで閉じていた目はしっかりと開いていて(母曰く涙を流していたらしい)、しっかり父親の顔を見ている。何かを話そうとしきりに口を動かしている。擦る手を握ろうと反対の手を伸ばそうとしている。
都合のいい解釈かもしれないが、少なくとも自分にはそう見えた(アイザワ母の呼びかけに対しては首を横に振るだけだったので尚更)。

「今まで来れねくて、悪りがったなあ」

謝罪の言葉には、安堵の感情が混じっていた。
ばあちゃんはずっとニコニコしながら父親の顔を見つめて口を動かしていた。
危篤だと言うから覚悟して来たのに、ばあちゃんは思ったより元気そうだったので両親とアイザワはすっかり安心して帰路に着いたのであった。

……が、結局ばあちゃんの調子が良かったのはこの日だけで、次にアイザワ達が行った時には既に意識朦朧の状態。その後誰の言葉にも反応することはなく、そのまま数日後に亡くなった。

本当に、あっという間のできごとだった。


そんなこんなでバタバタしながら葬儀を終え、ばあちゃんは骨になった。
もう誰もばあちゃんの本心を知ることはできない。

結局ばあちゃんが忘れていたことを思い出せたかは分からないままだけど、父親は自分のことを思い出してくれたと信じている。ばあちゃんも間違いなく嬉しそうにしていた。
だから事実はどうあれそれでいい。遺された側の人が前向きになることぐらいは許して欲しい。

おやすみ、ばあちゃん。
忘れられることは寂しいけど、辛いことも悲しいことも苦しいことも全部置いて旅立てたのなら幸いです。
これからもじいちゃんと仲良く、どうか安らかに。

(おわり)

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