生存報告(2022/11/27)

Twitterについてとこれからのこと

思えば西暦2010年の終わりごろから始めているはずなので若干の中断を挟んで12年ほどお世話になったTwitterだけど、色々と考えた結果これまでの全てのツイートを削除した。今後は何かしら大きな告知ごとでもない限りは開店休業状態になるのではないかと思う。理由はイーロン・マスクに対する抗議のため、とか言えると素敵なのだが別にそういうわけではなく、シンプルに本名でTwitterをやり続けることがこれからの実生活にマイナスの影響を与える可能性が大きいなと思ったので。もちろん医学部に入った時点でその辺りのデメリットについて考えないではなかったのだけど、これから病院実習が本格的に始まる、ということは当然ながら患者さんと関わる機会も増えるわけで、そうなるとさすがにこれまでとは話が違ってくる。自分が責任を取れる範疇のことばかりではないというか。

このnoteもどうしようかと色々考えたのだが、取り敢えず今までに書いたものは一旦全て削除し、場所は残しつつ不定期で更新はしていこうと思う。二十歳の頃からインターネットで文章で書いてきた、ということはもう人生の半分以上はそうしているわけで、その場所がいきなりなくなったときにメンタルをキープする自信がないというのが一つ。もう一つが、どちらかというとこちらが大きいのだけど、医学部を卒業するまであと2年3ヶ月、そこから先は研修医となるため医業以外の仕事からは必然的に離れることになる。初期研修医の2年間は医業以外の仕事をすることは出来ないし、おそらくその後も後期研修で少なくとも3年間は勉強優先ということにはなるはずなので、都合5年間は何かを書いたり作ったりということからは離れざるを得ない。そうすると、何かを書いたり作ったり出来るのは医学部を卒業するあと2年3ヶ月しかないわけで、事実上そこが自分の一度目の引退ということになるのだと思う。正式な。それでまあ、せっかくなら、その時間がまだ残っているうちはしがみついておきたいというのはどうしたってある。しがみつきたいというか、絞り出したいというか。

具体的に言うとこの2年3ヶ月の間はオファーとか需要とか関係なくちゃんと自分が面白いと思えるものを書く、とそういったことをやってみたいというかやらないとちゃんと終われないので、ここがどれぐらい実践や修練に使われるかは分からないけれども、そういった場所として使っていきたいと思う。と言いつつ勉強もあるのでそんなに更新頻度は高くはならないと思いますが、宜しくお願いします。

#映画秘宝の被害者への二次加害に抗議します

そんなこと言いつつTwitterは毎日ぼんやり眺めているわけだけど、真魚八重子『心の壊し方日記』が左右社から出版されることでまたもや、という。なかなかのうんざり具合。当時から現在もなお加害を受けている方のブログが以下。

真魚八重子 著「心の壊し方日記」について - 🍙ブログ
https://kituneudoon.hateblo.jp/entry/2022/11/20/000833

ちゃんと書き出すときりがないので箇条書きにする。

・このタグを使っている人のおそらく大半が、誰かを罰したいと思っているわけではない(ですよね?)というのは、立場を越えて共有されてほしいと思う。「罰せられるべきだ」とか「謝罪を要求する」とかいうよりは、「まずその踏んでいる足をどけたら良いんじゃないですか」という感じ。その痛がり方が合理的かどうかというのは落ち着いてから話したい人が話せば良いと思うんだけど、その前に、いま痛いって言ってる人がいるならまずそれはやめようよってそういう話。
・なのでこのタグを使っている人を「正義」という括り方をするということに対しては、かなり強く違和感をおぼえる。むしろかなりエゴイスティックな、つまり、いま痛いって言ってるこの声を聞きたくない、っていうのが根底にあるんだろうと思うし。公的にどうこうしたいというわけではないんだけどなという。
・いずれにせよ、いわゆる「90年代サブカル」と呼ばれる人たちやその概念が否応なく含有する、自らの加害性への鈍さというのはちょっと尋常ではないなと改めて思い知る。「私は加害をしていない」って公の場に書けちゃうんだなと。実際にそれが加害かどうかと言うよりも、そう言い切れてしまう人なんだという。わりと自分は、こういう大人になりたくなかったからテレビブロスを読んでたってところがあったので尚更。これについてはおそらく死ぬまで考え続けるんだと思うけど。
・いずれにせよ、今まさに傷ついていると言っている人に対して「あなたは傷つけられてなどいない」と伝えること自体がシンプルに相手にダメージを与えるということ、かつそれは結構致命的な傷になり得るということが、これからの社会でちゃんと周知されることを願ってやまない。それは例えば「鬱病に『頑張れ』は禁句」というのと同じくらいの感じで。それぐらい本当に初歩の初歩の話として。個人の傷つき方は個々にあるべきだし、それが尊重されない社会はやはり是正されるべきだと思う。

考えたことなど(箇条書き)

・サッカーの本田圭佑さんの選手をさん付けで呼ぶの、現状めちゃめちゃ新しいけどあと数年したらめちゃめちゃ当たり前になるんだろうなという印象。
・「アメトーーク!」の「大喜利苦手芸人」を録画で観て、これメタ認知の話で解けないかなと。実技とか柔術とか。あるいは、お年寄りが演芸を観ながらつい感想を口に出してしまう感じとか。
・手話教室で聞いた、日本語の「が」は主語を表すが、「は」は主語ではなく主題を表すという話。とても興味深い。

観たものなど

ジョンソン&ジャクソン「どうやらビターソウル」(11/17、下北沢ザ・スズナリ)
立川吉笑「中野ZAZIE寄席」(11/19)
「浦井が一人と『話』が三つ」(11/19、配信)
「新作落語台本発表回」(11/25、池袋演芸場)
「ショウ・マスト・ゴー・オン」(11/26、世田谷パブリックシアター)

・「浦井が一人と『話』が三つ」の蓮見翔さんの脚本があまりにも素晴らしかったので、三時間ほどかけて書き起こしまでしてしまった。着眼点や構成の巧さもすごいけど、とにかくもう、「履きたい靴とかもあるし」という一行が圧倒的。この一行だけでこの男のカッコ悪さとか未練とか愛おしさとか、そんなのが一気に観ているこっちに降り注いでくる感じ。エモーションや技巧というよりはシンプルにこの文字数に対しての情報量が多いというか。ちょっと勉強になりすぎました。
・「ショウ・マスト・ゴー・オン」、チケットは当然即完だったんだけど補助席が出たタイミングでなんとか購入。えぐかった。完璧すぎて。色々と勉強になったけど一番なるほどと思ったのは、「二度目に出た情報であれば観客はまあまあの嘘でも許容してくれる」ということ。つまり、「この登場人物は実はこういう人でした」というのを登場人物の出現とともにやってしまうとご都合主義になってしまうんだけど、例えばこの登場人物が出てくる前にほかの人物が、今度こういう人が来るらしいよ、って一度言っておけば、この登場人物が実はこういう人でしたというのが二度目の情報になるので観客は受け入れるということ。特にウェルメイドと呼ばれるコメディの脚本の基本は、情報をいかに出すか(隠すか)というところに尽きるんだろうと思ってるけど、まさにそういうテクニックというか。基本技術なんだろうけど、「ショウ・マスト・ゴー・オン」はそれをただひたすらにやっている。それが結果として感動になるというのがやはりショウ(あるいは物語)というものの抗えない魅力なんだと再確認した次第。

(〜2022/11/27)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?