戦略的インターネットごんぎつね
ごん……おまえだったのか……。
人生のBAD ENDを回避したい。人類共通の願い。
* * * * *
ふと近所の「いつものところ」を通り過ぎると、ウェイウェイした声が聞こえてきた。どうやら地元民のサッカー試合があるらしい。冷たい小雨が身に染みる中で、どこか聞き覚えのある洋楽のワンフレーズを繰り返す男衆。
なんか洋の小太鼓をドンドコ打ち鳴らしていた。
──マーチングバンド由来か? しかし音が低く、重い。テレレッテレレッといった軽めの音ではなくて、ドンドコドンの大太鼓クラスである。しかし腕を左右に振るタイプでなくて上下にやってそうな……(丘の高台側にあり、視野角的に遮られてよく見えず)
そんなどうでもいいことに思索を巡らせつつ、ふと気づいた。なんか……下を振り返ると少年野球の試合が……。そういや今日は神の定めたもうた休日よ。業務機材を職場に収めに行った帰り、久々にウェンディーズ(a.k.a. ファーストキッチン)のクソデカバーガーを頬張って仕事サボり感を味わっている場合じゃなかった。逆や。なにがサボり感じゃボケ。
これわ……もしかして休日出勤してただけでわないか……。
残酷な真実──はじめから隠されてないっていうか瞳を閉じて君を願ったのは僕で──を前に膝から崩れ落ちる我。七転び八起き。負けっぱなしではいられない。なにか勝ち筋を見つけなければなるまい。転んでもタダじゃ、起きてあげないんだからっ!
とかなんとか敗北者気分を味わっている我、すでに楽しくなっている。待って? バカなの? そうですわたしがバカなおじさんです。ショッキングな出来事が起きた瞬間、秒で楽しくなってしまっている。マスクの内側はニヤニヤしてる。ありがとうイーロン。おかげで凍結回避できた。
とはいえ弊幸福ジェネレータからくるwkwkではなさそうだ。外部供給のにおい。風水感覚を研ぎ澄ませ。この「しあわせ」はどこから来るの? いつからわたしは「運気」のそばにいたのだ!?
"ドン……"
"ドン……ドン……"
"もういっかい遊べるドン……"
ドンドコドコドコ太鼓の音が。サッカー野郎どものクソデカボイスが。ふつうに聞こえているではないか。なぜ今の今まで聞いてなかったことにしていたのか。人間の認識阻害能力おそるべし。
あったわ。そこに妖気が。もとい陽気が。
いやぁ、浮かれちゃってますね。わたし。日向ぼっこか。惑星がその身を焦がして発散している熱がそこにある。しかしわたしにとってタダ。えっ、やさしいか?! ジェントルか?!?! そうではない。余っているだけだ。人によっては「うるせーボケ」とキレ散らかすゴミなのだ。
待って? これわ一方的に搾取できるのでは!? だってTheyらは陽気をわたしに吸われてること気づいてなくない?(気づいてたらコワイ)それはそう。だってTheyらはTheyらのために歌い踊っているだけ。まさかその辺の通りすがりのおっさんが一緒に楽しい雰囲気になって脳内サンバガールやっているとは、よもやわかるまい。
そう、ここに余った陽気が捨てられているのだ。
これをオイシイと言わずして何というのだ。
しかし、そのままではエコシステムとして成立していない。返還の流れがないため、カオスでバタフライエフェクト的で予測不可能な運勢リスクが高まる可能性は否定しがたい。情けは人の為ならず。ありがとうの返礼ルート整備が急務だろう。
そこで、インターネットごんぎつねである。
しかし見知らぬおっさんが「いつも陽気ダダモレでいてくれて、ありがとう☆」などと迫ってきたら身の危険を感じてしまうのは致し方ない。ナンデ!? オジサンナンデ!? とショックのあまり思考停止するに違いない。そして……耳元に掲げられるスマホ……。社会的アブナイ。
これは実質無料コンテンツである
実質無料コンテンツはだいたい危険である
では有料にしよう=お返ししよう
しかし利害も契約も関係性ゼロなので返礼不能
では返礼でなく一方的に贈与すればよい
つまり明示的互恵関係を築かず贈与と言う返礼をすればよい
おじさんは、あしながおじさんにクラスチェンジを、図った──。
そもそもおじさんは祭りは好きだが好きではない。楽しそうなのが好きなだけで、実際は人混み嫌いマンである。都会アレルギーなのに都会のすみッコで暮らしている。なぜ。現実はゲームじゃないのでフレンドリーファイヤの可能性をゼロにはできない。それもまたよし。なぜならもしそのようにファイヤされたら、フレンドリーだったってコトだから……死ねば伝説になるから……むしろオイシイまである。
スタート地点から回り道の末に辿り着いた、たったひとつ解釈の違うゴール地点──その展開は美しい。現実を追求した果てに、これ以上ないところまで未来を掘り尽くしたのなら、あとは華を添えて過去となる。葬式とはそういうことだろう。順番が大事だ。花は散る前に咲くから美しい。タンポポは最後に添えねばらない。ネタの盛りつけを邪魔しないように。
例えば管理団体を探してもいい。例えば草むしりボランティアにちいかわしてもいい。そして何より今すぐでなくてもいい。今、わたしは気づいたのだ。わたしは高いところにいると。水が高きから低きに流れている。その川からはじめて水をすくえることに気づいた感動よ。
地の利を生かそう。仙道よりはじめよ。
霞を、たべよう。
◆電脳仙人・ごんぎつね先生の次回作にご期待ください──!!
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……