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世界はやさしい


昔よく、海外に行っていた。
それは生きるためだった。







これまで僕はたくさん戦ってきた。


中学での柔道、高校ではバドミントン、大学ではダンス、その後ボクシングや実践格闘技


自分が死ぬか生きるか、本能を目覚めさせるような瞬間が好きだった。




生きてることを実感した




その後、それは海外旅に変わって行った。
南米や、中米、アメリカ、
なんとなく、全員敵だと思っていて、俺一人で立っていかなきゃいけない感覚に浸れて、
常に緊張感や油断が抜けなくて、




でも、それが心地よかった

だって、生きてるって感じるから。








でも今回、ニュージーランドにきて、自分が大きく変わっていることに気づいた。


これまで、散々海外では気を抜かず、舐められず、ってのをマインドに接してきた。


けど、日本でのこの出来事があって、世界の設定を変えてみた。




***

最近狂気的に自分に熱中していたら、気分良くなる人以外と関わっていなかった。
免許センターで、ヒステリー気味にパスポートないと国際免許取れないと言われ、ムカついた。
ふと外気に触れ、冷静になる。世界はもっとやさしいって設定に変更。
結果、みんな優しく対処してくれて、取得。
最後まで、お、取れた?よかったねぇって気にかけてくれて、やっぱ世界は優しいと思った。
この世を見るメガネの大事さを改めて思い出した。(instagramのストーリーより)

***





世界は優しいんだって、
そんな設定で過ごすことにしてみた





そしたらね、なんと世界の感じ方が180度変わった。



めっちゃくちゃ優しいのさ、世界が

びっくりするくらい優しいのよ、世界が





全てが親切に見えて、全てが僕を応援してくれているように見えて、
たくさんの優しさの世界がそこには広がっていた



ただただ優しい世界がそこに広がっていた。




ああ、もういいんだ、戦わなくて、
ああ、もういいんだ、気を張らなくて、
ああ、もういいんだ、これ以上頑張らなくて、




だって世界はこんなにも優しいんだもの



その瞬間涙が出た
これだよね、これを求めていたよね










内側にないと思っているものをいくら外側に求めても、それは満たされない

でも、すでにあるものをただ認めるだけで、外側の世界にはそれがあったんだと気づく





世界には安心がないと思っていた僕は、安心しない出来事が山のようにきた
そして、それを感じることが生きるということだと思ってた。




僕はそれを手放した。
世界には安心しかない。自分の内側に感じているこの安心の中で生きると決めたら、
世界には安心しか広がっていなかった。
そして、安心の世界が自分の内側の範囲から外側へと少しずつ拡大し続けている。





あぁついにきたね、

そんな言葉が僕にささやく





うん、ついにきたよ。

僕は答える


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