突然亡くなったおじちゃんと私

亡くなってしまった おじちゃんと私の話

カラオケが大好きで パーキンソン病なのに
カラオケのためなら階段だってへっちゃらでゆっくりゆっくりだけど生命力をぐんと足元に乗せて確実に一段ずつふみしめてカラオケに向かう、

おじちゃんと私の話

「歌が本当に上手いねえ」と、ゆっくり私に言う。

「二人の関係性が分からない」と周りは言う。

私だって分からない。気づいたらカラオケに行く仲で、大した会話は無いけれど、何時間だって2人で歌っていられた。沢山おつまみを買っていくけど、いつも全部平らげて、心もお腹もいっぱいになって2人で帰った。

おじちゃんは私の知らない曲を沢山歌うから、少し退屈に感じた時もあったけど、何回も同じ曲を歌うから私も覚えて 石原裕次郎やさだまさしに少し詳しくなった
口ずさめるくらいには、詳しくなれた。

おじちゃんは急に亡くなった。
様態が悪化して3日もせず、あっけなく。

お通夜に参列したが悲しくて奥さんの顔を見られずひたすら下を向いたまま泣いていた。

1か月前、カラオケに行ったばかりだったのに。
「岬めぐり」を歌って欲しいとリクエストしたことを、つい最近のことのように覚えているのに。

お花に囲まれておじちゃんは静かに眠っていた。
その表情は穏やかで、今にも目を開けて「1曲歌うぞ」と言い出しそうな。
でももうおじちゃんは目を覚まさない。

すごく暑いお盆の時期だった。
火葬場にみんなで向かい、硬いソファに浅く座ってじっと時を待っていた。

周りはお葬式の予約はいつするかとか もはや全く関係ない話で盛り上がっていたり、いつもにないシチュエーションの中で少し変な盛り上がり方をしていた。

目の前に大量に積まれた歌舞伎揚を食べる気も起こらず、ついに自分たちの番が来た。

儀式を行う前に、おじちゃんはクリスチャンだったため、牧師先生のお祈りがあった。

奥さんの親戚と見られる70代くらいの男が、
「皆さん手を組んでください」という牧師先生の声掛けに「フッ」と、少しバカにしたように笑い、お祈り中も隣の人に喋りかけたりして、最悪だった。

帰り道、火葬場の草の高さに驚きつつ、汗が止まらないまま車を走らせ、喉が渇いて死にそうだったので近所のファミレスでかき氷を食べた。
フワフワじゃない、ちょっとジャリジャリの氷に、コーラのシロップがかけられている。
小さなスプーンで少しづつ口に入れながら、彼を偲んだ。

秋になり、大学3年生、後期の授業が始まった。
ふいにカラオケに行きたくなり大学の近くのカラオケボックスに入る。
ふと、思い出す。
森高千里の渡良瀬橋を歌った時
「この曲はすごく綺麗だね」とおじちゃんが言っていたこと

久しぶりに歌ってみると、本当に綺麗な曲だった
そしてすごく悲しくなって涙が止まらなくなった

もうこの歌を近くで聞いて貰えないということ
カラオケに行こう、と誘うことも出来ないこと

何もかもが悲しくて寂しくて、ひとりで泣いた

おじちゃんは、私がさだまさしの「雨やどり」をすきだと言うと、その曲ばかり歌って聞かせてくれた

今でもふいに おじちゃんが歌ってた曲が街で流れると、「今、おじちゃんがいてくれてる」と思う

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